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3億円を株投資で失い、40歳で時給850円のバイト…人生に絶望した男性が「19時間待ちのラーメン店」を築くまで

2025年01月12日 07時06分36秒 | グルメ
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「ぶたのほし」店主の髙田景敏さん© PRESIDENT Online

兵庫県尼崎市のラーメン店「ぶたのほし」は2018年のオープン以来、行列が絶えない人気店だ。店主の髙田景敏さん(56)が手掛ける一杯を求め、最大19時間待ちになる。40歳からアルバイトでラーメン作りを学んだ髙田さんは、どうやって人気店を築き上げたのか。その経緯をフリーライターの川内イオさんが描く――。

「人生の成功とは、お金持ちになること」と信じていた

兵庫県尼崎市に、最大19時間待ちのラーメン店がある。JR尼崎駅から徒歩10分ほどの場所にある「ぶたのほし」が、そのお店。ここのラーメンを求めて15時に並び始め、翌日11時の開店を待つ人がいるのだ。

ぶたのほしの店主、髙田景敏(あきとし)さんは、異色のキャリアを持つ。かつて億を超える資産を築いたが、のちに死すら意識するほどのどん底を味わった。その時、京都の有名店「無鉄砲」のラーメンに救われ、40歳にしてアルバイトを始める。9年間の修業を経て、50歳の時に開いたのがぶたのほしだ。

なぜ、ラーメンのために19時間待ってもいいと思えるほど、ぶたのほしは支持されるのか? ヒントは、店主の歩みにある。

 

大阪市で生まれ育った髙田さんは、物心ついた時から「人生の成功とは、お金持ちになること」と考えていた。この思考は、父親の極端な教育方針で育まれた。不動産業を営んでいた父親は、ベンツやロールス・ロイスを所有していた。家族で出かける時、髙田さんだけがその車に乗ることを許されず、ひとり自転車で目的地に向かった。

「非常に厳しい父親で、よく殴られたし、怖い人でした。直接言われたわけではないけど、いい車に乗りたかったら自分で稼げるようになれということだったみたい」

「早く儲けたい」の一心で起業

高校生にもなると、「絶対に親父を超えてやる」という反骨心が芽生えた。当時、「最もお金持ちへの近道で、なおかつ親父と違う道を歩める」と考えていたのが株のディーラーで、一獲千金を目指して著名な相場師の豪快なエピソードを集めた『実録・北浜の相場師』などを読み漁った。高校卒業後、一浪して甲南大学の法学部へ。お金持ちへの最短距離を歩むために商法を選択し、就職活動では某大手証券会社から内定を得る。

しかし、大学4年生の時に、有名な経営者が主宰するビジネスサークルに入って気が変わった。1年間、友人とともにうまくいけば合法的に、スピーディーに、大金が手に入るビジネスモデルを学ぶ。そこで手ごたえを得て、大学卒業後、その友人と化粧品販売会社を立ち上げた。「早く儲けたい」一心だった。

サークルで教わった通りにビジネスを始めると、あっという間に大金が転がり込んだ。起業して3カ月で月収が150万円に達し、毎日のように大阪のミナミで飲み歩いた。しかし、爆速で稼いでいた若者グループが失速するのも早かった。組織が大きくなると、末端まで目が届かなくなる。一度、狂った歯車を軌道修正することができず、2年も経たずに会社を畳むことになった。

いかにロイヤルカスタマーを作るか

髙田さんは次に携帯電話の販売代理店を始め、数カ月で驚くほどの契約を得る。通信会社から表彰されて、ハワイにも行った。ところが、髙田さんにとって「めっちゃ簡単」なビジネスは、通信会社側の事情で1年もせずに終息する。

やることがなくなってブラブラしている時、髙田さんから大量に携帯電話を買い取っていた大手企業の幹部が「京都で独立するんやけど、一緒に来てやれへんか」と声をかけてきた。ふたつ返事で京都行きを決めた髙田さんが入社したのは、高級な和服、洋服、毛皮などを販売するアパレル企業。そこには驚異的な売り上げを誇る女性の本部長がいた。顧客に「崇拝されているように見えた」という本部長から、髙田さんは「お客さんを、いかにロイヤルカスタマーにするか」を教わった。

