一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

久しぶりに裁判員制度の報道

2008-03-17 | 裁判員制度

市民とプロになお隔たり 模擬評議で浮き彫り
(2008年3月16日(日)22:29 朝日新聞)

模擬裁判員をやって以降関心を持っている問題です(私の感想のまとめはこちら参照)。

上のリンクの先のasahi.comの記事には2つエピソードが載っています。

市民裁判員役の20代の女性は、被告の母親が「この子が出所したら、家族として迎え入れて普通に暮らしたい」と述べたことに強く反発。「他人の家族を壊しておいて、『普通に暮らす』とは虫がよすぎるんじゃないか」との理由だった。  

この様子を別室のモニターで見ていた検察官や弁護士は驚いた。「身元引受人がいるのは被告にとってプラスの情状のはずなのに」「僕らのこれまでの常識が通用しない。裁判官より裁判員の方が犯罪に厳しい」

これは「身元引受人がいるのは被告にとってプラスの情状」というのは法律には書いてないわけですが、にもかかわらずそういう相場が出来上がったのには合理的な理由があるはずで、被告人に有利な情状なら弁護士が、不利な情状なら検察官がそれを説明する必要があると思います。
そのために一般国民を裁判員にしたわけですし、国民感覚と慣行がずれていないかどうかを検証するためにも必要だと思います。
私の体験では 「予備的反省」というのがどうもしっくりきませんでした(参照)。

検察側の求刑は懲役10年。それぞれが量刑を投票した結果、判決は「懲役7年」となった。だがその後、裁判官が過去の同じような事件の判決を紹介。再び投票したところ、量刑は「懲役8年」に。裁判長は「できるだけ市民の意思を尊重した」としながらも、「どこかで過去のデータを示さないと、同種事件で裁判所ごとに判決が変わってしまう」と指摘する。

量刑については正直言って素人には難しいと思いました(参照)。
国民の感覚を反映といっても、人生で1回しか行わない量刑を、法定刑の幅の中で決めろと言われても、一般の相場がないと自分の価値観との比較にしかならなくなります。
特に日本の法定刑は幅が広いので、そもそも殺人に懲役5年相当のものと死刑相当のものがある、ということ自体「市民感覚」(少なくとも私の感覚)からはずれていると思います。
アメリカのように構成要件を細かく分けて、それぞれに範囲の狭い法定刑を定めるような方式でないと混乱しそうな感じがします。


最近マスコミ報道でもあまり話題にならないのですが、このままいきなり「裁判員に選ばれました」と言われるようなことにはならないことを願います。

 

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『使える!確率的思考』

2008-03-15 | 乱読日記

大学受験の数学(文系だったので今やなき「数Ⅱb」というやつでした)の確率にはあまりいい思い出がありません。

なぜか数学の模試は、最初に確率の問題がよく出され、しかも大概が難しいものでした。

当時私は、「試験問題は最初から順番に解く」ということを貫いていて(「解けそうなものを選ぶ」という作業はそれ自体に時間がかかっってしまったり、解答欄を間違えたりしそうだし、なにしろ潔くない、などとその当時は思っていました)、そのため確率の問題を解くのに全体が3問あるとしたら半分くらいの時間を費やしてしまったあげくに間違っていることが多く、鬼門というイメージがありました。

本書はそういう私にもぴったりで、数式はほとんど出てきません。

確率の考え方から最新の確率理論が日常やビジネスにおける意思決定を説明するのにどのように役立っているかを平易に解説してくれます。

たとえばある事象の起きる確率をそれが試行できないときに推定するベイズ推定、「結果を観測できない」選択がある(=選ばなかったほうの結果がどうなったかがわからない)場合、確率的選択にはバイアスがかかること(たとえば人事採用においては保守的になってしまう)、確率現象を生み出す仕組みがわからない場合、真似をしたり経験を活かすことは合理的であること、などをわかりやすく説明してくれます。


終章はそれまでの平易な解説から熱い語りにトーンが変わります。本書は客観的な記述に終始したものの、著者の問題意識は

不確実下の意思決定に際して問題になるのは、「合理的な選択」「正しい選択」の違いである。とりわけ、「不確実性下における選択の正しさとはいったい何か」という点が大問題なのである。

不確実性下の選択には事前と事後における結論(正しさ)のズレという難しい問題が存在している。

たとえばある手術をしなければ5年生存確率は50%、手術をすれば90%に上がるが、術中死亡する確率が1%ある、と言う場合、期待値から考えた合理的な選択は手術をすることだが手術により死んでしまった人を「選択は正しかったが運が悪かった」で済ませていいのだろうか、ということです。
頻度に注目し、個を同一視する発想は、「手術をする側」の発想なのではないか、というのが著者の問題意識です。

この論点については別の著書で語っているそうなので、早速そちらも購入することにしました。

 






