一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

『CEO vs 取締役会―株主主権時代の権力闘争の行方』

2008-03-07 | 乱読日記


上場企業のトップは、株主、顧客、従業員、仕入先、工場のある地域コミュニティなど全体の最善のバランスを考慮したうえで企業を経営する必要がある。


最近買収防衛策を導入した日本企業の社長のセリフのようですが、実はこれは1950年、GEのCEO、ラルフ・コーディナーの言葉です。

これは昨日のエントリでちょっと紹介した『CEO vs. 取締役会―株主主権時代の権力闘争の行方』の中の一節です。

本書はタイトルのとおり(原題も"Revolt in Boardroom"「取締役会の反乱」)2005年以降立て続けに起きた「大物CEO」の取締役会による解任(HPのフィオリナ、ボーイングのストーンサイファ、AIGのグリーンバーグ)を軸に、コーポレートガバナンスをめぐる環境の変化を論じた本です。

単に内幕ものではなく、歴史を俯瞰して今CEOや取締役会が置かれている状況を冷静に分析しています。

アメリカの企業は創業者(オーナー)が経営した時代から1923年アルフレッド・スローンがGMの社長になって以降「経営管理者」の経営に、そのときから「所有と経営の分離」という問題が顕在化します。
しかし経済恐慌を受けた1930年代の証券取引法、SECの設立にもかかわらず大企業は戦時経済の下で力をつけ、CEOが取締役会会長として取締役会を支配する構造が20世紀を通じて強化されてきます。
そのころの「物言う株主」としては、当初はいわゆる総会屋や社会運動家であり、その後は乗っ取り屋・グリーンメイラーなどはいたものの、CEOが取締役会を支配する構図は変わりませんでした。

ところが21世紀に入って、相次ぐ企業不祥事によるSOX法や証券取引所の規制強化による取締役会の独立性の強化・取締役の責任強化、さらに、年金ファンド、株主助言サービス、社会派アクティビスト(環境NGOからキリスト教団まで)、ヘッジファンドなどの資金力・発言力の高まりをうけて、CEOは企業を支配する立場から、取締役会やさまざまな株主と協調していかなければならない存在になっています。

その時代の転換期を、ウォール・ストリート・ジャーナルの記者、CNBCのキャスターという経歴を持つ著者は、取締役会とCEOの争い、という切り口で鮮やかに切り取っています。


コーポレートガバナンスといえば日本では4月1日の会計年度から導入されるJ-Soxで大騒ぎです。
特に日本では最近、金融庁に代表されるように事後監督型に転化した行政が厳罰主義で臨むようになり、導入した制度を墨守することに過剰に精力を費やしているように思います。

しかし、ある時点で「先進的」だったアメリカの仕組みを導入したからといってコーポレート・ガバナンスが完成するわけではなく、アメリカは試行錯誤しながらも更に前に進んでいるわけです。
そうすると、日本は常にアメリカのできの悪い二番煎じから抜け出られないように思います。
そして、毎度引用しますが、マルクスの(ヘーゲルからの孫引きの)  

歴史は繰り返す、しかし二度目は茶番。

を演じることになるわけです。


本書は、アメリカのコーポレートガバナンスについて語りたい人だけではなく、そろそろ「J-なんとか」とか「日本版なんとか」というのはやめにしたい人や、J-Soxの先を展望したい人には参考になる本だと思います。


最後に、本書でも比較的現在のCEOの立場、企業に求められる社会的責任を理解してうまく適用できていると好意的に評価されているP&GのCEO、AGラフリーが、P&Gがドッグ・フードのアイムズを買収したとき、給餌試験で動物虐待が行われているとして非難されたことについてのコメントを引用します。

私たちはネズミが人間と同じほどに重要な存在だという見方には決して合意しない。同時に、私たちは法や規則に違反することに決して合意しないし、必要となるいくつかの動物試験を行わないことにも決して合意しない。しかし、私たちが何に合意しないかを明らかにすることには合意するし、お互いの考えを尊重すべきであることにも合意する。

なんかモンティ・パイソンのコントかラムズフェルドのセリフみたいですが、それだけ微妙な立ち位置に立たされている、ということなんだと思います。


今のニッポンのシャチョーさんたちの心配事は敵対的買収者の登場が中心のようですが、その先はさらに厳しい世界が広がっているようです。

 

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