一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

宿痾

2005-04-15 | よしなしごと
昨夜久しぶりに夢を見た。

<シーンその1>
マンションの上の階の人から、下の階の音がうるさいとかって文句を言われ、謝ってるところ

<シーンその2>
緊急の要件とかで会社の人間が家に押しかけてきて打ち合わせをしているところ
打ち合わせ場所は、階段の踊り場の横のホールみたいな場所。
自宅からメゾネットでつながってるか、上にペントハウス状に乗っているらしい。


どっちもあまり楽しい夢ではないんだけど、
それに対して「あれ?じゃあ、上の階に人住んでないじゃん(シーン1とシーン2は矛盾している)」と突っ込んでいる自分がいた。


この突っ込みも夢の中なのか、目が覚めてなのかは、そのまま寝てしまったのでよくわからない。

でも、寝ても醒めてもロクなこと考えてないことは確かなようだ

われながらちょいと悲しくなりました。



そういえば以前、夢で自分の言った駄ジャレがあまりにもバカバカしくて、思わず笑ってしまい、実際にあげた笑い声で目が醒めてしまった、という情けない経験がある。
(どんな駄ジャレだったかは、恥ずかしすぎて他人には言えませんが


ということは、普段夢を見ないのは、実際に夢を見ていないのではなく、見た夢をいちいち覚えていてもロクなことはないので脳の自己防衛機能が働いて自動的に忘れるようになった結果なのかもしれない・・・
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国家ってなんだろう(国際法って難しい)

2005-04-14 | よしなしごと
最近、「国家ってなんだろう」と考えさせられることが多い。

特に、過去の国家間の約束事が現在の国家間の関係をどのように拘束するか、というところが、一義的に決まらないところに問題の根源があるような感じがする。

国際法の知識がないので誤解もあるかと思いますが、素人の感想を少し。


昨日の記事では中国と日本の戦後処理の決着があいまいになってる、ということを書いた。

昔他の国と約束したかもしれないけど、そのときは俺はいなかったから知らん、というのはそれなりの理屈もあるが、じゃあ、そのとき無政府状態だったら、すべて問題を先送りにしなければならない、支配権を獲得した新政府に遡って評価される、というのもちとおかしいんじゃないかと思う。

※ そうそう、清朝との間で香港を99年間租借する条約を結んだイギリスは、
 どうして中華人民共和国に返還したのだろうか。
 これも二国間の合意なのだろうか。
 もし、中華民国が文句を言ったらどうなったのだろう。



竹島問題はもうちょっと複雑。
サンフランシスコ平和条約に大韓民国は署名してない。
しかも、同条約の署名から発効までの間に李承晩ラインを引いてしまった。
でも、両国間ではサンフランシスコ平和条約で竹島の帰属(明記されていない)をどう解釈するかが大きな議論になっている。
日韓基本条約(1965年)では「1910年8月22日以前に大日本帝国と大韓帝国との間で締結されたすべての条約および協定は、もはや無効であることが確認される。」(第2条)とある。
しかし、大韓帝国は1900年に勅令で竹島を韓国領として内外に宣言されている一方で、1905年に大日本帝国は竹島を島根県に編入している。

約束とか合意がない中で、正当性を主張するにはどうすればいいか、という話。



さらに、ヨハネ・パウロ2世の死去でにわかに注目されたバチカン市国。
バチカン市国の独立は1929年に法王庁とイタリア政府の間で締結されたラテラノ条約で認められた。当時の首相はムソリーニ。
で、イタリアが第二次世界大戦で敗戦後、領土については、参戦前の1939年に宣言したアルバニア併合が無効とされ、アルバニアの独立が完全に回復され、一方で戦争中にイギリス軍に占領されたトリポリ、キレナイカ(共に現在のリビア)、ソマリランド(現在のソマリア)等のアフリカ植民地を放棄し、これらの地域はイギリスの委任統治領になった。
しかし、バチカンの独立はそのまま。

これは侵害された権利を回復する、というものでもなく、他の国も文句を言わないからOKということなのだろうか。



一方で、チベットは歴史的には独立国として政府を持ち、機能していたが、国際的に独立国家としての地位を条約などで確認する事を怠った結果、中華人民共和国に武力で制圧され、「チベット自治区」とされてしまった。
他国から認められないと国家ではなく、その領土は「獲った者勝ち」なのだろうか。



では、最後に
イラクでサダム・フセイン政権の時に契約した外国企業の権利はすべて無効になってしまうのだろうか。
また、アメリカ主導で樹立された暫定自治政権との間で合意した(かもしれない)外国(特に米国)企業の権利は、有効に存続するのだろうか。


難しいですね、時間があったら勉強しようと思います。
また、どなたかご教示いただけるとうれしいです。
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大人の対応が必要だと思います。(日中関係 その1)

2005-04-13 | 日中関係
ここ数日、中国のデモが話題になっている。

暴徒から在中邦人を保護するのは治安維持をする中国政府の責任か、
はたまたデモの原因である日本の責任か、
などと両国政府の間で議論が交わされている(のかな?)