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杞憂商品取引法24条の4の4

2008-03-14 | あきなひ

ひきつづきtoshiさんのエントリ 「内部統制報告制度に関する11の誤解」金融庁公表(速報版)から、件の金融庁のサイト(参照)を見てみました。

平成20年4月1日以後開始する事業年度から導入されます内部統制報告制度は、企業等に過度のコスト負担をかけることなく、効率性と有効性のバランスをとりながら整備することを目指しています。
しかしながら、実務の現場では、一部に過度に保守的な対応が行われているとも言われております。
金融庁では、そうした指摘も踏まえ「内部統制報告制度に関する11の誤解」を公表し、改めて制度の意図を説明することといたしました。
また、併せて、内部統制報告制度の円滑な実施に向けた行政の対応を公表することとしました。  

金融庁は従来から、それぞれの会社の個別性に合わせた内部統制を構築すればいいとは言っていたのでその内容の再確認に近いものだと思います。
しかし一番の問題は「誤解」ではなくその前段階にある「行政の厳罰対応への恐怖心/不信感」なのではないでしょうか。

二年ちょっと前に「自分の言葉で書きなさい」というエントリで、会社法の内部統制について日本企業は新しい規制ができた場合、大体無難なところへの横並びに落ち着く傾向があると書いたのですが、その後の事後処罰・厳罰化の流れの中で、より過剰に保守的になってしまい、ついには金融庁にまで心配され始めた、という傍から見ると悪い冗談のような展開になりつつあるわけです(なんだかやたら校則の厳しい学校で、あまりに教師がうるさいので皆丸坊主にしたら、今度は「個性がない」と怒られたような状態ですね。)。


私は脇から見ている立場なのでちょいと無責任に言ってしまうと、監査法人などのコンサルを入れても結局は米国SOX法のテンプレートをあてはめるだけだし、しかも指摘を全部実現したからといって(監査しやすくはなるかもしれないけど)内部統制として決して万全だなんて保障はしてくれないし機能的になるわけでもでもない、ということがわかってきて、しかしその一方で、金融庁や証券取引所はいざとなったら監督権限を振り回しかねないということも承知しているので、万が一のことを考えるとやはり「教科書通りにしといたほうが安全」ということになり結果「全員丸坊主」状態になってしまっているように見えます。


つまり「過度に保守的な対応」は誤解に基づくものではなく、金融庁や東証の対応のぶれに対する安全率をみた結果なのではないかということです。 

この点については、これもtoshiさんのエントリ経由で知った金融庁大森企画課長の「市場行政のいま」の冒頭でもふれられています(これは金融庁の公式見解というよりはかなり踏み込んだコメントです。)。  

私の常識では、新しい制度が施行されると、事務ミスぐらいに一々目くじら立てないのが当然なんですが、あいつら一々目くじら立てるんじゃないかという不信感ですね。そして、残念ながら、私たちの中にも、不信感を持たれてもしようがないと思うようなセンスで仕事をする仲間もいたりするわけでして、ここに金融庁も、ルールに基づく事後チェック一本やりから、本音と対話の行政に向けて、いささか舵を切っていくベター・レギュレーションの契機があるし、ルールとプリンシプルの議論があります。

そして「内部統制報告制度に関する11の誤解」の5番目でもそれを意識したような記載があります。

 <誤解>
内部統制報告書の評価結果に問題がある場合、上場廃止になったり、罰則の対象となる。
<実際>内部統制に問題(重要な欠陥)があっても、それだけでは、上場廃止や金融商品取引法違反(罰則)の対象にはならない。
(具体例)
○ 「重要な欠陥」は上場廃止事由とはならない(東証・上場制度総合整備プログラム2007)。
○ 「重要な欠陥」があっても、それだけでは、金融商品取引法違反とはならず、罰則の対象にもならない(罰則の対象となるのは、内部統制報告書の重要な事項について虚偽の記載をした場合(金融商品取引法197条の2)。)。

大概の企業も誤解をしているわけではなく、「そんなことで上場廃止になってたまるかよ」と思いながらも「そうはいってもマスコミや国会が騒いだらきっと東証や金融庁は日和るよな」という可能性を考えているだけだと思います。

なので、企業側にしてみれば、金融庁にここで急に優しくなられてもいつ手のひら返しをされるか、という思いが依然として強いと思いますし、罰則でなくとも金融商品取引法24条の4の5で「内部統制報告書及びその添付書類について準用」される

第九条  (形式不備等による訂正届出書の提出命令)
内閣総理大臣は、第五条第一項及び第六項若しくは第七条の規定による届出書類に形式上の不備があり、又はその書類に記載すべき重要な事項の記載が不十分であると認めるときは、届出者に対し、訂正届出書の提出を命ずることができる。

第十条(虚偽記載等による訂正届出書の提出命令及び効力の停止命令)  
内閣総理大臣は、有価証券届出書のうちに重要な事項について虚偽の記載があり、又は記載すべき重要な事項若しくは誤解を生じさせないために必要な重要な事実の記載が欠けていることを発見したときは、いつでも、届出者に対し、訂正届出書の提出を命じ、必要があると認めるときは、第四条第一項又は第二項の規定による届出の効力の停止を命ずることができる。

