パナマの漁師の子に生まれ、クローザーとして世界の頂点を極めたマリアノ・リベラの、今日はヤンキーススタジアム最後の投球となった。試合は4対0で、決してリベラの登場すべき場面ではなかったが、これほどの大投手の最後の試合として、いわば神の采配だったのかもしれない。試合後、マウンドに感無量でしばらくたちつくし、そしてプレートの上に土を集めて、それを大事に持ち帰ったリベラ。思いつめた表情と、ヤンキースの勝利を確かなものにしてきた手と、今日のあの場面は記憶に残るものだった。デレク・ジーター、アンデイ・ペテイットとともにヤンキースをヤンキースたらしめた稀代の大リーガーの引退に拍手を送りたい。
大統領間の接触は実現しなかったが、外相レベルでの米ーイラン交渉はこれまで33年間の外交断絶を転換させる契機になりそうだ。特に、ケリー長官の会議後のコメントからは米側、そして長官自身が如何にイラン交渉で得点を稼ぎたいかを読み取ることが出来る。それだけシリア問題での米国外交の失敗が深刻だったということだ。一方、通常であればこのような米側の足元をみる反応がイラン側からあるはずだが、今回に限り、ザリフ外相のイランはあくまで控えめで、理性的に振る舞っている(ように見える)。これは、経済制裁によるイラン経済の困窮が厳しいことを物語るものでもはや背に腹は代えられない、状態にあるためだ。
個人的には、狂犬のようだった前大統領を除いて、イランに対して親しみを感じてきた。イランの核開発が平和目的とは言えないことはは明らかだとしても、かつての南アフリカのように、これから転換させることは可能だと思いたい。そして、イスラエルとの軍事衝突を避けることが出来れば(ネタニエフは今のところ全く懐疑的だが)こんな望ましい展開はない。
抜けるような青空が拡がった今日、身近に秋を感じる花を撮ってみた。ナナカマドはしっかりと実をつけている。マリーゴールドも満開。庭のぶどう棚ではそろそろ食べごろなたわわな房が。紫陽花の中では一番小柄な株がまだ色褪せない花をつけていた。北のほうでは今朝初霜、気温も放射冷却のせいで今年一番の寒さとなったところがある。
秋は足早に去りつつある。
明日公表される予定の気候変動に関する政府間パネル(Intergovernmental Panel on Climate ChangeーIPCC )の報告書では、人間の活動による地球温暖化について自然科学的根拠の観点からの結論が出される。今回の報告書は、これまでの IPCCの報告書を根拠として環境保護派が主張してきた、人間の活動が温暖化の原因だとする主張を真っ向から否定するものになるという。これまで、コンピューターによる試算の結果、人間の、特に事業活動が温暖化の最大原因とされてきたが、この試算は二酸化炭素の気候に与える影響を過大視した大きな誤りを含んだものであり、換言すれば、地球温暖化は人間の排出する二酸化炭素によるものだという説が、それを主張する科学者のキャリアのためであったという事実が明らかにされることになるという。実際、1998年から温暖化は進行しておらずいわば休止状態にあり、いまのところ再開する兆候も見えない。その間、二酸化炭素排出は依然として増加しつつある。彼らにとってはまことにもって不都合な真実、である。
いくら自然科学的な根拠を喪失したといっても、二酸化炭素排出⇒地球温暖化説で肥え太ったたとえばアル・ゴア元米副大統領など"環境保護派”という既得権層がその主張を簡単に撤回するわけもなく、しばらくは最後の努力を続けることになる。
また、風力発電など金の匂いを嗅ぎつけてきた一部の政商たちは、このことを察知して既に次の標的に向かって動き始めている。最近、自然エネルギーなどという言葉が聞こえてこないのはそのせいである。彼らが抜けて、いまどき宙に浮いてしまった風力発電事業や排出権取引にかかわっているのはいつもの通り最後のババをひく一部の投資家と、無責任官僚が自己の出世や保身のために税金を投入する国家だけということになりそうだ。
チャオプラヤ川河畔にそびえるバンコクを代表するこの仏教寺院にはこの街を訪れるたびに必ず足を運んだものだ。2年前の大洪水でチャオプラヤ川が氾濫、その年の暮れに対岸から渡し船を利用して渡ったときには川の水面がまるで表面張力で膨れ上がっているかのようで不気味だったことを思い出す。このWat Arunの近辺はかつては野良猫がたくさん我が物顔で闊歩していたのだが、洪水のせいだろうか、その時には全く見かけなかった。この写真でもわかるように目もくらむような急峻な階段をのぼって上がってゆく。歳とともに高所恐怖症の気が出てきて、中段からそれ以上には登れなかった。ただ、中段でも一周するとバンコク市街や、この塔をとりまく寺院群とその熱帯らしい装飾が眼前に迫ってきて、いつも気の遠くなるような軽い眩暈を感じた。
三島由紀夫の最後の小説「豊饒の海」第三巻「暁の寺」で日本人にもすっかり馴染になったこの塔が、9月24日から2016年まで3年間、補修工事のために観光客の立ち入りが出来なくなるという。今度バンコクに行くときには多分工事で覆い隠されているだろうから、この街の旅行の楽しみが一つなくなることになる。