そもそも今回のデモのきっかけは何だったかというと、日本の教科書検定が歴史を歪曲している、ということだったと思う。

そこで考えてみると

そもそも日本の教科書検定内容を知るためには中国国営メディアが報道しなければ市民はわからないはずなので、きっかけは中国政府の誘導だったんじゃないだろうか

しかし、日本の教科書検定制度は、「検定を通らなきゃ教科書として売ってはいけない」というだけで、教師が実際に教科書の内容を教えようが教えまいが自由だし、副読本の選定も自由。
そこは、(多分)国定の教科書とカリキュラムのある中国と違う
⇒善意に解釈すると誤解があるんじゃないだろうか

また、昨日の朝のTVでやっていたけど、デモのプラカードを見ると「日本の国連常任理事国入り反対」とか「釣魚島は中国領土だ」とか、もともとのきっかけに関係のないものが多い
⇒このデモは組織されたものではないか?

となると、このデモを「中国民衆に反日感情型が高まっている」と評価するのは本当にいいのだろうか?
という疑問が湧く。

米軍のイラク侵攻のときも、バグダッドでサダムフセインの像を壊して喜んでいた映像は、ごく一部の市民を撮ったものだった、ということがあったけど、今回のデモも、「中国全土が反日感情に沸き立っている」と思うのは早計ではないか。


今回のデモは、中国政府が日本への牽制と、(ひょっとすると)国内のガス抜きのため、と考えた方がいいのではなかろうか。


中国政府はことあるごとに日本の「戦争責任」を言うが、
調べてみるとそれは、日中関係が戦争責任について国際法上けっこうあいまいなことになっていることが原因らしい。

そもそも終戦時連合国は中華民国だった。
しかし、サンフランシスコ平和条約調印の際には、中華人民共和国が並存していたので、代表権問題で米英の意見が一致せず、会議には双方とも招集されていない。

したがって、両国とも同条約第25条に定める「この条約に署名・批准した連合国」に当たらないため、
同条約の効力は両国に及ぶことはない。

その結果、同条約第14条【賠償、在外財産】
(a)日本国は、戦争中に生じさせた損害及び苦痛に対して、連合国に賠償を支払うべきことが承認される。しかし、また、存立可能な経済を維持すべきものとすれば、日本国の資源は、日本国がすべての前記の損害及び苦痛に対して完全な賠償を行い且つ同時に他の債務を履行するためには現在充分でないことが承認される。
 よって、
1 日本国は、現在の領域が日本国軍隊によつて占領され、且つ、日本国によつて損害を与えられた連合国が希望するときは、生産、沈船引揚げその他の作業における日本人の役務を当該連合国の利用に供することによつて、与えた損害を修復する費用をこれらの国に補償することに資するために、当該連合国とすみやかに交渉を開始するものとする。
(中略)
(b) この条約に別段の定がある場合を除き、連合国は、連合国のすべての賠償請求権、戦争の遂行中に日本国及びその国民がとつた行動から生じた連合国及びその国民の他の請求権並びに占領の直接軍事費に関する連合国の請求権を放棄する。


という条項も日中両国間には適用されない。


また、過去中華民国と締結した「日華平和条約」(日中共同声明により失効)、および中華人民共和国との間の「日中共同声明」「日中平和友好条約」のいずれにもサンフランシスコ条約第14条に該当するような規定はない。
(日中共同声明に「日本側は、過去において日本国が戦争を通して中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する。」という記述があるだけ。これは、田中角栄と周恩来の国交回復を最優先にした「大人の解決」の結果だと言われている。)


つまり、中国政府としては、ときどき「戦時賠償カード」をちらつかせて、日本政府を牽制する必要があるわけ。
*************************
【4/28補訂】
その後よく調べたら日中共同声明の第5条に
「中華人民共和国政府は、中日両国国民の友好のために、日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する。 」
とあります。
なので、ここは「戦時賠償カード」というのは適切ではないと思います。
あえて言うなら「戦争責任論」でしょうか。
*************************

だとすると、過剰反応は禁物だと思う。
かといって完全無視だと中国政府も面子が立たないだろうし、逆に沈黙を弱腰と勘違いしてより居丈高に凝られても迷惑なので、「遺憾の意を表す」とか「やりすぎたら怒るぞ」程度の意思表示(ジャブの応酬)は必要なんだろう。

そして、中国側があまり調子に乗りすぎた、と思ったらしっかり釘をさすことも必要だろう(多分、彼ら自身とか国際世論が「あ、やりすぎだな」と思った瞬間を捉えるのが効果的だと思う)。


日本政府もバカじゃないんだろうからその辺は承知で外交的駆け引きをやっているんだと思う(のだけど)。


だから、僕らも、マスコミにおどらされず、大人の対応をしたほうがいいと思うのだが、いかがでしょうか?
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ところで西武鉄道はこのままでいいのか?