というあたりの運用次第では、上場廃止や罰則までは行かないまでもかなりのダメージを受けるおそれがあるということは意識せざるを得ません。
(解散して3年後になって証拠隠滅容疑について連邦最高裁で無罪が確定したアーサーアンダーセンを見ると、やはり「後の祭り」という言葉がちらついてしまいますね。)

その辺の心配を見越してか、同時に公表された 「内部統制報告制度の円滑な実施に向けた対応」にも

 ○指導中心の対応内部統制報告制度の導入にあたっては、過度に保守的な対応にならないよう、制度の円滑な実施を図るという観点から指導中心の行政対応

なども書かれています。
しかしこれを読んでも、このように突っ込みたくなってしまいます。

「指導」といっても旧時津風部屋のような「指導」もあるからなぁ・・・

 

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弁護士法72条

2008-03-13 | 法律・裁判・弁護士

最近バタバタしていてひと様のブログを読む機会がなかったのですが、昨晩久しぶりに巡回しました。

スルガコーポレーションの事件については ろじゃぁさんtoshiさんも取り上げられていました。

個人的にはこの事件の「筋」は暴力団排除とか従来からとかく噂のあったところにきっかけを見つけたので一気に、という案件だと思うのですが、罪に問われている弁護士法72条のいわゆる「非弁行為」については、なかなか微妙な問題があると思います。

(非弁護士の法律事務の取扱い等の禁止)
第七十二条  弁護士又は弁護士法人でない者は、報酬を得る目的で訴訟事件、非訟事件及び審査請求、異議申立て、再審査請求等行政庁に対する不服申立事件その他一般の法律事件に関して鑑定、代理、仲裁若しくは和解その他の法律事務を取り扱い、又はこれらの周旋をすることを業とすることができない。ただし、この法律又は他の法律に別段の定めがある場合は、この限りでない。

と①「法律事件」か、②「鑑定、代理、仲裁・・・その他の法律事務」か、③「報酬を得る目的」かというあたりが問題なのですが、規定自体がかなり漠としたものになっています。
この法律の趣旨は、いわゆる「事件屋」とか「示談屋」のような「強きを助け弱きをくじく」という衡平に欠ける解決をするような輩を紛争処理に介入させない、というところにあるのではないかと思います。

しかし一方で、これを厳格に解釈すると、(法定代理人でない)親戚のトラブルの示談交渉に一肌脱ごうというオジサンも「あとでお礼の一杯」を期待しただけで弁護士法違反になりかねないわけですし、街場の賃貸アパートを管理している不動産屋が入居者との現状復旧費用の負担について金額の交渉をするのにも宅地建物取引業法で認められた「賃貸の代理」を逸脱して法律紛争に関与した、などと言われかねません。

またこの問題は、形式的には弁護士法72条(=弁護士の職業独占)に抵触するかどうかについて弁護士の意見を確認すること自体、利害関係者の意見として信用できないわけなので、論理的には解決不能なわけです。
(このへん、立法担当者はどう考えていたかは聞いてみたいですね)


結局この辺は、最後は委託する側が自分は社会正義に反してはいない、という確信を持ち、「文句言うなら言ってみろ」万が一訴えられても受けて立つぞ、という腹のくくりをしているかどうかの問題だと思います。


そしてそこから先は、法解釈論でなく経済原理に頼ることになるわけで、

① 必要以上に弁護士の既得権益を守るインセンティブのない(=比較的金回りが良くて弁護士会の役員の地位なども狙っていない)弁護士を味方につける。
② 就職にあぶれた弁護士を交渉専門に安価に囲い込む(初任給もかなり安くなっていたりするようですし)
③ 毎年3000人は多いなどと言わずに5000人くらい司法試験に合格させろと要求する。

という対応をとることになります。

弁護士になるような人も、何も好き好んで建設会社の地上げとか街場のアパートの畳の日焼けはどっちの負担か、などという交渉ごとだけをやるために難関の司法試験を突破したわけじゃないでしょう。
しかし一方で検察や弁護士会などが弁護士法72条の解釈にあたり厳格な姿勢をとるのであれば、就職にあぶれたり、あまりに低い給料しかもらえない弁護士を雇うコストとそういう交渉委託業者を雇うコストの比較の問題になり、そういう安価なマーケットを作り出せ、という政治的プレッシャーがかかることにもなりかねないと思います。

toshiさんは

このたびの事件で「ドキ!」っとされていらっしゃる企業様もいらっしゃるのではないかと思います。

とおっしゃっていますが、企業としては費用対効果さえあえばあえて法を犯すリスクを負う必要はさらさらなく、 おいしそうな仕事は独占したいけどおいしくない仕事は「法律事務でない」という解釈を事後的にされるのはたまらん、逆に職業独占を主張される弁護士会が、小口の紛争とか紛争予備軍というグレーゾーンの案件まで社会的コストとしてリーズナブルな範囲内できちんと受任することを約束してくれるのであれば喜んでお願いします、となるのではないかと思います。