「例えば、本部長は相手の心を開くのが超得意なんですよ。初めて会った人がみんな、本部長を好きになる。なんでかなと思ったら、本部長が最初にお客さんのことを好きになってるんですよね。どんなお客さんにも、関心を持って話しかける。『あなた初めての人? その猫ちゃんのブローチどうしたの、ステキね』って。それで本部長のファンになった人たちに対して、AIDMAの法則(商品を認知してから購入に至るまでの過程)に従って科学的にアプローチすると、自ら喜んで本部長の勧める高額商品を買うようになるんです」

29歳で手取り1500万円の営業部長に

髙田さんが「こういうことか」と肌で感じたのは、大学生の頃から何度も読んだ松下幸之助の本に書かれていたことだ。

「松下幸之助は、人とモノとお金のダムを作るのが経営と書いています。先のことを考えずに人、モノ、お金を使うのではなくて、ダムを作って、貯めたなかから必要な分だけ活用する。使った分が常に溜まるような仕組みと工夫と努力をしなさいという内容です」

髙田さんには、本部長を支える分厚い顧客層が、ダムになみなみと貯まる水に見えた。

厳しい本部長のもとで鍛えられた髙田さんは、凄腕の営業マンとして成り上がっていく。29歳で営業部長に抜擢され、給料は手取り1500万円、さらに会社から支給された経費用のカードを自由に使うことが許された。183センチの長身にアルマーニのスーツを着込み、京都の繁華街を闊歩(かっぽ)していた男はしかし、まだ満足していなかった。もっと儲けたい――。

欲望に燃える髙田さんが目を付けたのは、孫正義だった。孫正義とソフトバンクに関する書籍をすべて読み、スケールの大きさに感嘆した髙田さんは、決意する。

「この人に全財産を賭ける」

絶望のリーマンショック

2000年4月、日本のITバブルが崩壊し、一時期、4万円がついていたソフトバンクの株価も大きく下落した。その頃に株を買い、反転したタイミングで売った。預金通帳には、1億円を超える残高が記された。この時、髙田さんは原点に返る。

「これを元手に、トレーダーになろう」

2003年、35歳の時にアパレル企業を辞めた髙田さんは、デイトレーダーとして株の売買を始める。この時も、松下幸之助の「ダムの経営」を取り入れた。ブログを開設して、リアルタイムでなんの株をいくら売り買いしたのかを記し、1日の終わりの収支や反省点も明らかにする。狙い通り、右肩上がりでPVが増えていったタイミングで、有料会員限定のコンテンツに切り替えた。すると、200人ほどが会員になった。

デイトレーダーとしての収支は黒字で、有料会員からの会費も入ってくる。髙田さんの資産は、最大3億円に達した。順調に見えた「お金持ち」への道はしかし、一気に崩壊する。2008年9月のリーマンショックで資産の9割を喪失したのだ。

茫然自失の髙田さんは、手元に残った1割の資産で、日々を漫然と過ごした。当時の妻からは「アパレルに戻ったら?」と言われたが、その気力も残っていなかった。ただ毎日、韓国ドラマを観続けていた。

1年が経ち、貯金が尽きかけた頃、「もう、ええか」と感じ始めた。うまいメシも食った。高い車にも乗った。あれもした、これもした。これまで、たくさんいい思いをした。頭のなかには、「死」の文字が点滅していた。

人生最後のラーメン

ある日、ついに「もう死のう」と立ち上がった。その時、唐突に思い浮かんだ。

「もう1回、最後に食べに行こう」

最後の晩餐に選んだのは、京都に本店を構える「無鉄砲」のとんこつラーメン。大学生の頃からラーメンの食べ歩きを始めた髙田さんが最も愛したラーメンだった。ひとりで昼時を過ごすデイトレーダーになってからは、年間100杯は食べていた。

「俺の一杯を探す旅」というブログも書いていた。無鉄砲では「麺固め」「こってり」「ねぎ多め」などのオーダーができる。毎回オーダーを変えて、最高の組み合わせを探るという内容だ。あらゆる組み合わせを試して出した結論は、「普通のラーメンが一番」。

 

人生最後の一杯として足を運んだ無鉄砲大阪店で注文したのも、シンプルなとんこつラーメンだった。

豚骨と水だけで作る、濃厚かつ滋味豊かなスープをすする。ジュレのようなスープによく絡む麺、トロトロに煮込まれた自家製チャーシュー。40年の人生で一番多く食べたラーメンは、その日も変わらない味だった。

