荒井地区は、北本市役所の南西約3kmのところです。
前回の続きです
桜堤の道路を少し南へ進むと「石戸城跡」です、南西側から今は住宅が並んでいます
説明版です
埼玉県選定重要遺跡 石戸城跡
昭和44年10月1日選定
石戸城は別名「天神山城」ともいわれ、15世紀後半頃に築かれたと考えられている。
当時は戦国大名が覇権を争う群雄割拠の時代であった。
城は上杉氏の家人・藤田八右衛門によって築城されたとされ、北上する北条氏の勢力に備えるため、岩付城から松山城、河越城を結ぶ防衛線の一部を担っていたと思われる。
永禄6年(1563)2月、北条・武田の連合軍が上杉方である初山城を包囲した際、雪の上越国境を越えて援軍に駆けつけてきた上杉輝虎(謙信)が、短期間ではあるが石戸城に逗留している。
その後は北条氏の支配を経て、徳川氏の関東入国以降、城としての役割をおえるようである。
現在では発掘調査などによって土塁や堀が良好に保存されていることが確認され、堅牢な城郭の姿が復元されつつある。
平成29年3月 北本市教育委員会
戻って「一夜堤」へ行きましょう
石戸城跡北側の土塁にケヤキの巨木です
「北本自然観察公園」ここは一夜堤口です、埼玉自然学習センターまで950mです
「北本市自然遊歩道案内図」です(下側が北です)
沼面に近い遊歩道を進みます
木道に成っています
オニグルミの冬芽です、説明版には・・・
この時期の観察ポイント:2024・12
何に見える!オニグルミの冬芽と葉痕
葉が落ちた跡の葉痕と冬芽がなんとも可愛いオニグルミ。
葉痕の形により、ヒツジやサルの顔にも見えてきます。
姿によっては手をあげているようにも・・・
さて、何に見えますか?
埼玉県自然学習センター・北本自然観察公園
一夜堤が見えて来ました
西側から見ました
一夜堤中ほどに大きな説明版です
石戸城と一夜堤
石戸城は、室町時代長禄年間(1457~60)ころ、岩付・松山・河越の各城との連絡のために築かれたおのと伝えられている。
扇谷上杉(おおぎがやつうえすぎ)氏の家臣藤田八右衛門の居城にはじまり、永禄6年(1563)松山攻めの時には、上杉謙信が石戸まで進入してくるなど、いくたびかの変遷をみたという。
謙信の松山攻めに先立つ永禄5年(1562)北条氏邦は、北条氏政の命により秩父・鉢形勢を率いて上杉方のこの城を攻め、時の城主毛利丹後守とのあいだに激しい攻防戦を演じたことが「関八州古戦録」にみえている。
毛利氏の守りは固く、北条勢は多くの死傷者を出したが、この時氏邦は、暗夜に乗じて城の東側の谷地に一夜にして土橋を築き一気に城に攻め上って勝利したという伝承がある。
この土橋が現在「一夜堤」とよばれている。
「一夜堤」は、石戸城跡と谷をへだてた東側の台地とを結ぶ長さ45m、幅5mほどの堤で、自然散策の遊歩道として市民に親しまれている。
平成元年3月1日 北本市
東側から見ました
更に南東へ進みましょう
ササに囲われた遊歩道を進むと
7番の橋を渡ると「子ども公園」です
橋の上から「一夜堤」側の谷地を見ました、戻ります
6番の「一夜堤」東側です
北本自然観察公園の「保護区域」案内図です
遊歩道を北へ進みましょう
ジャノヒゲの実です
この時期の観察ポイント:2024・12
林床のサファイア
細い葉っぱの根元をよく見ると、青がとってもきれいなジャノヒゲの実が見つかります。
いろいりな鳥がこの実を丸呑みにして、うんちと一緒にタネが出てきます。
ジャノヒゲがいろんなところに生えているのは、鳥が食べてタネを運んでくれるからです!
北本自然観察公園・埼玉県自然学習センター
18自然の林は何階建て?
彩ちゃん 父より
知っているかい?
林って、同じ高さの木ばかりではないってことを。彩より低い木もあるんだよ。
林はね、高い木や低い木が一緒になって生活してるんだ。
普通、林には、1階建てから4階建てのものまであるんだ。
えつ、何のことかって?
例えば、目の前の林は、1階は草。2階は草より少し高い木。3階は葉がテカテカ光っていて、頭が天井にまでは届いていない木、4階は一番高い木。
ほら!ここの林は4階建てになっているよ。
彩も近くの林を調べてごらん。
確かに!4階建てですね
ヤマコウバシです
この時期の観察ポイント:2024・12
ヤマコウバシ
枝や葉に芳ばしい香りがあることが名前の由来です。
クスノキ科にしては珍しく落葉樹ですが、枯葉は落ちにくく、春先まで残ることが多いです。
埼玉県自然学習センター・北本自然観察公園
20野鳥が近づいてくる方法
この辺りで、「二―二―」という鼻のつまったような鳥の声が聞こえませんか?
