ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

埼玉県久喜市、騎西(私市)城祉の怪しい天守閣?

2012-06-15 20:50:57 | 城跡・館跡・陣屋跡
騎西城祉は、加須市に成ってしまって、騎西町が無くなったので

わかりずらい人も多いかも知れませんが、関東平野の真ん中?

圏央道の白岡菖蒲インターチェンジを下りて

国道122号線を北へ6km

騎西の町に入って右に行くと

生涯学習センターを見つける前に天守閣?を見つけることが出来ます


説明版です、この、天守閣?の建っている所は、嘗ての外堀の位置ですね
  騎西城跡
    騎西(私市)城は、いつ誰の手による築城かは不明だが、康正元年(1455)、上杉、
   長尾、庁鼻和氏等が守る城を、古河公方足利成氏が攻略したのが初見である。永禄6年(
   1563)には、小田助三郎が守る騎西城を上杉輝虎(謙信)が攻め落している。
    徳川家康が関東に入った天正18年(1590)松平康重が2万石で城主となる。康重は
   大英寺(騎西)を開基し、保寧寺(日出安)に寺領を与えている、その後大久保忠常・忠職
   父子が城主となり、玉敷神社を現在地に遷座するなど、城下町騎西の再編を行った、寛永9
   年(1632)忠職の、美濃国加能城(岐阜県岐阜市)移封に伴い騎西城は廃城となった。
    ―掘り出されて騎西城―
    昭和54年からの発掘調査により、城郭・武家屋敷跡から戦国~江戸初期の堀跡や武器・
   武具・生活用具が出土している。城の周囲は二重の障子堀が巡り。堀幅最大45mであた。
   激戦に備え総力で築いたことを物語っている。
    出土品は多様で、国内外の陶磁器、矢じり・鎧金具・火打金等の金属製品がある。このほ
   か、大量の漆・木製品も出土している。漆黒の兜、金色に輝く馬の鎧、鶴紋の漆椀に加え、
   下駄・荷札・呪符・護符など、いすれも城下の暮らしぶりを鮮やかに蘇らせる。



外堀を模しているようです


梅雨入りしたので、あじさいが盛りですね

睡蓮

ガガブタの黄色い花がいっぱいでした

南側の公園に、古代の遺跡の案内が有りました

周りより少しだけ、標高のある場所だったのでしょう

本丸は、生涯学習センターの北側、住宅地になっています

住宅地の周りは、一段低くなっていて、田圃が広がっています




嘗ての、大手門の東、外郭の位置にあります

前玉神社は、久伊豆神社が有った所に江戸時代に祀られたようです

騎西城の名残を見つけることは出来ませんでした
コメント
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