庭の手入れをしばらくしなかったから、芝生がかなり伸びてしまっていた。今朝、あまり暑くならないうちにと思い芝刈りを始めたところ、多分30分もあれば終わると高をくくっていたのだが始めるとつい気になって縁のほうの刈り込みをしていたら随分と時間がかかってしまった。電動の芝刈り機の調子が悪く(何かの拍子に異音が発生する)、昔からの手押しの芝刈り機を引っ張り出してみた。20年以上前の芝刈り機で、去年このメーカーが無料で点検すると言うサービスがあったのでそこへ持って行ったら、大切に使っているんですね、と言って丁寧に調節してくれ、かつしっかり刃も研いでくれたので、とてもよく切れる。ただし、人が押さなければならないので体力を要するが。
調子に乗って家の前と横の庭の芝刈りをして、さらに縁の刈り込みをしていて立ち上がったらひどい眩暈に襲われた。汗が出ていないのに顔が火照る。さらに体のだるさも感じた。まさかコロナウイルスに感染したはずもないので、これは軽い熱中症に違いないと思い、芝刈りを切り上げて家に入った。水分を取らねば、と思い冷蔵庫を開けてみたら、昨日、家庭菜園で採れたスイカが冷やしてあった。水分補給と栄養をと、一石二鳥になると思い、一切れを持って冷房を入れた部屋に戻った。
冷房が効いてきてやっと体のほうも落ち着いてきて、スイカを食べているとどういうわけか、3年ほど前に死んだ大学時代の友人のことを思い出した。彼には葬儀と言うものはなく、葬儀終了を新聞のお悔み欄で知ったので、喪主である奥様に電話して自宅にお悔みに上がったことがある。その時に、香典の他にその日に家庭菜園で採れたスイカをお供えにと携えて行った。彼は最初の結婚に失敗(結婚後まもなく離婚)し、2度目の奥様が喪主をつとめていた。ただ、無宗教ということで、お悔みに上がったところには彼の遺骨と遺影、それに形見のメガネと腕時計が祭壇代わりのテーブルに飾ってあるだけだった。
彼は、大動脈解離と言う心臓に係る病気で突然死んでしまったのだがそれまでは健康そのものだったという。彼は教員として順調に出世して大きな歴史のある中学の校長を数校歴任した後、大学の講師として再出発したばかりだった。突然のことで奥様の落胆ぶりには気の毒としか言いようがなかった。そして、お悔みの後昔話になったのだが、奥様からは、最初の結婚について何度も彼に問いただしたのだがいつもはぐらかされてしまった、もし、最初の結婚相手について何か知っていたら教えてほしいと。最初の結婚相手は大学の同級生だったから全く知らないわけではないが、記憶はあいまいだし(何しろはるか昔の話だ)、それが奥様の彼への記憶に何か影響を与えるかもしれないと思うと軽々には話せず、少し話は聞いたがあまり知らない、と言う程度しかいうことは出来なかった。今さら知ってどうなるのだろう、と言う思いと、知らないままでいることの辛さを思う、板挟みになったが、何より不確かなことは言えない。「最初の奥さんのことは良く知らない。ただ、彼はいつでも誠実な男でしたよ」と言うことだけは強調しておいた(事実そうだった)。多分納得はできないだろう。いや、どう話をしたところでいつまでも納得できない、薄暗がりのようなものが残るだろう。しかし、それが人間関係と言うものだ。
無宗教と言うことですがこれからどうするのですか、と訊いたら、奥様からは、生前からの約束通り彼が好きだった海に散骨します。また、遺骨の一部でダイヤモンドを作り、それを指輪にして肌身離さずいつも一緒にいたいと思います、と言う話だった。無宗教と言い、散骨と言い、遺骨ダイヤモンドといい、身近にはそのような話を聞いたことがなかったので、ずいぶんと新鮮な感じがした。しかし、それが二人にとってベストなのであれば他人が何か言うことなどあるはずもない。
簡素な祭壇の横に場違いな感じでおかれたスイカだった。今日と同じように暑い時期だったので、早く召し上がってください、と言って彼の家を辞したのだが、彼との、大学生活のうちのわずか1年ほどの付き合いが一遍に蘇ってきた感じがした。彼の散骨を聞いて、彼が当時心酔していたフランスの詩人アルチュール・ランボーの詩の一節を思い出した。
彼が生涯を過ごした北海道。この、太陽が沈んでゆく日本海のどこかに彼は眠っているに違いない。積丹半島から望む。