今回のスルガコーポレーションの行為を擁護する気はさらさらないのですが、弁護士法のあいまいさは企業だけのリスクではなく、弁護士業界側にとっても「法律事件未満の案件もカバーするような人員体制を求められる=弁護士の供給過剰状態の新たなプレッシャーになる」という意味でリスクなのではないかと思います。

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リゾートホテルからマッサージソファへの15年

2008-03-12 | よしなしごと

なかなかのスグレモノ

マッサージチェアは『脱デカ豪華』という記事の中で見かけたフランスベッドの「マッサージ機能つきソファ」CBS-01

普段は普通のソファですが





座面をひっくり返すとマッサージベッドになります


(ちょっと日焼けマシンぽいですね)


製品説明によると

普段はゆったりとくつろげるリビングソファとしてご利用でき、座面下部を25cm引き出してから、座面を引き上げて背面側へ反転させることにより、座面下部に内蔵されたマッサージユニットが現れ、マッサージ機としてご利用いただける高機能ソファです。また、座面部のみの可動なので、ソファを壁につけて置いてもソファを前にずらすことなくマッサージ機を使うことが出来、部屋のスペースを有効に利用出来ます。

とあります。

サイトにある写真だけではよくわからないのですが、脚のフレームとソファー部が独立していて、一度手前に引き出してから座面を後ろに倒せるようになっているのでしょうか。 

価格は革製472,500円(税込)、布製420,000円(税込)とお高めですが、他のマッサージチェアもけっこう高いので、これはスペースも無駄にならないしお金さえだせる人にはいい買い物ではないかと思います。


ところでこのソファ、巨匠マリオ・ベリーニの息子のクラウディオ・ベリーニ氏のデザインによるとか。
同氏はいくつか賞も受賞している一応そこそこのデザイナーのようです。

父親のマリオ・ベリーニといえばバブル期に日本でも大人気の建築家・デザイナーでした。
代表作としてはリゾナーレ小淵沢が有名です。
このリゾートホテルは、ご丁寧に造波プールなどバブル期のアイコンが盛りだくさんで、しかも経営母体がMMFを元本割れさせたあのマイカルでありました(正確には元本割れさせたのはマイカルの社債を組み込んだファンドマネジャーですが)。

このホテルも現在は星野リゾートのもとで再生されています(参照)。
そしてマリオ・ベリーニも息子が活躍する時代になったとは 「バブルは遠くなりにけり」というところでしょうか。

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『ボーン・アルティメイタム』

2008-03-11 | キネマ
前2作も面白かったのでDVDを借りてきました。
(既に予告編などであらすじ自体は知られていると思いますが一応ネタバレ注意です)


今回は主人公のボーンが、自分を「暗殺兵器」に改造した計画の全貌をついに明らかにする、という完結編。

マット・デイモンは善人顔なので「実は自分は根っからの悪人」には似合わないので「実は自分は被害者ではありませんでした。過去の記憶を消しただけで最初から生まれながらの暗殺者でした」などとという展開にはならないと予測がついてしまうのですが、アクション映画としては見所満載です。

あいかわらずカー・チェイスシーンは見せますし、格闘シーンも歯切れがいいです(目で追うのが大変なくらい)。


映画の本筋とは関係ありませんが、ヨーロッパのいろいろな街を足がつかないように鉄道で移動する際に乗る国際特急が個人的には旅情をかきたてられました。

休みが取れるか、とかユーロ高でとかハードルはたくさんありますが、ヨーロッパを鉄道で回れるくらいの余裕のある日程で旅行がしたいですね。









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広川太一郎さん逝去

2008-03-10 | よしなしごと
声優・広川太一郎さん68歳死去…ロジャー・ムーア吹き替え
(2008年3月9日(日)07:04 サンケイスポーツ)

広川太一郎さんといえば、やはり先日購入したモンティ・パイソンの軽妙な吹き替えです。

今は英語+字幕でちびちびと観ているのですが、日本語吹き替えもはいっているので、改めて名人芸を味わいたいと思います。


合掌


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世代交代

2008-03-09 | よしなしごと

初マラソン中村が優勝、北京へ前進=高橋は失速、五輪ならず-名古屋国際女子
(2008年3月9日(日)17:43 時事通信)

シドニー五輪金メダリストの高橋尚子(ファイテン)は9キロ手前で失速。2時間44分18秒で27位に終わり・・・(中略)  
中村と同じく初マラソンの尾崎好美(第一生命)が2位と健闘。原裕美子(京セラ)は4位、39歳の弘山晴美(資生堂)は9位、アテネ五輪7位入賞の坂本直子(天満屋)は10位だった。

世代交代を感じさせるレースでした。

女子マラソンは、オリンピックで好成績を収め、注目が集まると注力する実業団チームも増え、スポンサーも集まって、更にいい選手が育つ、という好循環にあることを実感します。
その意味では高橋尚子の貢献は大きかったわけですが、選手としては正念場にさしかかっているような感じがします。

解説者が「北京の次のロンドンも視野に入れて選手の育成をする必要がある」と言っていましたが、一人の(一部の)スター選手に過度に依存しすぎないようにするために長期的な視野で選手の育成強化を継続できれば、将来も期待できると思います。
水泳や女子レスリングなどは同じ方式で着実に成果を出していますね。