2005-04-12 | あきなひ
ライブドア問題の陰に隠れているけど、コクド・西武鉄道も実はかなり問題なんじゃないかと思う、という話。

朝日新聞(アエラ)の記事をもとに西武鉄道を巡る経営再建策をおさらいすると

++++++++++++++++++++++++++++++++

 株主偽装問題で西武鉄道の上場廃止が決まった後の昨年11月、約1兆4000億円の有利子負債を抱えるとされる西武・コクドグループを立て直そうと、メーンバンクのみずほコーポレート銀行が主導して「経営改革委員会」が設けられた。
 委員長は、同行前身の旧日本興業銀行出身の諸井虔太平洋セメント相談役で、みずほコーポレートの幹部が委員に就くなど、「みずほ色」の濃い陣容。
 その経営改革委が1月末にまとめた中間報告には、西武鉄道株の約70%を持つコクドを、堤家の資産管理会社(BADコクド)と事業会社(GOODコクド)に分け、GOODコクドを西武鉄道と合併させる案が盛り込まれた。
 同時に2000億円規模の増資をし、旧コクドを支配していた堤家は持ち分数パーセントの少数株主に転落。GOODコクドと合併した新・西武鉄道は株式を再上場し、新たな増資先を含めて株主は上場益を得る、というシナリオ。

 西武鉄道は約8000億円の負債はあるが、単体決算は黒字の優良企業。一方、約4000億円の負債があるとされる親会社のコクドは、非上場のため詳細な経営内容は不透明だが、バブル崩壊後の地価下落などで資産はかなり傷んでいるとみられている。そのコクドと西武を合併させて再生させようというわけ。

++++++++++++++++++++++++++++++++

 でもさ、これって一時期話題になった、ライブドアのフジテレビに対するLBOと同じ構図なんじゃないか?

朝日新聞の言うようなLBO(俗にいうLBOとはちょっと違うんじゃないかとは思うけど)すなわち支配株主が自分の借金を買収する子会社の資産の売却によって返す、のと同じ。
違いは親会社の融資元がシナリオを書いているってとこだけ。


これに対しては、他の融資行(東京三菱、三井住友)は文句を言っているらしい。

さらに村上ファンドの村上氏は

*******************************

「改革委は西武、コクドの資産が複雑に絡み合っているので『一体再生』と言いますが、本当でしょうか。西武は、プリンスホテルが立つ赤坂、高輪、品川などの不動産を持っていて、これらの都心の不動産価値を私は1兆5000億~2兆円と見積もっています。不良資産のあるコクドを優良資産を持つ西武と一緒にするのは、西武の株主から見ておかしい」

という。

確かに村上氏の言うことは、動機はさておき筋は通っている。
2000億円規模の増資計画で、みずほが持つ西武・コクド向け債権を株式に転換する手法(デット・エクィティ・スワップ)がとられれば、みずほはニューマネーをつぎ込まずに、将来の上場益を手にすることができる。

*****************************

冷静に考えると、コクドの不始末で手元の株券が上場廃止になった西武鉄道株主は、コクドの債権者を救う義理はない。
普通はこういう場合、民事再生を申し立てて、借金をチャラにし、資本金を減資して(=株主&債権者に痛みを分かち合ってもらって)再建計画を立てるんじゃないだろうか。

なおかつデット・エクィティ・スワップを使えば、自分の焦げ付きそうな債権が健全西武の株式になる、というのも、不公平な気がする。


これこそ「少数株主の権利をないがしろにしている」典型例なのではないか。


でも、マスコミはこの件は飽きた感じ。
そうすると、ニュース配信を既存のメディアに依存しているプロバイダのサイトでもニュースにならない
⇒blogでも取り上げられない
となってしまうが、本当にいいのだろうか。


ちょっと気になるネタではある。


PS
ところで、上の例でのみずほのやり口はどうかと思うが、一方村上ファンドも、上の記事を読むと、みずほに油揚げをさらわれたことに文句を言っているが、結局商談がうまくまとまらなかった(詰めが甘かった)のを、一般株主の大義名分は自分にあるとして経営者を批判するのも、どうかと思うけど。
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鯨を逸して鶴を得る

2005-04-11 | 飲んだり食べたり
先日酒屋をのぞいたら、酔鯨の純米が置いてあった。
しかしそのときは残念ながら荷物がいっぱいで買うのを断念。

しかし今日酒屋をのぞいたら
既に完売
何本かあったので油断した・・・


しかし、気を取り直して棚を眺めると、土佐鶴の承平が置いてあった。

地元のお気に入りの和食店でのスタンダード。普通の本醸造(精米歩合70%)だが、冷やで飲んでも雑味は感じられず、すっきりとした中に味わいがある酒という印象がある。

なにより1,900円とコストパフォーマンスは抜群。

急に元気になって家に帰る


家に帰って包装紙の後ろを見ると、「土佐鶴」の由来が書いてあった


今を去る千有余年の昔、土佐国司の任を終えた紀貫之は帰洛の途上、蒼海と松原に舞う鶴の一群を眺め、土佐への慕情たっぷりに一篇の歌を詠みました。

 「見渡せば 松のうれごと 棲む鶴は 千代のどちとぞ おもふべらなる」

土佐鶴の酒銘はこの歌の吉兆鶴にちなみます


土佐日記blogさんから引用させていただくと

<「土佐日記」原文>

 かくて宇多の松原を行き過ぐ。その松の數いくそばく、いく千歳経たりと知らず。元ごとに浪うち寄せ枝ごとに鶴ぞ飛び交ふ。おもしろし、と見るに堪へずして、舟人の詠める歌、
 「見渡せば松のうれごとに棲む鶴は千代のどちとぞ思ふべらなる」
 とや。この歌は所を見るに、えまさらず。