「無鉄砲」の大将のもとへ

丼を傾け、スープを飲み干す。その時、髙田さん自身も予想しなかった思いが、グツグツと沸き上がってきた。

「どうせ死ぬんやったら、これを1回、自分で作ってから死んだらええ!」

その日、無鉄砲の大将、赤迫重之さんが不在だったため、自宅に戻った髙田さんは、便せん3枚にわたって手紙をしたためた。

「自分がどれぐらい無鉄砲のラーメンを食べてきたか、なぜこれだけ無鉄砲が好きなのか、過去にどんなとんこつラーメン食べたのか、僕が入ったらどんな仕事をしたいのか、思いのたけを書きました」

3日後、大将から「今すぐうちに来なさい」と電話がかかってきた。京都の郊外にある邸宅で、大将、女将さんと向き合った。そこで、髙田さんは無鉄砲への思いを訴えた。この時、40歳。髙田さんと同じ年の大将はなにを思っただろう。30分ほどの面接を終えた時、「明日から来なさい」と言われて、髙田さんは、ホッと胸をなでおろした。

洗い場から抜け出すために

2009年6月、髙田さんが「地獄」と振り返るラーメン修業が幕を開ける。

時給850円のアルバイトとして入店したのは、奈良の大和郡山駅から徒歩40分ほどの場所にある無鉄砲の支店「豚の骨」。当時、髙田さんが住んでいた大阪市福島区の自宅から片道2時間以上をかけての通勤が始まった。

最初の仕事は、食器洗い。厨房の奥の狭い場所で食洗器の熱気がこもり、エアコンがまったく効かない。湿度90%の熱帯にいるような環境で9時から22時45分まで働き、終電で帰った。2日目には、「もう無理やわ……」と音を上げそうになった。

無鉄砲でスープに触れることが許されるのは、店長のみ。当時、無鉄砲には腕に覚えのある若い店長候補が10人ほど働いていた。40歳のアルバイトがラーメンを作れるようになるには、できる限り早く彼らのレベルに達しなくてはならない。

 

ではどうするか? 洗い場から早く抜け出したい一心で、髙田さんは全力でアピールを始めた。洗い物を頑張るというレベルではない。休憩に行ってと言われても、「必要ないです」と頑としていかない。それじゃあ会社が困ると怒られると、外に出て、スープを作る大将が厨房の窓から見える位置で腕立て伏せ。

大将から「あきちゃん、なにしてんの?」と呆れ顔で聞かれた時には「ラーメンを作る日に備えて体力作りです」と答えた。

運命を変えた“移籍”

アピールを始めて間もなく、総本店に店長候補が集まる研修会に呼ばれた。そこで、鉄の棒を使ってスープを混ぜる無鉄砲独特の方法を体験した時には、その棒を誰にも渡さなかった。その日の夜、「あきちゃん、すごいな。棒、離さんかったらしいな」と苦笑まじりの電話が大将からかかってきた。

「あいつアホちゃうかって思われたでしょうね。自分の過去の話は一切しなかったから、大将にとっては、人生こけてこけてこまくって、ラーメン屋の門を叩いたかわいそうな同い年のおっさんだったと思います」

アピールの効果か否か、入店から4カ月後、大将の指示で新店舗の「つけ麺 無心」に移ることになった。この移籍が、髙田さんの運命を変える。

その店は、オープンからすぐ人気店になった。あまりに多忙で、間もなくして店長が離脱。スープ担当になった二番手は、いきなりの大役に技術が追い付かない。大将はここで、洗い物と掃除担当だった髙田さんを抜擢する。

大将は、数日だけスープの作り方を指導すると、あとは髙田さんに任せた。髙田さんによると、無鉄砲では5年働いてもスープに触らせてもらえない人もいる。それが、入店から5カ月目にして、スープにたどり着いた。つけ麺のスープは当然、ラーメンに通じている。

「おれはついてる!」と幸運を噛み締め、一心不乱に働いた。しかし、40歳の身体が気持ちについてこなかった。

両足の皮下と筋肉組織の間に細菌が入る病気に罹り、10日間ほど入院。その間に別の店からきた助っ人が店長に就いた。

大阪でこっそり学んだスープづくり

そのタイミングで再び異動になり、大阪店へ。デイトレーダー時代、大阪店によく食べに来ていた髙田さんは、「スープの達人」と称される店長と顔見知りだった。すぐに意気投合した店長は、ホール係の髙田さんにラーメンやスープ、接客に至るまであらゆるノウハウを伝授した。