考えてみると、企業の経営者育成にも同じことが言えるかもしれません。
特に、オリンピック代表選考と異なり、今大会の代表が次回大会の代表を指名する、というしくみですから・・・

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責任問題より再建可能性

2008-03-08 | あきなひ

『金融システムを考える』の貸金業の上限金利問題に関してこういう記述があります。

・・・日栄・商工ローン問題のころ、銀行経営者からは、しばしば、「(当時の法上限金利である)40%の金利をとってちゃんとワークしているなら、5%以下で貸すわれわれの世界との感に、ミドルリスク・無ドルリターンのマーケットがあるはずだ」といった声が聞かれました。その後、実際にそういう貸付を指向したり、ミドルリスクを標榜して新たに銀行を施設立する人もいますが、あまりうまくいっているとは聞きません。
 その理由はおそらく、マーケットとは、すでに「ある」のを発見するものではなく、「つくる」ものだという認識が足りないためではないかという気がします。社会問題となった商工ローンのマーケットは、腎臓売れという取立てにより、あるいはあらかじめ保証人からの改修を前提とすることにより、あるいは強制執行メカニズムを組織的に組み込むことにより、あるいは金融行政の元責任者を顧問に招いて社会的体裁を整えることにより、ワークするように「つくった」のであって「あった」のではありません。

そして「新たに設立された銀行」のひとつが「あまりうまくいっていない」どころか「かなりまずい」ことが明らかになりました。

新銀行東京 融資後破綻2300社 焦げ付き総額285億円
(2008年3月8日(土)08:47 産経新聞)

新銀行は、民事再生法適用申請など法的整理をした企業が約600社、回収不能額が約86億円に上ることをすでに公表している。しかし、法的整理に加え、手形が不渡りになった企業も多数あり、破綻企業は計約2300社に上ることが分かった。
 
設立当初から、旧経営陣が原則5000万円の上限いっぱいの融資を奨励。焦げ付きを不問にしていたほか、「半年つぶれない会社だったらどんどん貸せ」と指示していた。  このため、融資先の訪問調査や資金確認をしないずさんな融資が常態化。破綻した企業のうち、融資の申し込み段階で、決算書の粉飾が疑われるものが相当数あったという。

たしか、新銀行東京は「貸し渋り」のなか中小企業への融資を目的に設立されたと思います。
したがって貸し倒れリスクはそこそこ高く、適正な審査と貸出金利(利ざやの確保)がないと銀行としては成り立たないというのは最初から承知だったはずです。

しかし、新聞記事を見ると、審査はかなりずさんだったようです。
(銀行に限らず「至上命題」があると意思決定がゆがむ典型のようですね。)

現在東京都が増資に応じるか、の議論においては経営責任や石原都知事の責任が議論になっていますが、ちょっと焦点がずれているように思います。
政治責任は別の場でぎろんするとして、増資に応じるか否かの判断においては

増資に応じることが税金の使途として採算に合うか

またはすくなくとも

増資した結果銀行経営が回復する可能性があるか

を見極める必要があるはずです。

そのためには既に判明しているずさんな審査が改善できるか(今のインフラや人員に能力があるか、ないとしたらそこを補強する実現可能な計画と予算が再建計画に織り込まれているか)に加え

貸付金利はそれぞれの融資先の貸し倒れリスクに見合っているか

についても検証すべきだと思います。
たとえば貸付金利にあまり差がない場合は、優良貸付先からの利ざやで信用力の劣る貸付先の信用リスクを補っているという構造になります。
(これが従来の都銀の構造で、優良先の大手企業が社債の調達への切り替えなどで貸付金利の引き下げにプレッシャーをかけたことも貸し渋りの一因だったわけです。)

しかし新銀行東京はそもそも「大手優良貸付先」がほとんどないでしょうから、信用力の劣る中小企業貸付で適正な利ざやが確保できない限り、ビジネスとして成立しないはずです。
したがって、審査が適正だったと仮定(上の記事のようにあきらかな不良先を除いて)したうえで、さらに貸付金利が適正だったかを検証する必要があります。
そして、より大きな利ざやが必要なのであれば、今度はさらに、

その金利で将来銀行経営を維持できるに足る規模の融資が実行できるか

を検証する必要があります。

商工ローンのような回収メカニズムを導入するわけにはいかない以上、このように、審査が適正で、貸出金利も適正にする前提で、そもそも銀行として成り立つレベルの貸出規模を維持できるかを議論すべきではないでしょうか。


そうでなければ この時点で破たん処理するのが経済合理性にかなうのではないでしょうか。

預金者保護も預金保険の範囲はカバーできますし、「昔から信用して預けていた」と言うような人がいないはずなので、それ以上の保護をすべき特別の事情もないでしょう。


石原都知事が辞任すれば(多分しないでしょうけど)増資に応じる、というような意思決定は相当おかしいように思います。

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『CEO vs 取締役会―株主主権時代の権力闘争の行方』