<現代語訳>

 こうして宇多の松原を行き過ぎました。その松の数はどれほどなのか、何千年たっているのかわかりません。根元ごとに波が打ち寄せ、枝ごとに鶴が飛び回っています。いいなあ、と見ているうちに我慢できなくなり、船の中の人が詠んだ歌。
 見渡すと、松の枝ごとに住む鶴は、松を千代の友と思っているみたい
 この歌は、実際の場所と比べてみれば全然及びません。



紀貫之が謙遜するほどの景色だったのでしょう。


ついでにわかったのは「承平」の由来。
土佐日記にある紀貫之が国司の館を出発した承平4年の年号から来ているようだ。


こういうことを知れば、お酒の味わいも更に深まるかな?
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花見2題

2005-04-10 | うろうろ歩き
桜があっという間に満開になって、週明けの雨で散ってしまいそうなので、昨日今日と花見に行きました

といっても場所をとっての宴会でなく、桜見物というのが正確かな。

砧公園とか新宿御苑、代々木公園、北の丸公園なんかは芝生があるからいいけど、とても混むだろうし(何年か前砧公園で渋滞にはまって大変だった)、最近は飲酒運転の罰金もきついので遠くまで宴会セットを電車に乗って持っていくのもなぁ、それに花粉症だし、などとものぐさぶりを発揮しています

ということで、「近場、ついで」がコンセプトでした。


昨日は目黒の碑文谷公園



碑文谷公園だけでなく、この近所は桜の木が多い。
普通の家に桜の大木が庭から通りに向かって枝を張り出していたりする。
商店街も「桜まつり」のノボリをたてて、甘酒をふるまっているのでちゃっかりいただく

碑文谷公園は池のまわりをぐるりと桜の木が囲んでいて、枝が池にはりだしているところはなかなか絵になる。

でも、植え込み間で池を望める場所はみんな場所取りをして宴会をしていたのはちょっと迷惑。
そんなに大きな公園じゃないのだから・・・
「キャッチボール禁止」「みんなの公園です。迷惑にならないように使いましょう。」なのにね。

貸しボートがあったが、行ったのが夕方で、受付終了していたのは残念。



今日は豊島園



遊園地の「としまえん」のなかにも桜はけっこうあって、夜は「桜まつり」と称してライトアップした桜の周りに宴会スペースを設けて料理を出すメニューがあるけど、それとは別。

地元的にはけっこう有名な中大グラウンド周辺の石神井川沿いの桜。
川沿いに延々と桜の木が並び、風が吹くたびに満開の枝から花吹雪が舞い、川面に花びらが模様を作りながら流れていくのは圧巻


今日は半袖でもいいくらいの陽気だったけど、だんだん風が強くなって、明日から雨らしい。

ホント、花の命は短いですが、2日間で満喫できました

PS 写真のトーンが暗くなっちゃいましたね。デジカメの露出調整を勉強します。
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程度が低すぎます

2005-04-10 | 余計なひとこと
マスコミのライブドア熱は一段落してしまった感じ。

今朝テレビを見ていたら、ライブドアの広報の女性が子持ちかどうかなんていう話が出ていた。
でも、これって何の意味があるのだろう。

経済ニュースとしてはどうでもいいし、
芸能人でもない、職務上の都合でテレビに出る人のプライバシーに踏み込んでいいのだろうか。

内容まで見なかったので詳しくはわからないが、子持ち、ということが話題になるのだからシングルマザーかバツイチなのだろうが、それが話題になること自体、シングルマザーたちへの社会的偏見を助長してないだろうか?


ホリエモンが放送局を支配するのは「放送の公共性」に反すると言っていた人たちは、この報道が

放送法

第三条の二  放送事業者は、国内放送の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。
一  公安及び善良な風俗を害しないこと。
二  政治的に公平であること。
三  報道は事実をまげないですること。
四  意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。

に照らして適当だと考えているのだろうか?


まだ、シングルマザーだろうがなんだろうが中途採用をするライブドアのほうが、まともじゃなかろうか。


なんていちいち腹を立てるのは大人として不適当なんだろうかな・・・
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ポトラッチもどき?

2005-04-09 | 飲んだり食べたり
昨日は派遣社員の女性たちも遅くまで残業していたので、食事がまだの連中を誘って飲みに行った。

既に食事を済ませた連中は、なんとマクドナルドのハンバーガー
閉店間際に近くの店で買ってきたらしい

残業で運動不足にくわえて夜遅くなってからそんなもん食べていたら死ぬぞ、と思うのだが、若者の味覚は既に毒されているのだろうか


さて、行ったのは会社の近くの中華風居酒屋。
昼の麺類がうまいので試しに夜に行ったところ、安くてボリュームがあって美味しいので以来贔屓にしている。それに、遅い時間に行っても12時くらいまでならいさせてくれるのもうれしい。


行ったメンバーの中で、とてもよく食べる派遣社員の女性がいた。
店に入ったとたん、大皿の乗っている料理を見て、「私唐揚!」と叫ぶ。しかも「私2個ね!」
おいおい、飲み物注文してからにしてくれ

