回顧と展望

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向日葵

2020年09月06日 16時07分27秒 | 日記

この時期になると、近所の庭の向日葵が暑い日差しの中で昂然と顔を上げているように見える。必ずしも確認したわけではないが、庭に咲いている向日葵は向日葵油を採るため、というよりは暑さで花もぐったりしかねない中での庭の大きなアクセントにしようとする、観賞用が殆どではないかと思う。

向日葵を題材にした芸術作品は実に多岐に亘っているが、その中でも代表的なものは、ゴッホの描いた「向日葵」だろう。1886年にオランダからパリに来たゴッホはモネ、ピサロ、ドガ、スーラの絵を見る。それまでのゴッホの絵は陰鬱な色彩だったがここにきて印象派の光に驚かされる。ピサロの指導の下に、ゴッホは短期間ながら印象派の時期に入った。しかし、1888年にアルルに移ってから、彼は印象派の影響を排して、強い色調のぶ厚い塗りで大胆な絵を描きだした。

この有名な向日葵は1888年に6枚描かれ、そして翌年にも続いて何枚かの模写が作成された(1枚焼失、1枚は日本のSOMPO美術館所蔵)。当初「向日葵」はゴッホがアルルのゴーギャンの部屋を飾ろうとしたものであった。親しかった当時のゴーギャンはゴッホがこの絵を描いている絵を同じ年に描いている。しかし直後にゴッホとゴーギャンが激しく争うことになり、ゴッホはゴーギャンを襲って精神病院に収容されてしまう。そして1890年ゴッホは拳銃で自殺。

これまで実際に鑑賞したのはロンドンのナショナル・ギャラリーが所蔵する黄色の向日葵(1888年制作のうちの一つ)。青色を排して黄色に凝縮された向日葵(と背景も)は、この美術館の最も重要な100枚の絵の一つに選ばれたものであり、個人的には彼に描いた向日葵に中でも一番の高みにあるように思う。

ゴッホは「グランド・ジャット島の日曜日の午後」で知られるジョルジュ・スーラを高く評価していて、特に色の理論に興味を持ったことは知られている。ゴッホの死後、スーラは1891年にアンデパンダン展でゴッホの追悼展覧会を計画したがスーラはそれをみることなく、31歳の生涯を閉じてしまった。

「向日葵」(ゴッホ、ロンドン・ナショナル・ギャラリー所蔵)

暑い日差しの中で黄色い大きな花を開いている向日葵。

 

 

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