2008-03-07 | 乱読日記


上場企業のトップは、株主、顧客、従業員、仕入先、工場のある地域コミュニティなど全体の最善のバランスを考慮したうえで企業を経営する必要がある。


最近買収防衛策を導入した日本企業の社長のセリフのようですが、実はこれは1950年、GEのCEO、ラルフ・コーディナーの言葉です。

これは昨日のエントリでちょっと紹介した『CEO vs. 取締役会―株主主権時代の権力闘争の行方』の中の一節です。

本書はタイトルのとおり(原題も"Revolt in Boardroom"「取締役会の反乱」)2005年以降立て続けに起きた「大物CEO」の取締役会による解任(HPのフィオリナ、ボーイングのストーンサイファ、AIGのグリーンバーグ)を軸に、コーポレートガバナンスをめぐる環境の変化を論じた本です。

単に内幕ものではなく、歴史を俯瞰して今CEOや取締役会が置かれている状況を冷静に分析しています。

アメリカの企業は創業者(オーナー)が経営した時代から1923年アルフレッド・スローンがGMの社長になって以降「経営管理者」の経営に、そのときから「所有と経営の分離」という問題が顕在化します。
しかし経済恐慌を受けた1930年代の証券取引法、SECの設立にもかかわらず大企業は戦時経済の下で力をつけ、CEOが取締役会会長として取締役会を支配する構造が20世紀を通じて強化されてきます。
そのころの「物言う株主」としては、当初はいわゆる総会屋や社会運動家であり、その後は乗っ取り屋・グリーンメイラーなどはいたものの、CEOが取締役会を支配する構図は変わりませんでした。

ところが21世紀に入って、相次ぐ企業不祥事によるSOX法や証券取引所の規制強化による取締役会の独立性の強化・取締役の責任強化、さらに、年金ファンド、株主助言サービス、社会派アクティビスト(環境NGOからキリスト教団まで)、ヘッジファンドなどの資金力・発言力の高まりをうけて、CEOは企業を支配する立場から、取締役会やさまざまな株主と協調していかなければならない存在になっています。

その時代の転換期を、ウォール・ストリート・ジャーナルの記者、CNBCのキャスターという経歴を持つ著者は、取締役会とCEOの争い、という切り口で鮮やかに切り取っています。


コーポレートガバナンスといえば日本では4月1日の会計年度から導入されるJ-Soxで大騒ぎです。
特に日本では最近、金融庁に代表されるように事後監督型に転化した行政が厳罰主義で臨むようになり、導入した制度を墨守することに過剰に精力を費やしているように思います。

しかし、ある時点で「先進的」だったアメリカの仕組みを導入したからといってコーポレート・ガバナンスが完成するわけではなく、アメリカは試行錯誤しながらも更に前に進んでいるわけです。
そうすると、日本は常にアメリカのできの悪い二番煎じから抜け出られないように思います。
そして、毎度引用しますが、マルクスの(ヘーゲルからの孫引きの)  

歴史は繰り返す、しかし二度目は茶番。

を演じることになるわけです。


本書は、アメリカのコーポレートガバナンスについて語りたい人だけではなく、そろそろ「J-なんとか」とか「日本版なんとか」というのはやめにしたい人や、J-Soxの先を展望したい人には参考になる本だと思います。


最後に、本書でも比較的現在のCEOの立場、企業に求められる社会的責任を理解してうまく適用できていると好意的に評価されているP&GのCEO、AGラフリーが、P&Gがドッグ・フードのアイムズを買収したとき、給餌試験で動物虐待が行われているとして非難されたことについてのコメントを引用します。

私たちはネズミが人間と同じほどに重要な存在だという見方には決して合意しない。同時に、私たちは法や規則に違反することに決して合意しないし、必要となるいくつかの動物試験を行わないことにも決して合意しない。しかし、私たちが何に合意しないかを明らかにすることには合意するし、お互いの考えを尊重すべきであることにも合意する。

なんかモンティ・パイソンのコントかラムズフェルドのセリフみたいですが、それだけ微妙な立ち位置に立たされている、ということなんだと思います。


今のニッポンのシャチョーさんたちの心配事は敵対的買収者の登場が中心のようですが、その先はさらに厳しい世界が広がっているようです。

 

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『私はこうして受付からCEOになった』

2008-03-06 | 乱読日記

1997年から2005年までヒューレット・パッカードのCEOとして業績を建て直し、コンパックとの合併を果たし、そして2005年に取締役会から突然解任されたことでも有名になった女性「カリスマCEO」カーリー・フィオリナ氏の自伝です。

原題は"Tough Choice"。
本書の中でも、コンパックとの合併、自らの(勧告に従った)辞任、そして沈黙を破ってこの本を書いたことなどさまざまな意味がこめられています。
(「売らんかな」もわかるのですが、目立つこと第一主義の邦題が多いのはどうにかしてほしいもんです。)


