*広島旅の続きです〜 広島護国神社のところで、昇鯉の像、そして、双鯉の像も、ご紹介しています〜
皆さん〜、今晩は〜
史跡広島城跡へやって来ました〜!😊
現在地は、御門橋手前付近〜
○二の丸表御門(復元)
16世紀末頃の、建造と推定されている。
1945年(昭和20年)の、原爆被爆による焼失までの、約350年間存続していたそう。
現在の表御門は、
1989年(平成元年)の、広島城築城四百年を記念し、復元に着手。
(*1589年:広島城築城なので、1989年で400年記念ですね・・・)
1991年(平成3年)に完成。現在に至る。
広島城の入り口である、表御門を通り抜けると・・・、
”被爆樹木 ユーカリ”が、左手に・・・。
爆心地から、740m。
ここで、被爆。
被爆して生き残っているユーカリは、唯一、この木だけのようです。
大きく育つ、ユーカリの木。
植物の生命力に、あらためて、驚かされます・・・。
風に揺れる水面には、青い空とユーカリの木が映っていました・・・。
このユーカリの木は、空と共に、広島の、復興までの、険しい道のりを、見て来たんだろうな・・・。
歩きながら、右手を見ると、立派なビル群・・・。
様々な歴史を感じました・・・。
撮影してませんが、こちら側には、被爆樹木マルバヤナギが、ありました。
私達は、天守閣へ向かう前に、
御朱印を楽しみにしていた、
広島護国神社へ先に向かいました〜!!😊
○広島護国神社(広島市中区基町)
現在、広島城趾に、鎮座。
1868年(明治元年) 12月:明治維新の戊辰戦争(ぼしんせんそう)に従軍して、戦没された方々を、二葉の里に、造営された、
水草霊社に、奉祀されたのが、創建。
以来、
幾多の事変、戦争において、戦没された御英霊を、心霊として、お祀りされている。
(原子爆弾の犠牲となった、動員学徒、女子挺身隊の方々も・・・)
1876年(明治8年):水草霊社は、官祭招魂社(かんさいしょうこんしゃ)となる。
*官祭招魂社(かんさいしょうこんしゃ):政府が、管理を行った招魂社の事。
*招魂社:明治維新前後から、国家の為に、殉難なさった方の霊を祀る神社の事。
1901年(明治34年):官祭広島招魂社と改称。
1934年(昭和9年):社殿の老朽化に伴い、西練兵場(旧市民球場辺り)の西端に、新社殿を造営し、移転。
1939年(昭和14年):広島護国神社と改称。
(広島護国神社の公式サイトでは、上記のように、1939年、昭和14年とされていて、
wikiには、1941年、昭和16年とされている。)
1945年(昭和20年)8月6日:原子爆弾により、社殿全て焼失。(確か、鳥居は、残っていたかと・・・)
1956年(昭和31年)秋:現在の広島城跡に、新社殿を造営。
1971年(昭和46年)4月:天皇皇后両陛下(昭和天皇)の、御親拝が機に、参拝者が急増。
以下省略。
現在に至る。
早速、おまいりさせていただきました〜🙏
そして、
楽しみにしていた、
あらたかな、記念の御朱印をいただきました〜
向かって右側は、中秋の名月限定の御朱印です〜
こちらも、良い記念になりました〜
縁起の良い、昇鯉の像(しょうりのぞう)が、目に留まりました〜!😊
鯉の滝登りするさまを表している像・・・、
難関突破、
目標達成、
開運出世、
・・・の、願いを込めて、鯉を撫でると良いそうです〜
こちらは、双鯉の像(そうりのぞう)〜
二匹の鯉が、仲睦まじく泳ぐ様子で・・・、
家内安全、
夫婦円満、
恋愛成就、
・・・の、願いを込めて、鯉を撫でると良いそうです〜
小さな鯉の像も、可愛らしい・・・、
小さなお子様方が、撫でやすいですね〜
広島護国神社は、
上記書きましたように、戦没者を祀る神社なので、
ご利益を願うとともに、
戦没者への追悼、平和を願う気持ちも、大切にしたいですね・・・
広島市の中心部に位置し、交通の便が良い事から、
初詣の参拝客が、とても多いそうです〜
地元プロ野球球団、広島東洋カープは、
必勝祈願の為、チームで、参拝する事でも、知られているようです〜
(広島護国神社の公式サイトにも、カープ必勝祈願祭のワンショットが、掲載されていますね・・・😊)
さて、
いよいよ、天守閣へ向かいます〜!!😊
あっ、見えて来ましたよ〜\(^o^)/
続きは、また、次回以降に〜
皆さん〜、素敵な夜を、お過ごし下さいませ〜
Bonne soirée 〜