しばらくすると、また大将から連絡があった。東京に無鉄砲の支店を出す、大和郡山の店長を連れていくという話で、「あきちゃん、大和郡山の店長しな。ちょっと面接するわ」。

面接の日、「スープ作ってみて」と言われた髙田さんは、緊張しながらも大阪店で学んだスープを出した。それを飲んだ大将の顔色が一瞬で変わる。

 

「あきちゃん、なんでスープ作れるん?」

先述したように、無鉄砲でスープに触ることを許されているのは、店長のみ。ギクッとした髙田さんだが、大阪店の店長のことを高校生の頃から知る大将はなにが起きたのかすべて悟ったような表情をした後、特に問い詰めるでもなく、「店を黒字にしてくれ」と言い残して、東京に向かった。

店長としての執念

2010年6月、大和郡山の支店「がむしゃら」(元「豚の骨」)の店長に就任。モノを売る、売り上げを伸ばすのは得意分野だ。髙田さんはスタッフに「一緒に売り上げを伸ばそう」と呼びかけ、とにかく褒めて、褒めて、褒めまくって働く気持ちを盛り上げた。

トイレ掃除、ゴミ捨ては自分でやり、店をピカピカに磨き上げ、「皆さんはお客さんに集中してください」と伝えた。お客さんにも、アパレルで働いていた時に鬼の本部長から教わったように接した。

「常連さんの名前を覚えて、名前を呼んで『いつもありがとうございます』と言うのはもちろん、常連さんが友達を連れてきたら、その人の顔を立てるように話しかけます。お客さんがスープを残して出ていったら、追いかけて、なんで残したのかを聞きました。そのお客さんのことを覚えておいて、次に来た時に、『あの時はすいません、今日はちゃんと改善しますので』と伝えます。そういうことを、コツコツ、コツコツ続けました」

クビになるかもしれなかった「事件」

髙田さんが店長に就任してから、右肩上がりで売り上げが伸びた。その背景には、クビになるかもしれなかった「事件」もあった。

豚骨と水しか使わない無鉄砲のスープは野性味が特徴だが、髙田さんはそれを苦手にする女性客が多いのではと仮説を立てた。そこから骨の配合など試行錯誤を重ね、3、4年目に入った頃には「めっちゃどろっとしてるのに上品」なスープに仕上がった。

この頃、無鉄砲の女将さんが突然店に来て、一口食べた瞬間、「あきちゃん、これ無鉄砲のラーメンとちゃうやん!」と小さな声で叫び、怒って店を飛び出した。間もなく、大将から「どうしたの?」と電話がかかってきた。店長が勝手に店のスープをいじったのだから、クビになるだろうとビクビクしながら正直に話した。大将は少しの間沈黙した後、尋ねた。

 

「お客さんはそれで喜んでるんか?」

大将の判断基準は、いつもお客さん。それを知る髙田さんは神妙に「そう信じてやってます」と答えると、大将は言った。

「あきちゃんの好きにしたらええ。その代わり約束してくれ、お客さんを絶対に笑顔で帰すこと」

この言葉を聞いた瞬間、髙田さんは、「この人には絶対に勝てない」と感服した。

「あきちゃん、ほんまは店やりたいんやろ」

独立することになったのは、事故がきっかけだった。2016年10月、渋滞中の道路でトラックから追突され、左肩の筋肉を支える4本の腱のうち3本が切れてしまったのだ。手術とリハビリで、全治10カ月。その間、自分の店をやりたいという思いが溢れ出し、手帳一冊分の構想を記した。

ケガがほぼ治りかけた頃、大将から奈良の実家に来るように呼び出された。近所の串カツ店に入り、昼間からふたりで焼酎を飲む。しばらく時間が経った頃、大将は言った。

「あきちゃん、ほんまは店やりたいんやろ。やったらええわ。もしあかんかったら、帰ってきたらいい」

髙田さんはそれまで一度も、独立したいと口にしたことはなかった。それだけに、意を汲んで背中を押してくれた大将の言葉は胸に沁みた。

「その一言は、ほんまもう一生忘れません」

その後、大阪店でアルバイトをさせてもらいながら、店を開く場所を探した。最初の条件は、無鉄砲の支店がないエリア。もうひとつの条件は、私生活でも一緒に行動するようになった常連さんが何人もいる大和郡山周辺から通える距離であること。

