一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

柳沢大臣の発言

2007-02-04 | まつりごと

柳沢厚生労働大臣の実際の発言については、ネットを調べた範囲で一番詳しいのが スポーツ報知の記事です。

◆柳沢厚生労働相発言要旨 
なかなか今の女性は一生の間にたくさん子どもを産んでくれない。人口統計学では、女性は15~50歳が出産する年齢で、その数を勘定すると大体分かる。ほかからは生まれようがない。産む機械と言ってはなんだが、装置の数が決まったとなると、機械と言っては申し訳ないが、機械と言ってごめんなさいね、あとは産む役目の人が1人頭で頑張ってもらうしかない。(女性)1人当たりどのぐらい産んでくれるかという合計特殊出生率が今、日本では1.26。2055年まで推計したら、くしくも同じ1.26だった。それを上げなければいけない。

デリカシーのなさという問題はさておき、柳沢大臣は何を言いたかったのかを考えてみます。
とっくりさんが指摘しているように、ベビーブームには世代間の周期があるものの、団塊世代の約25年後に生まれた団塊ジュニア世代の25年後である2000年頃から「団塊ジュニアの子供世代」の人口増というのが見られません。
そして、そこから先は世代ごとの人口増加がなくフラットになるとすれば、2055年までの合計特殊出生率が今と同じになるのも(たぶん)当然なのだと思います。

柳沢大臣はつまり、年金問題とか経済成長に寄与するための実労働人口の増加は、出産増から20年以上経過する必要があるので「今すぐ子供を生む」ことが大事、という、まあ当たり前のことを言っただけですね。
機械に例える必要すらなかったんじゃないかと思いますが・・・

そして、今の女性がすぐに子供を生みたくなるような政策を考えるのが大臣お仕事のはずですよね、「がんばれ」だけじゃなくて。

よくある補助金などももっと効果的かつメリハリをつけた設計をする必要があるでしょうし、シングルマザーへのサポートを厚くするとか、今まで政策の外にいた人への社会的偏見の解消も必要なのではないかと。
また、そもそも「こいつの子供を生みたい」というような男が減っているという男性側の問題もあるかもしれないですし・・・

つまり、柳沢大臣の発言の一番の問題点は政策も人口増加がもたらす結果も考えずに「がんばれ」と言うしか能がない大臣であることにあるように思います。


それにこの前紹介したイースタリーの『エコノミスト南の貧困と闘う』では、経済発展は少子化に結びつく、という研究が引用されています。

ノーベル経済学賞受賞者のゲーリー・ベッカーは、れいせいなまでに、「インセンティブ」を家族生活の分析に適用する研究を開拓した。彼が指摘したのは、豊かになればなるほど、時間の価値が高まるという点である。高賃金の仕事に時間が費やされない場合には、所得の損失となる。子供を育てるとは、時間を消費することである、と私も請合える。豊かな家庭の親は仕事に多くの時間を費やし、子供を育てる時間を減らすことを選ぶ(すなわち子供の数を減らす)。貧しい家庭の親は、労働賃金率が低いから、子供を育てる時間を多く持とうとする(すなわち子供の数を増やそうとする)。
 豊かな家庭は貧しい家庭よりも子供の数は少ないが、子供一人当たりへの投資は多い。技能(スキル)への投資からもたらされるリターン(収益)は、技能の初期水準に応じて増加すると考えられる。幾何学を学習するときのリターンは、すでに算術を習得した者のほうが高い。豊かな両親の高い技能水準が、一部は自然な家庭学習を通じて子供に伝えられる。したがって質の高い学校教育に投資する場合、貧しい家の親子よりも、豊かな家の親子のほうに、より高いリターンをもたらす。このため、豊かな家庭は貧しい家庭よりも技能習得に多くの投資を行うのである。一国全体としてみれば、両親の平均的な初期技能水準に応じて、高出生率・低所得社会になったり、低出生率・高所得社会になったりする。

先日紹介した『超・格差社会アメリカの真実』でも、アメリカでは、移民層や貧困層のほうが出生率が高く、それが格差の固定化につながっている、という現状を指摘しています(上の発想はそういう現実を踏まえているのかもしれませんね)。


個人的には野党も大臣の辞任を要求して審議拒否するより、もっと真剣に議論したほうがいいと思います。

コメント
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