光を通すためにはガラスが一番。それも単に見えるというだけでなく、時にはゆがんだガラス越しに見る風景も趣がある。ガラスを通すことによってまるで風景に味付けがされるように。飾り棚は3段になっているがそのうちの一枚、ガラスにひびがはいってしまった。しばらく倉庫に置いていた家具を引っ張り出してみたら、ガラスが割れていたのだ。止む無く、近くのガラス屋を調べると、家の近くに数年前、書棚の扉のガラスの交換を頼んだところがあったのを思いだした。
ガラスの寸法を測って、行ってみると店は開いているのに人影がない。作業中の仕事もそのままに忽然と人だけが消えてしまったような、何だか昭和の時代にでも舞い戻ったような風景だ。引き戸を開けても誰もいない。と、横に表札のようなものがぶら下げてあり、そこには「急ぎのお客様はこちらに電話ください」と電話番号が書いてある。不用心と言うのか、工作機械もそのままに置いてある。この番号に電話するとすぐにこのガラス屋の店主が出てきた。ガラスを買いたいので来たのだが、と言うと近くの現場(仕事を請け負っているところの意味か)にいるので、すぐ行くから待っててくれと。5分もしないうちに店主が軽トラックで現れた。
こちらの欲しいものをいうと早速台帳のようなものをひっぱりだし、それなら一万円で、と。この値段なら妥当だろうとおもったので、注文ということになった。この店主、愛想は良くもなく悪くもない。必要なことしか言わないが仕事には自信がありそうだ。ついでに、ガラスの角を削って安全なものにしてくれる、と言う。職人とはこういう人物を言うのだろう。自分の仕事に愛着と誇りを持っている。客に媚びることもなく、かといって、かたくなさや狭量なところを感じさせない。
職人気質ということでは先日ピアノの調律に来た、70歳を超えたかもしれない調律師に同じ感じを持った。自分はピアノとは昔から縁があったほうだと思う。日本にいた時もイギリスにいた時も家にはピアノがあった。ニューヨークに勤務していた時、ピアノを弾きたくなってはじめはレンタルでも、と思って知り合いに聞いてみるとニューヨークの中心から小一時間のところにピアノの大きな専門店があるので、そこへいってみたらどうかと言われ、休日に行ってみると広い体育館のようなところにピアノがずらりと並んでいた。
値段は安いものは数千ドルから高いものは数万ドルまで、日本製もあれば、ドイツ製、フランス製、アメリカ製と多種多様。自由に弾いてみてくれ、と言われてあたりを見回すと、お客と思しき老若男女が様々に試弾している。もとより、趣味に毛の生えた程度なのでそんなに高いものは最初から検討の対象外だったし、それに部屋の広さから言ってグランドピアノも対象からはずした。いくつか弾いているうちに少し背の低い中古のアップライトピアノが、他のピアノと違って深い音が長く残る、タッチはすこし重た目だが、一番自分の好みに合ったものだった。
同じようなピアノと比べるとかなり高い。未練がましく見ていたのを察知したのか店員が近づいてきて、2年後にはあらかじめ約束した値段で引き取る。実質リースと同じだから気楽に考えてくれ、と。確かに2年後に返すのであればリースとおなじだ。少し迷ったが結局それに決めた。
2年経ってしまうと愛着も湧いてくるし、費用のこともあまり気にならなくなってしまい、このまま引き取るということにした(店側としてはこうなることをひそかに予想していたのではないかと思う)。そして日本に帰国となり、このピアノも一緒に戻ってきた。ピアノの輸送は特定の業者がやるということだったが、思ったほどの費用はかからなかった。
それからしばらく経ったのでネットで調べて調律を頼んだ。調律師は、このピアノは製造番号から1967年製だが、一体にこのピアノであればきちんと調律すればまだまだ大丈夫だと。多少割り引いても、自分の生きている間は音を出してくれそうだと思った。この調律師は国産の大型の乗用車に乗ってさっそうと現れた。白い髭がすこし気難しいところがあるように思えたのだが、むしろ、久しぶりに古いピアノに巡り合ったと言って張り切って調律してくれ、話がはずんだ。彼はこのピアノの調律一筋で、このピアノメーカーから公認されたのだといい、時にはコンサートピアノの調律もしていると少しだけ自慢げだった。
今は家具となっているこのピアノ、それでも調律だけはこれからもしておこうと思う。自分が弾かなくてもいつか誰かが弾いてくれるかもしれない。そうしなければ丹精込めて調律してくれたあの老調律師にも悪いではないか。