どちらも満たすのが、尼崎だった。

ラーメンがつなぐ縁

10カ月かけて探し歩き、ようやく出会ったのが、フラリと入った不動産店で紹介された、もともと工場だった物件。JR尼崎駅から徒歩10分ほどでありながら、準工業地帯で豚骨のにおいも行列も問題なしという好条件だった。

しかし、手持ちの資金が圧倒的に足りなかった。2009年6月に働き始めてからずっとアルバイトだったため、120万円しか貯金がなかった。それは、一度ガンの手術をした時に入ってきた保険金だった。

ある金融機関に工場のリフォームと運転資金に必要な1000万円の借金を申し込むと、最初の担当者にはどう頑張っても800万円しか出せないと言われた。しかし、途中で代わった担当者が大和郡山の無鉄砲がむしゃらに通っていた人で、「あなたのこと、知ってますよ。任せてください」と1200万円の融資を通してくれた。

 

加えて、不動産店のオーナーの息子が「がむしゃらのラーメンを食べたことがある」という偶然から、家賃は格安、保証金も安くしてもらうなど優遇してもらった。

「こんなことある? ってぐらい、うまいこといき過ぎました。僕の知る限り、利害の関係のない人がこうやって乗っかってくる事業って成功するんです。これは俺の店、いけるんちゃうかなと思いましたね」

AIにできないこと

2018年1月20日、ぶたのほしオープン。メニューはとんこつラーメンと、さかなとんこつラーメンの2種類。がむしゃら時代に探求した独自のスープがベースになっているが、それだけで勝負しようとは考えなかった。

「(おいしい)味が作れたから偉いわけじゃない。僕は自分のラーメンがおいしいと思ってるけど、もっとおいしいところはいっぱいありますよ。そのなかでうちに来てもらうにはどうしたらいいかを考えるんです」

パッと見ではラーメン店と思えないほどスタイリッシュな内装。音が「上から降ってくる」ように、お店の高い位置に設置した高級スピーカー。そのスピーカーから流す音楽も、髙田さん自身がセレクトしている。15時の閉店後には、毎日数時間かけて清掃する。

がむしゃらの時と同じように、できる限りお客さんが気持ちよく過ごせるように接客する。どんなに忙しくても、笑顔で話しかける。

「お客さんがラーメンを食べて帰るときに、なんか元気なっとる、なんか心が軽なっとる、そういうことに対して僕らはお金もらってるんです。だからお客さんに全神経を集中するし、非日常的な雰囲気を作ったり、気持ちよく過ごせる環境を整える。そういうことも含めて、自分という人間を売るしかない。もうすぐAIが人間よりおいしいスープのレシピを作る時代が来ます。AIにできないことを僕らはやっていかないと」

常連客が19時間並ぶ理由

冒頭に記した、19時間待ちのお客さんは遠山太一さんという。年間300杯から400杯は食べるラーメン好きで、ぶたのほしがオープンした年に初めて来店している。それから6年が経ち、全国で2000杯前後のラーメンを食べてきた遠山さんが「食べ歩きしてきたラーメンのなかで一番」と断言するのがぶたのほしだ。その評価は、味だけにとどまらない。

「アキさんぐらい熱意のあるラーメン店主にはなかなか出会えないっていうのはもちろんなんですけど、アキさんってオシャレやし、音楽もオシャレやし、工場をリノベーションしたスタイルとかも、すごい好きやし。ぶたのほしって、普通に食べに行っても2時間は待つんですよ、でもあの空間におるっていうのが居心地いいんですよね」

 

オープン以来、「ここは僕の店じゃありません。皆さんのお店です。僕は皆さんに雇われている職人です。だから肩書きが工場長なんです。皆さんがこの店を盛り上げてください」とお客さんに伝えている髙田さん。

その徹底した「お客様第一主義」は、ラーメンも変える。髙田さんは基本的に「自分がおいしいと思っているものを出す」スタンスだが、オープンした時から多かった「ぶたのほしのラーメンにニンニクをトッピングしたい」という声を無視しなかった。

「アキさんのラーメン」を食べたい

2019年より年に数回、15食限定でニンニクとチャーシューをたっぷりと盛ったラーメンを出し始めたのだ。これが、またファンの心に火をつけた。

「一番おいしいのは、ベーシックな豚骨ラーメンです。ただ、たまにある限定ラーメンをアキさんがどういう感じで出してくるのかがすごく楽しみで。もう絶対に食べないといけないみたいな感覚ですね」(遠山さん)

