薄熙来に対する茶番裁判の判決は予想以上の重刑となった。中国共産党創設時の重鎮の子として、また、文化大革命での下放から復活を遂げたことへの配慮から、結局は有期刑、と予想していたが一罰百戒、見せしめの意味で終身刑と言う判決。
当局の徹底した世論操作と情報統制により、あとは人々の記憶から消え去るのを待つのみ。成都の石油精製工場建設を巡る汚職で薄熙来の友人であり、共産党中央委員会常務委員で公安部長をつとめたと言う強面で鳴らした周永康にも息子共々粛清の手が伸びようとしている中での判決、習体制確立までの中国の権力闘争はしばらく収まりそうにもない。