これは、ヤマガラの鳴き声
橋を渡って谷地を横切ります
また、長く成りましたので続きとさせて頂きます<m(__)m>
前回の続きです
桜堤の道路を少し南へ進むと「石戸城跡」です、南西側から今は住宅が並んでいます
説明版です
埼玉県選定重要遺跡 石戸城跡
昭和44年10月1日選定
石戸城は別名「天神山城」ともいわれ、15世紀後半頃に築かれたと考えられている。
当時は戦国大名が覇権を争う群雄割拠の時代であった。
城は上杉氏の家人・藤田八右衛門によって築城されたとされ、北上する北条氏の勢力に備えるため、岩付城から松山城、河越城を結ぶ防衛線の一部を担っていたと思われる。
永禄6年(1563)2月、北条・武田の連合軍が上杉方である初山城を包囲した際、雪の上越国境を越えて援軍に駆けつけてきた上杉輝虎(謙信)が、短期間ではあるが石戸城に逗留している。
その後は北条氏の支配を経て、徳川氏の関東入国以降、城としての役割をおえるようである。
現在では発掘調査などによって土塁や堀が良好に保存されていることが確認され、堅牢な城郭の姿が復元されつつある。
平成29年3月 北本市教育委員会
戻って「一夜堤」へ行きましょう
石戸城跡北側の土塁にケヤキの巨木です
「北本自然観察公園」ここは一夜堤口です、埼玉自然学習センターまで950mです
「北本市自然遊歩道案内図」です(下側が北です)
沼面に近い遊歩道を進みます
木道に成っています
オニグルミの冬芽です、説明版には・・・
この時期の観察ポイント:2024・12
何に見える!オニグルミの冬芽と葉痕
葉が落ちた跡の葉痕と冬芽がなんとも可愛いオニグルミ。
葉痕の形により、ヒツジやサルの顔にも見えてきます。
姿によっては手をあげているようにも・・・
さて、何に見えますか?
埼玉県自然学習センター・北本自然観察公園
一夜堤が見えて来ました
西側から見ました
一夜堤中ほどに大きな説明版です
石戸城と一夜堤
石戸城は、室町時代長禄年間(1457~60)ころ、岩付・松山・河越の各城との連絡のために築かれたおのと伝えられている。
扇谷上杉(おおぎがやつうえすぎ)氏の家臣藤田八右衛門の居城にはじまり、永禄6年(1563)松山攻めの時には、上杉謙信が石戸まで進入してくるなど、いくたびかの変遷をみたという。
謙信の松山攻めに先立つ永禄5年(1562)北条氏邦は、北条氏政の命により秩父・鉢形勢を率いて上杉方のこの城を攻め、時の城主毛利丹後守とのあいだに激しい攻防戦を演じたことが「関八州古戦録」にみえている。
毛利氏の守りは固く、北条勢は多くの死傷者を出したが、この時氏邦は、暗夜に乗じて城の東側の谷地に一夜にして土橋を築き一気に城に攻め上って勝利したという伝承がある。
この土橋が現在「一夜堤」とよばれている。
「一夜堤」は、石戸城跡と谷をへだてた東側の台地とを結ぶ長さ45m、幅5mほどの堤で、自然散策の遊歩道として市民に親しまれている。
平成元年3月1日 北本市
東側から見ました
更に南東へ進みましょう
ササに囲われた遊歩道を進むと
7番の橋を渡ると「子ども公園」です
橋の上から「一夜堤」側の谷地を見ました、戻ります
6番の「一夜堤」東側です
北本自然観察公園の「保護区域」案内図です
遊歩道を北へ進みましょう
ジャノヒゲの実です
この時期の観察ポイント:2024・12
林床のサファイア
細い葉っぱの根元をよく見ると、青がとってもきれいなジャノヒゲの実が見つかります。
いろいりな鳥がこの実を丸呑みにして、うんちと一緒にタネが出てきます。
ジャノヒゲがいろんなところに生えているのは、鳥が食べてタネを運んでくれるからです!
北本自然観察公園・埼玉県自然学習センター
18自然の林は何階建て?
彩ちゃん 父より
知っているかい?
林って、同じ高さの木ばかりではないってことを。彩より低い木もあるんだよ。
林はね、高い木や低い木が一緒になって生活してるんだ。
普通、林には、1階建てから4階建てのものまであるんだ。
えつ、何のことかって?
例えば、目の前の林は、1階は草。2階は草より少し高い木。3階は葉がテカテカ光っていて、頭が天井にまでは届いていない木、4階は一番高い木。
ほら!ここの林は4階建てになっているよ。
彩も近くの林を調べてごらん。
確かに!4階建てですね
ヤマコウバシです
この時期の観察ポイント:2024・12
ヤマコウバシ
枝や葉に芳ばしい香りがあることが名前の由来です。
クスノキ科にしては珍しく落葉樹ですが、枯葉は落ちにくく、春先まで残ることが多いです。
埼玉県自然学習センター・北本自然観察公園
20野鳥が近づいてくる方法
この辺りで、「二―二―」という鼻のつまったような鳥の声が聞こえませんか?
これは、ヤマガラの鳴き声
橋を渡って谷地を横切ります
また、長く成りましたので続きとさせて頂きます<m(__)m>
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