体調不良を理由に首相が退陣を決断した姿を見て、同情の念を抱かずにはいられなかった。病気の中でも特に、腸の病気は激しい痛みを伴って苦しい。体調の良しあしは当然ながら精神面にも影響を与える。こういった状況ではつい判断を誤るものでもある。治療や体調不良のために十分な仕事が出来ないことが明らかなのにもかかわらず、地位にしがみついている例はいくらでもある。ましてやそれが国の最高権力者であれば、何かの理由で引き下ろされない限り自ら退陣を決断するのは容易ではない。また、その陰で利益を受けている関係者にとっても死活問題で簡単に退陣は許せないだろう。この点で、決然と国民の前で退陣を表明したことは潔いし、その出処進退には共感を得られるだろう。
責任ある地位にあるのなら誰でも身を引く時のことをいつも考えているべきだ。やるべきことはすべてやったと思えることはまずない。どんなに全身全霊を傾け続けてきてもこれでいいと思うことはない。ひとはいつでも未完の仕事をしている、と感じるものだから、なおのこと。
こんな事を思うのは、最近、それなりに責任ある立場にある知人からも退陣の連絡を受けたためだ。彼が今の地位を去ろうとするのは、だんだんと自分が弱ってきているのでは、と思うことが多くなったためだ、と。かつては、他人に対する好き嫌いや同情の念が強くあったのだが、最近はそれをあまり感じなくなった。たとえそういう気持ちがあってもそれを言葉にすることが出来ない。言葉に出来ないと言うことは、なかったことと同じではないか。言葉にすることによって初めて何かが存在するのだと思っていると。
それから、まだ若いうちはあまり恐怖心と言ったものはなかったが、今は高所恐怖症だし、閉所恐怖症でもある。少し高い所から下を見ると足が震えてくる、もし先の見えない洞穴の中に迷い込んだら恐怖感で背筋が冷たくなる。何に対してもそうだが、立ち向かうことが出来る、と思っているときには恐怖感を感じない。
自分の反射神経に信頼が置けてすぐにバランスを取り戻すことが出来るという自信があれば高所恐怖症になるはずもない。さらに、反射神経が衰えたのに加えて、筋力も衰えているから自信を喪失するのだ。ゆるぎなく片足でしっかり立つことが出来れば怖くはないはず。例えば、少し高い塀でも、乗り越えた後安全に着地する自信があれば、あるいはバランスを崩さずに足を上げることが出来れば塀を乗り越えるのに何の不安も感じないはずだ、と。
わざわざ連絡してくれたのは良いが、表舞台から退場後、彼は何をするのだろう。家族と仲睦まじく小旅行でもするのだろうか。あるいは回想録でも書くのか。なかなかその姿を想像することが出来ない。誰しもいつか必ず退場する時期が来る。時期を間違えなければ退場するものは美しい。とにかく体を大事にして長生きしてくれ、としか言いようがなかった。