限定ラーメンを提供する前日、髙田さんは15時に営業を終え、片づけと掃除をした後、外で待つお客さんを店のなかに招き入れ、自分は帰宅する。お客さんはキャンプ用のイスなどを持ち込み、ウーバーイーツを頼んだりしながら、夜を過ごす。

19時間待つことを厭わないラーメンマニアの集まりだから、ラーメン談議が弾んで「キャンプみたいで楽しい」(遠山さん)そうだ。それにしても、お客さんとここまでの信頼関係を築く飲食店があるだろうか。

髙田さんは、2024年12月23日、25日にも限定ラーメンを出した。遠山さんは22日のランチにとんこつラーメンを食べた後、今回もそのまま15時から19時間並んだ。その日、一緒に夜を明かしたぶたのほしファンは、ほかに4人いた。

「人生は絶対にお金じゃありません」

ぶたのほしは、2018年1月20日のオープンから1日もお客さんの行列が消えたことがない。売り上げは毎年、前年比を上回る。しかし、髙田さんは現在56歳。ぶたのほしのスープは鉄の棒で常にかき混ぜ続ける重労働のため、「60歳が限界かもしれない」と考えている。それでも現場に立つのか、人を雇って育てるのか、悶々と悩み続けている。

まだ答えは出ないが、理想の終い方は頭のなかにある。「つけ麺の神様」と呼ばれる大勝軒の創業者、故・山岸一雄さんの今際(いまわ)の際の言葉は「いらっしゃいませ」。その事実を知って、「さぶいぼが立った」という髙田さんは、最後の最後まで職人を貫き、厨房でバタッと倒れて死ぬことに憧れる。

 

「お客さんの笑顔を思い出しながら、ニヤニヤしながら死んだろと思ってるんです。そこで最後に一言、『いらっしゃいませ』。めっちゃかっこよくないですか」

若かりし頃、「お金持ちになる」という野望に燃えていた髙田さんは「人生は絶対にお金じゃありません」と笑った。

「一風堂の河原成美さんが書いた本にね、どんな辛い状況でも、どんな悲しい状況でも、どんな苦しい状況でも、仕事をしている時に心の底からありがとうという言葉しか出ない時期がある、もしそう思えたら、それがあなたの天職ですよって書いてあったんです。僕も地獄の修業時代にそう感じた瞬間がありました。生まれ変わってもラーメン屋さんしますよ」

---------- 川内 イオ(かわうち・いお) フリーライター 1979年生まれ。ジャンルを問わず「世界を明るく照らす稀な人」を追う稀人ハンターとして取材、執筆、編集、企画、イベントコーディネートなどを行う。2006年から10年までバルセロナ在住。世界に散らばる稀人に光を当て、多彩な生き方や働き方を世に広く伝えることで「誰もが個性きらめく稀人になれる社会」の実現を目指す。著書に『1キロ100万円の塩をつくる 常識を超えて「おいしい」を生み出す10人』(ポプラ新書)、『農業新時代 ネクストファーマーズの挑戦』(文春新書)などがある。 ----------

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ビットコイン誕生16周年「デジタルゴールド」はどう進化してきたのか?

2025年01月05日 09時23分44秒 | 暗号通貨

日本時間2025年1月4日。デジタルゴールドとも呼ばれるビットコイン(BTC)が誕生から16周年を迎えた。

2008年10月末、「Satoshi Nakamoto」(サトシナカモト)と名乗る匿名の人物がインターネット上に『Bitcoin: A Peer-to-Peer Electronic Cash System』と題する論文を投稿。それから約2か月後の2009年1月4日午前3時(日本時間)、ビットコインのジェネシスブロック(最初のブロック)が採掘された。

出典:mempool.space

なお、ビットコイン・ネットワーク上初のトランザクションはブロック高170の時点で、サトシナカモトから主要開発者のHal Finney(ハル・フィニー)氏への50BTC送金であった。手数料0BTCで無事に取引が成立したことは、当時の画期的な出来事として語り継がれている。

サトシの身元は現在も明らかになっておらず、個人なのか団体なのか、国籍や性別も含め謎のままだ。誕生の背景としては、2008年9月に発生した「リーマン・ショック」が大きなきっかけになったとされている。中央銀行による大規模な金融緩和や銀行救済に対する不信感から、管理主体を持たない新しい通貨の必要性が叫ばれ、それに応える形でビットコインは生まれたという説が有力だ。