前半はビジネス界での出世双六のような成功譚です。

著者は(多少の回り道をしながら-そのときに受付をやっていた-)ビジネススクールを卒業後ATTに幹部候補生として入社し、持ち前の行動力でさまざまな経験をしながら順調にキャリアをつみます。
そしてATTの分割に際してルーセント・テクノロジーズに移り、そこのCEOからHPのCEOにヘッドハントされます。

ATT・ルーセント時代は、男性中心のしかも大組織において女性がどのようにして出世していくかのロールモデルといえます。
また、それぞれの難題に対しても、あたかもビジネススクールのケーススタディのように鮮やかに対処します。
そして、HPに移っても、コンパックとの合併の意思決定と困難な合併作業を手際よく仕上げるあたりまでは歯切れ良く進みます。


ここまではビジネス書として十分面白く、学ぶべきところは大だと思います。


ところが、解任の段になると途端に明解さがなくなってしまいます。
本書から読み取るに、著者は自らが解任された原因を次のように考えています。

① 取締役会のメンバーの変化
経営がわかっている大企業のCEOが退任し、SOX法により会社と無関係の第三者の「経営の素人」の社外取締役への登用が義務付けられた。
② 取締役会の暴走
そして取締役会は、自分たちで考えた妙な組織再編案を持ち出したり、CEOと取締役会のコミュニケーションのなさをCEOの責任としはじめていた。
③ マスコミへのリークと内紛
①の取締役しか知りえない社内の不協和音が、誰かのリークによりウォールストリートジャーナルの記事になり、これに対して著者が取締役会メンバーの調査に入った時点で破局が決定的になった。

ところが、今読んでいる『CEO vs. 取締役会―株主主権時代の権力闘争の行方』(正しくはこちらを買ったついでに、解任された本人の言い分を聞いてみようと本書も買った、という順番で、こちらの書評もおってアップします)によると、見方は変わってきます。

  • 2000年以降の一連の企業不祥事以前はCEOが互いの企業の取締役となっていて、「自分がされたくないことは相手にもやらない」と実質的に取締役会の経営監視が効いていなかった、というのが反省としてあった。
  • HPの取締役会はフィオリナの作ったそれぞれの事業ユニットをCEOが集権化するためのマトリックス型の組織構造が複雑で多層化しすぎていて機能していないと懸念していた。誰も明確な責任を負わず、一方で中央集権のトップにあいるフィオリナは頻繁にオフィスを留守にしていて(最後の2005年には130回もの講演をしていた)、問題が解決されないままだった。
  • また、取締役会の代表が組織改革を申し入れる三日前にワールドコムの前取締役10人が和解条件の一部として私財1800万ドルを支払うことに合意した、というニュースが入り、取締役も何かあったときに自らの責任を意識せざるを得ないという状況もあった。
  • 一旦はフィオリナも組織改革を検討することを約束し、取締役会との関係が修復に向かったが、リーク事件をきっかけに責任者の探索に固執するフィオリナと組織改革を進めたい取締役会の溝が決定的になった。

つまり、コミュニケーションのギャップがある、ということの認識は共通していたものの、その責任が誰にあるか、ひいてはCEOの経営に対する裁量は無限定なのか、というところの食い違いが最後まで認識されなかった、ということだと思います。


そこには個人の能力とは別の時代の流れがあり、フィオリナ氏は最後にそれに足をすくわれてしまったのかもしれません。

本書でもフィオリナが繰り返し強調していた、ダーウィンの「生き残るのは最も強い種ではなく、最も変化に適応できる種だ」という言葉がアイロニカルに響きます。


 






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楳図かずお『漂流教室』

2008-03-05 | 乱読日記
週末に風邪を引いてしまったので、今日も早めに帰宅して養生することにしました。

一昨日のネギ・生姜たっぷりの食事が奏功したのか昨日は比較的回復したので、早寝の友を調達に近所のコミック専門店に寄ったところ、楳図かずおの『漂流教室 特装版3巻セット』が入荷していました。

これは先日見かけたものの、目の前で3冊まとめて「大人買い」されてしまい、在庫なし、版元品切れということで捲土重来を期していたところだったので、僕も3冊まとめ買い。
1冊750ページくらいあるので、かなりの荷物になりました。


楳図かずおは若い人には奇抜なファッションでテレビに出てきたり、自宅を赤白のストライプに塗ろうとして近隣住民から建設中止の仮処分を申し立てられたり(結果は却下)した風変わりな人、というイメージしかないかもしれませんが、昔は恐怖漫画の大家でした。


この作品を読んだのは小学校高学年から中学生の頃だと思うのですが、えらい怖かった記憶があります。
カニの化け物のようなものに追いかけられるシーンは今でも覚えています。


久しぶりに読んでも昔の印象どおりでした。
とくに細密な背景の多分手書きと思われる書き込み(下の表紙をご参照)、登場人物の表情、そして表情とアンバランスな人物のぎこちない動作などがあわさって楳図かずお独特の世界を築いています。