嬢は食べっぷりもよく、よくしゃべり、しかも体格も立派という走攻守三拍子そろった好選手で、一緒に飲んでてなかなか楽しいキャラ。

話がもりあがっていると、突然嬢が「私の唐揚は」とびっくりしたような声を上げた。

骨付きなので証拠を検証しようと皿をみると、確かに骨は1つぶんしかないので2個確保したはずの嬢の「唐揚権」が侵害されている。

すると、後から遅れて来た別の女性が「あれ?ちゃんが1個私にくれたんじゃない

そういえば、嬢は、自分で食べるだけでなく、「はいサラダ」「はい餃子」「叉焼どうぞ」と次々と他人に取り分ける。それも、ちょっとでも相手の皿が空くとすかさずよそってしまうくらいの勢い。
なんだか遊びに来た孫をもてなすおばあちゃんのような世話の焼き方。

なかなかにぎやかでいいが、今回は世話好きな性格が災いしたらしい。

そこで僕は「自分ひとりが食べるのは後ろめたいからじゃないの?」と突っ込みを入れた。
ひとによそるのは、次に自分によそる準備動作ではないか。

すると、横から
「でも、go2cさんだって、『ビールおかわりいらない?』とかってグラスに残っている人に聞きまわって、結局自分だけおかわりしてましたよ
と逆に鋭く突っ込まれた。

苦し紛れに
「『情けは人のためならず』を地で行っているんだ(その場で自分に情けを返してどうするんだ・・・)」、とか
「返杯を期待しての行動はポトラッチの変形として人類学的にも説明できる(まったくのデタラメw)」
などと屁理屈をこねるも「言い訳以下」と却下され、
結局、嬢とともにこの日の「飲兵衛King and 食いしん坊Queen」の称号を与えられる事になってしまった(笑)


今週は年度始めでバタバタしてたけど、和気藹々で終わってよかった、というはなしでした。
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アキレスと亀、と自然渋滞

2005-04-08 | 乱読日記
通勤用図書の最近のテーマは「読んでなかったベストセラービジネス書を読んでみよう」。
素直でない性格が災いし、ベストセラーのビジネス書に対しては、売れている、というだけで中身が薄いんだろう、などと決め付けてしまって、ほとんど読んでいない

でも、売れるからにはそれなりに学ぶべきところがあるのだろうし、少なくとも読みやすいはずだ、ということで、前回からビジネス書シリーズになっている。

今回は『ザ・ゴール-企業の究極の目的とは何か』

生産管理の改善の理論であるTOC(Theory of Constraints:制約条件の理論)の提唱者が、その理論をわかりやすく小説仕立てにしたもの。

「全米250万部」とか「日本で出版されると世界経済が破滅してしまう、と著者が翻訳を許可しなかった」(出版が1984年、日本版が2001年)とか麗々しいキャッチコピーがならんでいる。

が、先入観を捨てて読むことにする
※550ページと分厚いので、紙質は軽いものの、立って読むにはちょっとつらいけど


まだ半分くらい読んだところだが、だいたいこういうことを言おうとしているらしい


生産管理の今までの手法は、企業の目標(GOAL)を達成するのに役立っていない、


「目標」とはシンプルに考えると
①いかに多くを販売するか(作るか、ではない)
②いかに在庫(仕掛品とか投資)を減らすか
③いかに生産にかかる費用を減らすか
を同時にコントロールすればいい。


つまり、「売れるだけの製品を必要最小限の投資・費用で作る」ということ


ただ、言うのは簡単だが、実現できている企業がほとんどない。
その原因は
A 工程のどこかが滞ると、後工程の生産量が減る
B 各工程それぞれで生産のばらつきがある
C AとBが重なると、そのときどきの一番少ない生産工程に全体がひきずられる結果、想定した平均生産量をはるかに下回る完成品しか作れない
ためなのだ、というところまで読んだ。


ここから、それをどうやってコントロールしようか、という後半にはいる。


ところで、ここで出てくる例えが、子供をピクニックに連れて行く話。
子供が一列になって歩くと、歩くペースが子供によって変わるので、遅い子がいると前との間隔があくし後ろがつかえてしまう。
だから先頭(最初の工程)がどれだけ早く歩いても最後の子(製品)は一番遅い子のペースに影響されてしまう。
その結果、列全体のスピードは子供たちの歩く速度の平均よりかなり遅れる。
かかる時間はそのときそのときの一番遅い子の速度の積分になる、というのかな?(自信なし