こうして始まったビットコインだが、今では機関投資家や企業からの需要も拡大し、資産クラスとしての存在感を大きく高めている。2024年12月には1BTC=1,700万円(108,000ドル)という史上最高値を記録し、いよいよ金融市場の中心で注目を集めるまでに成長した。

今回は、ビットコイン誕生16周年を機に、これまでの歩みと近年の動向を振り返ってみたい。

ビットコインの年度別出来事

2009年 2010年 2011年 2012年 2013年
2014年 2015年 2016年 2017年 2018年
2019年 2020年 2021年 2022年 2023年
2024年

2009年

2008年9月に発生した米大手投資銀行リーマンブラザーズの経営破綻に端を発したリーマンショックを背景に、サトシ・ナカモトを名乗る者が『Bitcoin: A Peer-to-Peer Electronic Cash System』という論文を発表。非中央集権的な「P2P電子通貨システム」を提唱した。

それから数ヶ月後、1月3日に元祖となるブロック(ジェネシス・ブロック)が生成された。

ジェネシス・ブロックには、英タイムズ誌の一面から「財務大臣 二度目の銀行救済措置の瀬戸際に」と記されている。

The Times 03/Jan/2009 Chancellor on brink of second bailout for banks

  • 2008年10月31日:ビットコインの論文公開
  • 2009年1月3日:ジェネシスブロック生成
  • 1月12日:ビットコインの初送金

関連:ビットコイン『ジェネシス・ブロック』生誕10周年|英タイムズ紙でBitMEXが祝福

2010年

ビットコイン価格:1万BTC=2枚のピザ

その後、オンラインコミュニティーを中心に徐々に注目されるようになったビットコイン。

2010年5月22日、ビットコインの開発者がピザ屋からピザ2枚を注文し、別の開発者の家に届け、1万ビットコインと交換。初めてビットコインを利用した商取引が成立した瞬間となった。当時のビットコインの価値は1BTC=約0.2円であったが現在の価値に換算すると(1BTC=550万円)、このピザは1枚約275億円ということになる。

以後、5月22日は「ビットコイン・ピザ・デー」として記念するイベントが毎年世界各国で開催されている。

また、同年7月には世界初のビットコイン取引所「マウントゴックス」がサービスを開始したことなどを受け、ビットコインの価格は1BTC=約7円まで高騰した。

  • 2010年5月22日:ビットコイン・ピザー・デー
  • 7月18日:Mt GoXがビットコイン取扱い開始
  • 9月18日:マイニングプール「SlushPool」による初のBTCマイニング

2011年

2011年4月には、米タイムズ誌で特集されたことなどをきっかけに知名度が急拡大したビットコイン。

6月にはビットコインに初めてバブルが訪れ、BTC価格は一時期31ドル(3100円)に達した。しかし、バブルは長続きはせず、6月に発生したマウントゴックスのハッキング事件を機にビットコインのセキュリティに対する不安が拡大し価格は急落。2011年末には約十分の一の300円台にまで下落した。

ビットコイン価格(1月3日時点):24円

  • 2011年3月11日:東日本大震災
  • 2011年3月:日本のTibanne社がMt GoXを買収
  • 4月16日:タイムズ誌でビットコイン特集
  • 6月8日:ビットコイン急騰(一時31ドル到達)
  • 6月15日:WikiLeaks、BTCの寄付募集を開始
  • 6月19日:Mt GoXのハッキング事件

2012年

仮想通貨取引所コインチェックが創業されるなど、日本国内においても人気が波及したビットコイン。

11月後半にはマイニング報酬が半減する半減期を初めて迎えたことなどが材料視され、1BTC=1,000円台まで回復した。

ビットコイン価格(1月3日時点):420円

年間騰落率:+1603%(1月3日基準)

  • 2012年5月9日:FBIのビットコインに関するレポートが流出
  • 8月28日:コインチェック創業
  • 11月28日:ビットコイン、初の半減期(ブロック採掘報酬:50BTCから25BTCに減少)
  • 12月26日:第二次安倍内閣が発足

2013年

2013年、欧州のキプロス共和国で発生した金融危機(キプロス危機)により、世界中で中央銀行に対する信用が低下し、法定通貨のヘッジ資産を求める動きが加速した。

これにより、特定の管理主体を持たないビットコインが再度注目され、欧米や中国の富裕層を中心に、多くの人がユーロや人民元などの法定通貨をビットコインに交換したことにより価格が急騰。時価総額は一時10億ドル(約1000億円)を突破した。