いま読んでも、怖すぎです。




原初的な恐怖心を掻き立てる傑作だと思います。



どんどんページが進んでしまい、これでは折角早く帰った意味がないので、1巻目の半分くらいまで読んだところで寝ることにしました。

まあ、これを読む気になったということは、風邪が快方に向かって体力・気力が戻ってきたことではないかと思います。








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今度は新日本監査法人

2008-03-04 | よしなしごと
一瞬また大手監査法人がなくなったらJ-Sox施行直前なのに困るな、と思ったのですが


会計士インサイダー疑惑 監査制度の根幹揺らぐ
(2008年3月3日(月)16:54 産経新聞)

こうやって摘発していくことで一罰百戒効果は徐々に出てくるのではないかと。


犯行の動機が別の株取引の損失の穴埋めということですが、監査法人なんですから従業員の株取引自体禁止していてもいいとは思うのですが。
監査に手心を加えてもらうにはこの手があったか、と妙な感心をしている人がいたりすると困りますね。


新日本の理事長は辞任するつもりはないようです。
NHK職員のインサイダー取引では会長が辞任することになったのですが、報道機関以上に会計監査人の監査情報の悪用というのは制度全体への影響は大きいと思うのですが。
今回マスコミの匙加減はどうなるのでしょうか。

やはりNHKは叩かれやすい、ということなんですかね・・・

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第9の惑星

2008-03-03 | よしなしごと

まだ発見された、というわけではないようです。

太陽系に「第9惑星」? 天体のゆらぎ 緻密に計算 
(2008年2月28日(木)08:18 産経新聞)

海王星が予言通りに見つかった成功にならい、20世紀初めには米国の天文学者、ローウェルが「海王星の外側にも惑星がある」と予言し「惑星X」と呼んだ。この予言は、弟子のトンボーによる冥王星発見につながる。だが、海王星のふらつきから惑星Xの位置を求めたローウェルの理論計算は間違いで、そこに冥王星があったのは奇跡的な偶然だった。冥王星には海王星の軌道を乱すほどの大きさはなく、発見から76年後に「惑星」から外された。

新惑星は、ブラウン教授らが発見した太陽系最遠の天体「セドナ」と同程度の距離で、ずっと明るい。しかし、新惑星の軌道は、地球や木星などの軌道面(黄道面)から20~40度も傾いているため、黄道面周辺に限られたこれまでの観測では発見されなかった。

冥王星はたまたま予想されあたりにいたためにずっと「第9の惑星」と勘違いされていたんですね。
なんだか冤罪事件の逆パターンようです。

それで、冥王星にアリバイ(海王星の軌道を乱すような大きさがない)が立証されたので、真犯人探しが始まったというわけです。



最近地上でも宇宙でも似たようなことが多いようで・・・

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CDでも「レコード大賞」 DVDでも「ビデ倫」

2008-03-01 | よしなしごと

新基準「他の審査機関と比較し決めた」…ビデ倫が反論
(2008年3月1日(土)22:33 読売新聞)

会見した加藤博之理事長は「当協会は歴史のある機関で、信頼されてきた。容疑については全く理解できない」と反発。  審査基準を緩和した理事会の責任についても、「社会通念や他の審査機関との比較で(新基準を)決めた」と強調し、「理事会は審査そのものには一切タッチしていない」と述べた。

警察は販売したビデオ業者だけを逮捕してそのわいせつ性の議論の中でビデ倫の審査の妥当性を争うというのが本来の形だと思うのですが、毎日新聞の記事によれば

ビデ倫は昨年8月に警視庁の捜索を受けた後、審査制度や組織の在り方について見直すための有識者会議を設けている。

という中で今回いきなりビデ倫の審査責任者ををわいせつ図画販売幇助で逮捕と踏み込んだのは、自浄作用が効いていないという判断があったのでしょうか。
ただ、「自主規制機関からの逮捕は表現の自由を損なう」という批判は審査機関にどこまで客観性とか公益への配慮があるかの実態次第だと思うので、ちょっと紋切型すぎるように思います。
そもそも警察は「表現の自由を逸脱している」と判断したから逮捕したわけで、あまり有効な批判になってはいないのではないでしょうか。


ところで同じ毎日新聞の記事によると

ビデ倫によると、年間の審査本数は00年以降右肩上がりに増えていたが、04年の9171本をピークに下がり始めた。05年は8643本、06年は5890本で6年ぶりに6000本を割り込んだ。  
背景には、ビデ倫の審査を受けない「インディーズ」と呼ばれる業者の台頭があるとみられ、ビデ倫は04年から06年に3回「会員から要望があった」などの理由で修正基準を緩和した。06年はヘアの撮影について原則認める決定を行った。  
警視庁は、ビデ倫の審査を通した会員メーカー作品の売り上げ低迷を受け、ビデ倫が基準を緩めた可能性があるとみている。

割り込んだといっても審査本数=ソフトの数ということでしょうから、ビデ倫を通るものだけでも1日あたり15,6本のAVが制作されているというのは驚きですが、インディーズ以外にも無修正の動画が海外のサイトからダウンロードできてしまうということも大きな要因ではないかと思います。


「自主規制機関が外国製品に対抗するために基準を緩和したらその違法性を問われてしまった」一般化して考えればAV業界だけのことではないかもしれませんね。

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