言われてみればなるほど、という話。この手の現象はけっこうあることに気付く。


たとえば高速道路の自然渋滞で、後ろの車が前の車よりちょっとだけ減速をする、ということが続くと、最後は停止してしまう、というのも同じ話。


ゼノンの「アキレスと亀」のパラドックスも「追いつくまで」を前提に議論をしたので、亀を追い越せない、ということになっちゃうんだろう(これはちょっと乱暴ですが)。


前半部分は「言われてみればあたりまえ」のことを理論的裏づけをもってわかりやすく説明してくれているので、なかなか面白い。

少なくとも125万部分くらいは納得です。

ザ・ゴール ― 企業の究極の目的とは何か

ダイヤモンド社

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紅茶のおいしい淹れかた

2005-04-07 | 乱読日記
昨日の記事で紹介した『生半可な學者』をもう一度パラパラ読みかえしてみました。

その中で、ジョージ・オーウェルがエッセイで「おいしい紅茶の淹れ方11か条」を書いていることを紹介しているくだりがあります。

要約すると
①中国茶ではなくインド茶かセイロン茶を使う

 紅茶ならそうなんでしょうね

②金属ではなく陶磁器製のポットを使い、一度に大量に出しすぎない

③ポットは前もって暖めておく

 これは僕もやってます

④葉の量は気前よく。1リットルのポットなら茶匙山盛り6杯程度

 1リットルのポットって、相当大きいですね。

⑤茶漉しが中にはいったポットは不可。お茶が自由に「泳げる」ように

 この時代にもそういう「便利物」はあったんですね。
 今でいえば後片付けが楽だからティーバッグに入れて、なんていうのはダメ、ということでしょう

⑥沸騰したお湯をポットに入れるとき、やかんを火から離さぬように

 柴田先生は「沸騰したてかどうかという議論がある」と書いてます

⑦途中で一度かき回す

 これもやってます

⑧カップは円筒形で口の狭いものを。口が広いとさめるのが早い

 おしゃれな薄手のティーカップはだめ、ということなんでしょう

⑨ミルクに浮いたクリームは取る。脂肪分が多すぎるとまずい。

 うーん、細かい・・・僕はミルク入れないからなぁ

⑩カップにそそぐのはお茶が先、つぎにミルクを

 焼酎のお湯割の議論みたいですね
 オーウェル先生曰く、このほうが調整しやすいとのこと

⑪砂糖は入れない「砂糖を入れるのは、コショウか塩を入れるのと変わらない」と手厳しい

 僕も入れないですが、これは好みだと思うんですけどねぇ

ということです。


さすが紅茶の本場だけあって、いろいろこだわりがあるようですね。
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「スカーレット・オハラる」

2005-04-06 | 乱読日記
今日は「うつ」の話から。

友人の精神科医のたとえ話で、「うつ」というのは「脳の疲労」で、筋肉や内蔵と同様に、脳も負荷をかけすぎて限界を超えると、機能が衰えてしまう状態をいうのだそうだ。

ただ「うつ」のやっかいなところは、筋肉痛と違って限界を超えたかどうかが本人にもわからないので、普段頑張っている人は「こんなことじゃいけない!」と一層負荷をかけてしまい、→しかし思ったように動けない→さらに精神的に追い込まれる、という悪循環に陥りやすいところだそうです。

そうなったときの一番の対策は(最近の抗うつ剤は副作用もなくいいらしいのですが、それに加えて)「何もしないでグダグダしている」ことなんだとか

ただ、けっこうこれが難しくて、家族や友人や仕事仲間は「ガンバレ」なんて(善意なんだろうけど)余計な励ましをもらうと、それがプレッシャーになってしまう。
頑張れないから「うつ」なのにね・・・

そうならないように、脳もときどき、
気分を切り替える=ストレッチで違うところを伸ばす、
開き直る=過大な負荷をかけすぎない、
とかデレーッとする=弛緩させるというのも、
重要なんでしょうね
※ 僕は最近弛緩しすぎで脳の筋力が落ちているような気もしますが、それは別の問題ですね


この気分転換の名人が、「風とともに去りぬ」のスカーレット・オハラだ、というのが、売れっ子(もはやカリスマ?)翻訳家の柴田元幸さんのエッセイ『生半可な學者』にある。
なんでも、学生のころ「スカーレット・オハラる」という言葉が仲間うちで流行っていたとか。

ちょっと長いが引用すると

 かの壮大な歴史小説『風とともに去りぬ』の愛すべきヒロインは、南北戦争で世の中はめちゃくちゃになるわ、父親はいっぺんにモウロクして赤ん坊同然になるわ、いとしいアシュリーは現実適応能力がまるっきりないわ、てな具合で彼女の世界が抱え込んだ問題をぜんぶ一人で解決しなきゃならない。食べ物はない、お金はない、北軍がいつ攻め込んでくるかわからない。ああ、どうしよう? とスカーレットは思い悩む。そして彼女はどうするか? たいていは、明日考えることにして、寝てしまう、のである。これを我々は「スカーレット・オハラる」と呼んだのだ。彼女がよく使う文句でいえば"Tomorrow is another day" (明日は明日の風が吹く)である。
 この、寝てしまう、というところが、愛すべき我らのスカーレットのもっとも愛すべき点ではないかと思う。そして彼女は、明日になったらその問題をふたたび考えるだろうか? 答えはノー、たいていは問題の存在さえきれいに忘れている。こういういい加減さもまた、彼女の愛すべき点である(いうまでもなく、「忘れる」ことも「スカーレット・オハラる」ことの一部である)。もちろん生存そのものにかかわる問題となれば、彼女もそれなりに真剣に考える。けれど、とりあえず死ぬわけではないトラブルについては、彼女はそれに対処することではなく、忘却の彼方に押しやることによって解決するのだ。時には問題のほうで勝手にみずからを解決してくれることだってある。まさに「明日は明日の風が吹く」のだ。


確かに、寝てしまう、といういい加減さ、いい意味での無責任さは、現代人に必要な資質の一つかもしれないですね。

※ただ、日本は社会的地位を得るほど公的な立場において無責任になる、という傾向があるようなので、それは問題だと思うのですが・・・(私生活で無責任なのはいいとしても、ね)


しんどいときは"Tomorrow is another day"でいきましょう



生半可な学者―エッセイの小径

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イタリア系ドイツ人の英語?

