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天下大乱の相…

2011年10月01日 09時02分51秒 | 海外
佐藤守氏ブログより

新書を上梓したこの1週間は何かと多忙で更新が遅れてしまった。

前回、前々回と大陸の動向を書いたが、このところ明日の10・1建国記念日を前に北京では不穏な空気が漂っているという。

今日の大紀元日本によれば、≪中国共産党が政権を樹立した10月1日を前にして、中共国家信訪局など、北京にある中央政府機関の陳情受付所の周辺は、国内各地から上京した膨大な数の直訴者であふれている。その数は数万人とも見られる。一方、付近には直訴を阻止する地方政府の車両も多数待機しており、直訴者を拘束して強制的に地元へ連れ戻している≫という。


≪同大紀元時報から≫

直訴者が北京まで来て陳情を行う理由はさまざまだが、「地元の地方政府に訴えても全く効果がない、あるいは地方政府から直接的な被害を受けたなどの理由」も少なくないらしい。

他方、中国のネット人口は5億人を突破し 政府は管理を強化する方針だという。

つまり中国の人口に占めるネット利用者の割合は4割に近づいたわけであり、不満を多く抱える農村部のネット人口は1億3千万人を超えたというから、わが国の総人口に匹敵する。情報の拡散は、政府の手に負えなくなりつつあるから「強権」の発動は「公安・軍などによる鎮圧」以外にはなくなるだろう。

昨日の大紀元時報には、

≪1989年に北京天安門で起きた学生の大量虐殺事件に参与していた兵士が当時、兵士が学生に殺害されたということを理由に中国共産党軍側が兵士らに下した学生への「無差別発砲」命令を受けて、千人以上の学生を死亡させたことが、ウィキリークスが8月30日に公開した米外交公電に記されていた≫

≪1990年3月26日に作成された同外交公電によると、上海の米領事館職員が浙江省農村地区に帰省した時に、村の婦人からその息子の実体験を聞かされた。その内容とは、1989年6月4日天安門事件当時、第38軍に属するその息子と同部隊兵士らは、天安門広場の南東方位から警告のために空に向けて空発砲する任務だった。しかし後に、同部隊の100人の兵士が行方不明になっており、それは学生らに殺害されたからだとの噂が流された。そこで部隊側がすぐさま人数を確認したところ確かに100人あまり減っていた≫

≪そこで、学生たちに対して怒りを感じた兵士らは、上部からの発砲命令を受けて、迷わず前方にいた群衆に向けて銃で掃射した。その結果、千人以上の死体が目の前に現れた。死者の殆どは一般民衆だった。兵士らは死体にガソリンを掛けて燃やし、焼かれた死体はヘリコプターで撤去されたという≫

≪実は、当時行方不明になっていた100人の兵士は後に、全員が現れた。この兵士は自分が騙されて無抵抗な民衆を銃殺したことを悔やんだ。軍側から帰省中のこの兵士親子に対して村で同件について一切話してはならないと口を封じられた≫という事実を報じていた。

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