一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

靖国参拝問題 続き (日中関係 その6)

2005-04-30 | 日中関係
靖国参拝問題の続きです。

今回は、何で中国は靖国参拝にこだわるんだろう、ということをちょと調べて&考えてみました


中国側の靖国参拝批判は1978年にA級戦犯を合祀したことに端を発していて、「戦争犯罪人であるA級戦犯が祀られた靖国神社を日本の政治指導者が参拝することは許し難い。」というのがその理由。


でもちょっと待てよ。
サンフランシスコ平和条約の第11条「日本国は,極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し,且つ,日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする。(以下略)」
とはあるけど、死刑執行後の扱いや懲役刑を終えた人や、刑期中に亡くなった人の取り扱いまでは決めていない。(普通そうだよな)


では中国側が、何でA級戦犯にこだわっているかというと、
そもそも「日本の侵略戦争は、一握りの軍国主義者が引き起こしたものであり、日本人民も戦争の被害者である。」といういわば「A級戦犯戦争責任論」は、東京裁判の際に、国民党の蒋介石がこの「A級戦犯戦争責任論」に基づいて日本に対する戦時賠償請求権を放棄した、というところに遡るようだ。


毛沢東・周恩来も日中国交回復時にそれにならい、当時の中国国内にあった「賠償金を求めるべき。」とする意見に対して、「同じ戦争の被害者である日本人民に賠償を求めることはできない。」として、日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明(日中共同声明)の中で明確に賠償請求権を放棄した。

「五 中華人民共和国政府は、中日両国国民の友好のために、日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する。」


毛沢東・周恩来は、日本に復讐主義的な賠償金を科して両国間に過痕(第一次大戦のドイツに課された多額の賠償金がナチス台頭の遠因になったことなど)を残すことがないがように、「A級戦犯戦争責任論」を使って賠償金を放棄する形で戦争責任の決着を図ろうとしたのではないかと言われている。


そしてこの「A級戦犯戦争責任論」は中国側において今の指導部に至るまで日中間の前提条件であり続けてきた。

したがって、A級戦犯を合祀している靖国神社に参拝するということは、中国側から見れば日中友好の前提条件を覆す行為と受け止められることになる。


一方日本側も、中国は戦時賠償請求権を放棄したことに感謝し、それが1979年から開始された中国向けODAとなった。
※これは、もともと裏の約束があった、という人がいるかもしれないけど、そのあたりはよくわかりません。
※ちなみに、日本は韓国に対しても「日韓基本条約」とは別に「日韓請求権協定」を締結し、「賠償金」ではなく「経済協力」という形で財政的支援を行っています。

なので、現時点で既に3兆3千億円(!)を超える中国向けODAは、形を変えた戦後賠償だ、十分戦争の補償をしたじゃないかという見方もあながち間違ってはいない。


ところでこの日中国交回復時の「A級戦犯戦争責任論」は時の周恩来が自国民向けの説明に用いたもので、日中共同声明には条項として盛られていない。

したがって、日本側政府としては「A級戦犯戦争責任論」を公式に認めてはいない。


そして今回の反日騒ぎは、最近の中国国内における

①指導者のカリスマ性の低下

「中国権力者たちの身上調書」にあるように、小平までの指導者に比べ江沢民はかなり小粒で自らの権力の維持に汲々としていたし、胡錦濤らの「第四世代」(これもそもそも小平が登用をはじめた)の真価はこれから、という状況らしい(著者はそもそも江沢民に批判的なスタンスです)。

②反日ナショナリズムの存在

小平没後の中国では、「共産党による一党独裁の正統性強化」のために抗日歴史教育を中心とするナショナリズム教育が積極的に行われた。
特に江沢民政権時代は(天安門事件で失脚した先輩指導者がトラウマになってか)さらにそれが助長されたらしい。
そのためわずかなきっかけで反日運動がに火がつきやすい状況にある。

③中国政府への国民の不満

経済成長の不均衡、沿岸部・内陸部の所得格差、役人の汚職、失業問題、共産党の一党独裁への不満、(特に富裕層の)
更なる政治参加への欲求等の諸問題は、現代中国の抱える重要な政治問題となっている。

という背景事情があって、

このような状況で、中国政府が安易に小泉首相の靖国参拝を容認したとすると、反日ナショナリズムの怒りの矛先が「弱腰」の現指導部に向けられる危険性が大きく、
さらには
「そもそも「A級戦犯戦争責任論」はおかしいのではないか(日本人はすべて戦争責任があるのではないか)」
「戦時賠償を請求すべきではないか」
などとエスカレートした場合共産党政府の従来の方針、基盤となっている論理自体を覆す方向に働きかねないと危惧されているんじゃなかろうか。


というわけで、中国政府は靖国参拝には(日本から見ると)過剰反応するのだろう。

こう考えると、過去の経緯から配慮しなければいけない部分もあるけど、筋違いじゃないか、という部分もありますね。



じゃあ、日本はどうすればいいか、ということですが、

① 日本の戦争責任についての見解を明確にする(これは事あるごとにしているわけですので、これ以上はいいのでは)
② 靖国神社でなく、宗教性(宗派性?)のない戦争犠牲者慰霊施設を作る。
※そこにはA級戦犯も、非戦闘員である一般市民も全部まとめて慰霊するのがいいんじゃないかと思う。
※中国の「A級戦犯戦争責任論」はわかるとしても、日本は、成仏できないように敵の死体を切り刻んだり豚に食わせるというような徹底した報復をする文化(これは中国人が野蛮だ、といっているわけではなく、死者に対する日本独特の考え方があるのでは、と言っているだけですので誤解のなきよう)とは違うということを説明して理解してもらうしかないでしょう
※もっとも、日本人の中での戦争責任の総括(これも必要だと思う)の結果、「A級戦犯はけしからんから決して許すな」となったら別です(そうはならないと思うけど)。

まあ、結論からいえばありきたりだけど、この程度しかないのではないでしょうか。


こっちが筋的に文句を言われる隙を与えなければ、中国も上の②のような日本をスケープゴートにするようなことを安易に続けられないんじゃないか、と思います。

※ それでも過去の残虐行為を云々というなら、共同で歴史検証でもしますか?
  いや、政府間の公式研究だとどうせもめるからしないほうがいいかな?
  でも、民間レベルだと当事者によっては「自虐史観」派云々(レッテル貼りはいかがなものかと思うが、客観的な事実の検証を冷静にできない人は適任ではないと思う)の問題もあるか・・・
  となると、これは現実的には難しいかもしれないですね。
コメント (2)
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