2005-04-05 | 余計なひとこと
今朝朝刊を見ていたら、メルセデスベンツ広告で"CLK designo by Georgio Armani"という
世界100台限定特別仕様車の広告をしていた。

"designo"と"by"の組み合わせが何か変だな・・・
"designed by Georgio Arman"か"designo da Georgio Armani"じゃないか、とつっこもうと思ってメルセデス・ベンツ日本の公式HPを見たら「CLK デジーノ by ジョルジオ・アルマーニ」と日本語で書いてあった

つまり"CLK designo"というシリーズがあって、その中でGeorgio Armaniがデザインしたのが今回の商品、ということらしい。
さすがにベンツ、簡単につっこませてはくれない



それだけじゃちょっと口惜しいので「世界限定100台」ってことは"designo"というラインアップは世界共通なのかな、と検索してみると、メルセデスベンツのグローバル公式HPに"designo"というのがあった。

これはCLKクラスに限らず、特別色、ハンドステッチの革シート、内装のウッド/石貼りパネルなどのオプションのラインナップをいうようだ。

中身は各国のサイトへ、ということなので試しにイタリアのHPを見てみると、質実剛健のベンツにしてはちょっと艶っぽいオプションが並んでいる。
※ここのサイトはかなりかっこいいです


メルセデスベンツは最近CLSクラスなんていう不良オヤジ向けシリーズ(って「LEON」の購読者かいw)を出したりしてるから、マーケティングサイドから路線変更(拡大)の要望が出たのだろうか。


ドイツ人家庭にアメリカ人の奥さんが来たけれど、今ひとつ垢抜けないので、今度はイタリア人の甥っ子を居候させよう、ということかな?


ところで日本ではこの"designo"というオプションメニューはないみたい。
日本だとスポーツ・パッケージとかAMGとかの「オジサン走り屋」系のオプションしかないし、街で見かけるのもほとんどシルバーばっかりなので、メインの顧客層には「艶系」はあまり受けないのかな?
※ほかの国のサイトも見てたら(馬鹿にするわけじゃないけど)ポーランドにだってあるのにね・・・

僕的にはこういうオプションがあったほうが売れると思うのですが(とか何とか言って、ベンツなんて買えないんだけどね


ちなみにCLK designo by Georgio Armaniのお値段は1260万円、普通のCLK320が842万円に比べてエンジンが5リッター+Giorgio Armaniというのが400万円というのは高いのか安いのか?

でも、「世界限定100台」といわれた途端に即座に手を上げる金持ちはいるんだろうな。

まあ、買うような人は、どのみち法人名義で買うし、価格が高いほうがその分減価償却費も多く計上できるんでいいや、くらいにしか思っていないんだろう


僕と周りのクルマ好きの話とか、お金持ち(私が知ってる範囲の)のクルマ事情とか機会があったら書きますが、今日は何か「広告へのつっこみ」→「車好きのウンチク」→「貧乏人のひがみ」みたいな嫌な展開になってしまったので、ここでおしまい


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美女と野獣とみのもんた

2005-04-05 | 余計なひとこと
昨日(月曜)の朝、テレビを見ていたら、みのもんたが司会の番組があり(朝もやってるんですね)、そこでSBIの北尾社長のインタビューの紹介とゲストとして出演しているライブドアの広報担当の女性がそれについてコメントしていた。

出かける前の短時間しか見なかったのだが、特に印象的だったのが、みのもんたが北尾氏に厳しいところ。

一言で言えば「横柄だ」「尊大だ」というトーンの批判なんだけど、北尾氏もみのもんたにだけは言われたくないと思うんだけどな・・・

近親憎悪みたいなもので、キャラがかぶっている相手には自然と敵対的になるのだろうか?
鏡を見るような気分なのかな(笑)




それと不思議なのは、ライブドアの広報担当。
普通、プレス担当って、マスコミをさばいて発信する情報をコントロールするのが仕事だと思うのだけど、自分が一人でテレビに出てネタになってどうするんだろう?

今朝の番組は「美人広報」と「尊大北尾」の対比に「ご意見番みの」がからむという企画だったようだが、ライブドアとしてはネタのないときに若い女性を出しておけば、そんなにひどい攻撃はされるまい、という読みがあるんだろう。

でもそれって人を馬鹿にしてないかい?

マスコミとしても、「美人広報」(殺人事件の被害者が若い女性だと必ず「美人〇〇」とつくのと似てますね)なんぞと言って喜んでるから、ホリエモンに業績改善の余地ありと思われるんだよ。


PS
検索してみたら、あの広報担当の女性(乙部さんというらしい)はここ最近マスコミへの露出が多いようですね。あまりテレビを見てないので知りませんでした。

元客室乗務員(要はスッチー)の華麗なる転進とか言われてるけど、ライブドアの社員ってみんな転職組なんだろうから、みんな「華麗なる転進」なんですよね。やっぱり「元スッチー」というのは価値があるんだろうか?個人的には「スッチー好き」ではないので実感が湧かないのですが
コメント (3)
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「リスナーの皆様」はどこにいった? (フジテレビvsライブドア 番外編その5)

2005-04-04 | M&A
フジvsホリエモンは、ライブドアがニッポン放送の過半数を握ったものの、ホリエモンもとりあえずは大胆な手を打たなそうだし、SBIも「にらみをきかせる」と言っているので、膠着状態。

ニッポン放送の従業員も辞めてないし(本当に辞めるつもりがあるのかはともかくとして)、放送プログラムも従来のまま。

では、ニッポン放送がライブドアの子会社になったら出演しない、と発言したタレント(江本、タモリ、中島みゆきなど。和田アキコなんかも番組で吼えていたらしいが、詳しくは知りません。)は、結局どうするのだろう?

