ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

群馬県沼田市、沼田城跡の御殿桜です!!

2016-05-24 07:45:27 | 
御殿桜は、沼田市役所の直ぐ北西側、沼田公園(沼田城跡)の中にあります

関越高速道路沼田インターチェンジから沼田市内(西)へ国道120号を進むみ

町並みの西の端、沼田公園入口を北へ

公園入口の冠木門、手前左側に駐車場があります

市内の文化財案内板がありました

沼田市指定史跡 沼田城跡の標柱です

説明版があります
(沼田城に関しては、このブログの2012年6月16日をご覧いただければ幸いです)


NHK大河ドラマ「真田丸」の幟が翻ります

沼田城跡の鐘楼です

真田氏時代沼田蔵内城絵図です

御殿桜です

説明版です
   沼田城跡御殿桜  (推定樹齢400余年)
  沼田城の天守閣が、5層の雄姿を誇ったところに植えられ、今に残っている沼田城形見の名木
 である。
  沼田城跡は初め蔵内城と称した。沼田氏12代沼田万鬼斎顕泰が、3ヵ年かかって天文元年
 (1532年)4月完成させ、柳町の幕岩城から引移った。
  顕泰は三男朝憲に13代城主を譲り、川場村天神城に隠居したが、後妻の子4男平八郎景義を
 城主にせんと企て、永禄12年(1569年)正月、朝憲を謀殺、ために沼田氏は築城後37年
 間にて亡びた。
  以来沼田城は上杉謙信・北条氏政・武田勝頼・織田信長・真田昌幸・北条氏直の支配時代を経
 て、天正18年(1590年)真田信幸が城主となった。信幸の夫人は、徳川家康の曾孫=養女
 =小松姫である。
  信幸は関ヶ原戦に徳川方につき、戦功により父昌幸の所領上田城主を兼ねたが、慶長9年(1
 604年)この御殿桜の処に3階建の隅櫓(水の手曲輪門)を築造。ついで慶長12年(160
 7年)今の利根英霊殿の処に5層の天守閣を築造(間口10間奥行9間)本丸の外槨に土塀を築
 くなど、名城を完成させた。
  それから77年後天和元年(1681年)11月、5代城主信直が徳川幕府に沼田領3万石を
 没収され、城郭は跡形もなく取壊された。
  名城は姿を消したが、この御殿桜は400年の風雪に耐え、根は古塁の石垣をしっかり抱き、
 春ごとに寂寥の色をたたえた花を開き、興亡の歴史を語りつづけている。
                                   (岸 大洞 文選)


小松姫の案内板が有ります
  孫の顔を見たいと言う昌幸の申し出を断って、城に入れなかった話は有名ですね 





南側石垣の下から見上げました

東側から

大きさは、目通り幹回り3.6mのエドヒガンザクラです

公園を散策して、次へ行きましょう
(取材日、4月4日)

 
コメント
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