天気 晴
写真は、栴檀の実へ群がるヒヨドリ。無論、ここへ入る前の写真。
関東平野南部はこんな、カラカラ天気が続いている。毎年のことで、寒明けまでは仕方ないのかも。何かが降るのは大体が立春過ぎてからだ。
最近、同じ階の私より前か私と同じ時期くらいに入居した人たちが、次々と車椅子使用者になった。特別に転倒とか病気とかになった訳ではないようだ。年齢は80歳後半から100歳近くまでと、あまりトシの順ではない。コロナで寝込んだ人も居るが、感染しない我々も閉じ込め暮らしだったかたから、同じような環境だった訳で。認知症の騒々しい人たちが静かになった・・と思う部分もある。でも、無言で車椅子に座ってラウンジでお茶の時間を過ごしている彼ら彼女らをみていると、生きている意味ってあるのかなあ、とも。
もう「今日はは食事抜きなんですか!」と声を荒げたり(無論、食事は摂っている)「財布がないのよ」(家族が保管している)と被害妄想を訴えたりしなくなって、職員は楽になった、という部分もありそうだが・・実際は、おむつ交換が増えたり、車椅子の乗降介助が増えたり・・シーツを汚しトイレを汚し・・見ている訳ではないが、何となく介護士の動きで解り、ロビーの隅で日向ぼっこをしていても、落ち着かない。
唯一私と普通に話せる(耳が遠くなく、認知症もなく、車椅子でもオムツ使用者でもない)近くの部屋のAさんとは、そんな光景を見ながら
「長生きしたくないわねえ」と。彼女も夫が亡くなってすぐに、息子さんの家に近いこの施設へ入った。同じ階で私とまともな会話の出来る人が20人中1人、というのも寂しいこと。今朝は彼女、
「主人に、早く迎えに来て、と毎日言ってるのよ」
「あら、私もそんな気持ち。夫婦でもあの世へ行くのは早いもの勝ちね」
以前の家からの夕富士です。寒中がいちばん富士の美しい季節。今の場所からも同じ富士ですが・・電柱だらけ。
戦後80年。今、ここの入居者は女性は90代がいちばん多いとか。100歳近い人も何人か。重度の要介護の人たちには70代の人も居るが、認知症は圧倒的に90代が多い。
戦争を生き延びた戦前生まれは、粗衣粗食を生きてきたので、頑丈に出来ているらしい。私は病気だらけだけれど、命に関わる病気を克服した人も多い筈なのに、ものすごく生命力があるようだ。食欲のある人ほど、動けなくなっても元気なようで、やはり胃腸の健康が人間にはいちばん大事なようだ。何でもガマンして食べてきた世代なので、あまり文句も言わずよく食べる。
で、そんな我々世代よりも少しはひ弱かもしれない団塊の世代が、いよいよ後期高齢者になっていく。もう、なっている。要介護対象は増える一方で、団塊の世代を親に持つ働く世代は、これから、仕事と介護の両立に苦労するだろう、という話をテレビで報道していた。誰もが簡単に施設へ入れる訳ではないし、働く人を確保するために高給出す時代が来るだろう。住む家を売り払ってやっと入れた私ごときは、有料ホームなど夢のまた夢になるかもしれないし。
丈夫で長生き世代の我々がこの時代をはやく「引退」しないと、世に認知症の人が溢れていくこと間違いない。ああ、つくづくテキトウな頃に手のかからない「さようなら」を迎えたいもの。
夕富士の頂きつつむ雪けむり KUMI