「ホリエモンも悪さはしないようだし、じゃあ俺様も戻ってやるか」ということで出演するのだろうか?
だとすると、結局「気に入らない番組には出演しない」ってだけじゃん

立派な声明まで出して「リスナーのために働きます」といったニッポン放送の従業員も、「今までのやり方を尊重するなら文句は言わない」ということなのか?
一般にそこまで自分の無謬性を信じる組織って、長持ちしないんだけどな・・・
※今ごろ思ったんだけど、結局誰が経営しようとリスナーに支持されなければラジオ局は成り立たないので、ホリエモンが介入したらリスナーのためにならないって言う理屈っておかしいですね。


フジ・サンケイグループの経営陣にご追従発言をしたのはいいけど、経営陣が一息ついたら応援団はいらなくなったので、ハシゴをはずされた、というところが実態だろう。
まあ、彼らにしてみれば、忠誠心を見せてポイントをあげることができればよかったのかもしれない。

あれ、じゃあ「リスナーの皆様」はどこに行ったんだ?

いろいろご心配いただいた「われわれリスナー」としては最後まで見届けて、動機が不純な発言はしっかりけじめをつけてもらいたいものだ。


<余談>

松任谷由美は「堤さんには大変お世話になったので、堤さんがいなくなったら苗場や逗子マリーナでのコンサートはもうやらない」とか言わないかな~?
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私たちのお金とコーポレート・ガバナンス

2005-04-03 | よしなしごと
昨日のコーポレート・ガバナンス論のつづき

昨日は経営者自身が自律的にまじめに経営に当たる、というのは、オーナー社長じゃないとなかなか難しい、と言う話でした。(自分が不真面目で隙あらば楽したがるたちなので特にそう思うのかもしれませんけど


では、株主の側はどこまでガバナンスをきかせることができるのか、というのが今日の話。


株主と言っても一人で上場企業の議決権の過半数を持てるような人は創業者とかじゃない限りほとんどいない。

具体的な数字は調べる暇がなかったけど、個人が直接株式投資を行っている割合はすごく少なくて、大半は個人の金も年金基金や投資信託を経由して入っている。(お金持ちは私募投信のようなprivate equityにも投資するんだろうけど)

俗に言うファンド、ですね。
年金基金や生命保険のように長期安定的な成長を目指すものや
投資信託のようにある一定のテーマに絞って投資するもの
村上ファンドのようにM&Aで経営にまでコミットしようというものもある。
(ベンチャーキャピタルのような未公開株に投資するものはここでは除外します)


上の2者は、株価が上昇すれば満足だし、経営陣に対して不満があるなら株を売却するだけ。
となるとあんまり経営自体に首をつこんだりはしない(資金規模も大きいし、投資先の時価総額も大きいので現実的でもないし)。
アナリストがちょっとうるさく質問して業績見込みを分析しようとするくらい。

そしてデイトレーダーを含む個人株主も、株価の上下に主な関心がある。


そうすると、経営に物を言うのは村上ファンドのような、企業価値が割安な銘柄に投資して、経営ごと変えてハイリターンを目指す人たちぐらいということになる。

だから、ニッポン放送や西武鉄道のような経営がまかりとおりがちになるのだろう。
※そういう意味では村上ファンドのような物言う株主は希少価値があるわけですね。



じゃあ、僕のような「小金投資家」はどうすればいいんだろうか?


株を持ってる会社がいい加減なことをやったら、代表訴訟でも提起するのか?
でも代表訴訟は売り抜け損ねた個人株主が腹いせにする手段という色合いがありような気がする(勝訴しても損害賠償は会社に対してなされるので、個人には払われないのだから)

そんないい加減なことが表ざたになる前に売り抜けたい、というのが本音だろう。


となると、結局は「情報開示が公平にされて、不当な行為(経営陣にしろ株主にしろ)は適切に処罰される」という当たり前のことにことに尽きるんじゃなかろうか。


今回のフジテレビvsライブドア騒動の議論で、当事者の属性でその是非を云々することが多かったけど、それはやっぱり間違っていると思う。


自分が直接買っている株以外に年金とか生命保険とか銀行預金の運用先がどこを経由してどんなところに投資されているかは実のところわからない(年金資金運用基金が西武鉄道株の売却で80億円の損失なんてこともあった)。
だから、不用意な発言は自分の首を絞めることにもなる。


結局、フェアな競争が担保されているかどうか、を基準に判断するしかないと思う。
「小金投資家」としては資金運用を委ねる選手を選ぶことが多いわけで、その選手同士がフェアな競争をしてパフォーマンスを競うのが健全な姿だと思う。


GDP、外貨準備高、個人金融資産で世界のトップレベルにある国が、「外資が怖いから」というような理由で法改正をするというのはいかがなものだろうか?


PS 投資信託や年金基金のようなファンドの運営の健全さ、ガバナンスも実は問題なんですけどね。そのことはまた後日。
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