一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

国家ってなんだろう(国際法って難しい)

2005-04-14 | よしなしごと
最近、「国家ってなんだろう」と考えさせられることが多い。

特に、過去の国家間の約束事が現在の国家間の関係をどのように拘束するか、というところが、一義的に決まらないところに問題の根源があるような感じがする。

国際法の知識がないので誤解もあるかと思いますが、素人の感想を少し。


昨日の記事では中国と日本の戦後処理の決着があいまいになってる、ということを書いた。

昔他の国と約束したかもしれないけど、そのときは俺はいなかったから知らん、というのはそれなりの理屈もあるが、じゃあ、そのとき無政府状態だったら、すべて問題を先送りにしなければならない、支配権を獲得した新政府に遡って評価される、というのもちとおかしいんじゃないかと思う。

※ そうそう、清朝との間で香港を99年間租借する条約を結んだイギリスは、
 どうして中華人民共和国に返還したのだろうか。
 これも二国間の合意なのだろうか。
 もし、中華民国が文句を言ったらどうなったのだろう。



竹島問題はもうちょっと複雑。
サンフランシスコ平和条約に大韓民国は署名してない。
しかも、同条約の署名から発効までの間に李承晩ラインを引いてしまった。
でも、両国間ではサンフランシスコ平和条約で竹島の帰属(明記されていない)をどう解釈するかが大きな議論になっている。
日韓基本条約(1965年)では「1910年8月22日以前に大日本帝国と大韓帝国との間で締結されたすべての条約および協定は、もはや無効であることが確認される。」(第2条)とある。
しかし、大韓帝国は1900年に勅令で竹島を韓国領として内外に宣言されている一方で、1905年に大日本帝国は竹島を島根県に編入している。

約束とか合意がない中で、正当性を主張するにはどうすればいいか、という話。



さらに、ヨハネ・パウロ2世の死去でにわかに注目されたバチカン市国。
バチカン市国の独立は1929年に法王庁とイタリア政府の間で締結されたラテラノ条約で認められた。当時の首相はムソリーニ。
で、イタリアが第二次世界大戦で敗戦後、領土については、参戦前の1939年に宣言したアルバニア併合が無効とされ、アルバニアの独立が完全に回復され、一方で戦争中にイギリス軍に占領されたトリポリ、キレナイカ(共に現在のリビア)、ソマリランド(現在のソマリア)等のアフリカ植民地を放棄し、これらの地域はイギリスの委任統治領になった。
しかし、バチカンの独立はそのまま。

これは侵害された権利を回復する、というものでもなく、他の国も文句を言わないからOKということなのだろうか。



一方で、チベットは歴史的には独立国として政府を持ち、機能していたが、国際的に独立国家としての地位を条約などで確認する事を怠った結果、中華人民共和国に武力で制圧され、「チベット自治区」とされてしまった。
他国から認められないと国家ではなく、その領土は「獲った者勝ち」なのだろうか。



では、最後に
イラクでサダム・フセイン政権の時に契約した外国企業の権利はすべて無効になってしまうのだろうか。
また、アメリカ主導で樹立された暫定自治政権との間で合意した(かもしれない)外国(特に米国)企業の権利は、有効に存続するのだろうか。


難しいですね、時間があったら勉強しようと思います。
また、どなたかご教示いただけるとうれしいです。
コメント
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