1997年から2005年までヒューレット・パッカードのCEOとして業績を建て直し、コンパックとの合併を果たし、そして2005年に取締役会から突然解任されたことでも有名になった女性「カリスマCEO」カーリー・フィオリナ氏の自伝です。
原題は"Tough Choice"。
本書の中でも、コンパックとの合併、自らの(勧告に従った)辞任、そして沈黙を破ってこの本を書いたことなどさまざまな意味がこめられています。
(「売らんかな」もわかるのですが、目立つこと第一主義の邦題が多いのはどうにかしてほしいもんです。)
前半はビジネス界での出世双六のような成功譚です。
著者は(多少の回り道をしながら-そのときに受付をやっていた-)ビジネススクールを卒業後ATTに幹部候補生として入社し、持ち前の行動力でさまざまな経験をしながら順調にキャリアをつみます。
そしてATTの分割に際してルーセント・テクノロジーズに移り、そこのCEOからHPのCEOにヘッドハントされます。
ATT・ルーセント時代は、男性中心のしかも大組織において女性がどのようにして出世していくかのロールモデルといえます。
また、それぞれの難題に対しても、あたかもビジネススクールのケーススタディのように鮮やかに対処します。
そして、HPに移っても、コンパックとの合併の意思決定と困難な合併作業を手際よく仕上げるあたりまでは歯切れ良く進みます。
ここまではビジネス書として十分面白く、学ぶべきところは大だと思います。
ところが、解任の段になると途端に明解さがなくなってしまいます。
本書から読み取るに、著者は自らが解任された原因を次のように考えています。
① 取締役会のメンバーの変化
経営がわかっている大企業のCEOが退任し、SOX法により会社と無関係の第三者の「経営の素人」の社外取締役への登用が義務付けられた。
② 取締役会の暴走
そして取締役会は、自分たちで考えた妙な組織再編案を持ち出したり、CEOと取締役会のコミュニケーションのなさをCEOの責任としはじめていた。
③ マスコミへのリークと内紛
①の取締役しか知りえない社内の不協和音が、誰かのリークによりウォールストリートジャーナルの記事になり、これに対して著者が取締役会メンバーの調査に入った時点で破局が決定的になった。
ところが、今読んでいる『CEO vs. 取締役会―株主主権時代の権力闘争の行方』(正しくはこちらを買ったついでに、解任された本人の言い分を聞いてみようと本書も買った、という順番で、こちらの書評もおってアップします)によると、見方は変わってきます。
- 2000年以降の一連の企業不祥事以前はCEOが互いの企業の取締役となっていて、「自分がされたくないことは相手にもやらない」と実質的に取締役会の経営監視が効いていなかった、というのが反省としてあった。
- HPの取締役会はフィオリナの作ったそれぞれの事業ユニットをCEOが集権化するためのマトリックス型の組織構造が複雑で多層化しすぎていて機能していないと懸念していた。誰も明確な責任を負わず、一方で中央集権のトップにあいるフィオリナは頻繁にオフィスを留守にしていて(最後の2005年には130回もの講演をしていた)、問題が解決されないままだった。
- また、取締役会の代表が組織改革を申し入れる三日前にワールドコムの前取締役10人が和解条件の一部として私財1800万ドルを支払うことに合意した、というニュースが入り、取締役も何かあったときに自らの責任を意識せざるを得ないという状況もあった。
- 一旦はフィオリナも組織改革を検討することを約束し、取締役会との関係が修復に向かったが、リーク事件をきっかけに責任者の探索に固執するフィオリナと組織改革を進めたい取締役会の溝が決定的になった。
つまり、コミュニケーションのギャップがある、ということの認識は共通していたものの、その責任が誰にあるか、ひいてはCEOの経営に対する裁量は無限定なのか、というところの食い違いが最後まで認識されなかった、ということだと思います。
そこには個人の能力とは別の時代の流れがあり、フィオリナ氏は最後にそれに足をすくわれてしまったのかもしれません。
本書でもフィオリナが繰り返し強調していた、ダーウィンの「生き残るのは最も強い種ではなく、最も変化に適応できる種だ」という言葉がアイロニカルに響きます。
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