年末にはNHKで特集が組まれるなどし、再びバブル相場となった。

ビットコイン価格(1月3日時点):1170円

年間騰落率:+180%(1月3日基準)

  • 2013年3月16日:「キプロス危機」発生
  • 3月28日:ビットコインの時価総額、10億ドル(1000億円)を突破
  • 9月8日:2020年五輪の東京開催が決定
  • 10月1日:ダークウェブサイト「シルクロード」の創設者Ross Ulbricht氏逮捕
  • 12月4日:NHK、ビットコイン特集を放映

2014年

闇サイト「シルクロード」と関連した資金洗浄の疑いでCharlie Shrem氏が逮捕された。さらに、その翌月にはマウントゴックスが再びサイバー攻撃を受け資金が不正に流出、その後経営破綻するなど仮想通貨をめぐるスキャンダルが取り沙汰され、BTC価格は急落。

しかし、12月の米マイクソフトによるビットコイン決済採用の発表などを受け、1万8,000円台まで下落していた価格が約4万円まで回復した。

ビットコイン価格(1月3日時点):8万6000円

年間騰落率:+7243%(1月3日基準)

出典:CoinMarketCap

  • 2014年1月9日:bitFlyer創業
  • 1月26日:ビットコインを用いた資金洗浄の疑いでBitInstant社のCharlie Shrem氏とRobert Faiella氏が逮捕
  • 2月24日:Mt.Goxが経営破綻、社会問題に発展
  • 3月:ギニア政府、エボラ出血熱の感染拡大を公表
  • 6月13日:マイニングプールGhash.ioのハッシュレートが一時51%に到達
  • 12月11日:米マイクロソフトがビットコイン決済開始

2015年

年初に仮想通貨取引所Bitstampでハッキング事件が発生し、約2万BTC(約5億円)が流出。

また5月には ニューヨーク州金融サービス局(DFS)が仮想通貨業者を免許制とする「Bit License(ビットライセンス)」を導入。これにより、多くの仮想通貨企業が米ニューヨーク州を撤退することになった。

同年10月には欧州司法裁判所がビットコインの取引はVAT(付加価値税)の課税対象外とする見解を表明、ビットコインが正式に支払い手段として認められた。

ビットコイン価格(1月3日時点):3万4000円

年間騰落率:-60%(1月3日基準)

出典:CoinMarketCap

  • 1月6日:Bitstampハッキング、約2万BTCが不正流出
  • 5月:ニューヨーク州金融サービス局がビットコイン事業ライセンス「ビットライセンス」を発表
  • 8月1日:Mt.Gox元CEO Mark Karpeles氏逮捕
  • 9月19日:安全保障関連法が成立
  • 10月:欧州司法裁判所がビットコインの取引はVAT(付加価値税)の課税対象外であると発表

2016年

この年、ビットコインは二度目の半減期を迎え再度高騰。

8月には仮想通貨取引所Bitfinexから約12万BTCが不正流出する大規模のハッキング事件が発生し、価格は下落したが、その後は徐々に高騰していった。

一方、日本では仮想通貨の定義を明確化する法案「改正資金決済法」が成立。世界に先立ち仮想通貨に関する法整備が成された先進的な国として注目された。

ビットコイン価格(1月3日時点):5万1000円

年間騰落率:+52%(1月3日基準)

出典:CoinMarketCap

  • 5月25日:仮想通貨を定義する改正資金決済法が成立
  • 7月9日:ビットコイン、2度目の半減期(採掘報酬:25BTC→12.5BTCに減少)
  • 8月2日:Bitfinexから約12万BTCが不正流出
  • 10月:GMOコイン創業(当時名:GMO-Z.comコイン)
  • 11月8日:米国大統領選挙で共和党ドナルド・トランプ氏が当選

2017年

仮想通貨市場全体が急騰し、「仮想通貨元年」とも呼ばれるようになった2017年。

4月には前年成立した改正資金決済法が施行され、仮想通貨交換業者の登録が開始。8月にはビットコインの開発者とマイナーの対立により、ビットコインキャッシュがハードフォークにより誕生した。

その後もICO(イニシャルコインオファリング:新規仮想通貨公開)の隆盛により、ビットコインだけでなくアルトコイン市場も軒並み急騰し、前代未聞のバブル相場となった。その一方で、ICOには詐欺プロジェクトやプロジェクト側による資金の持ち逃げなど問題が多発し、仮想通貨に対する信頼性が揺らいだ年でもあった。

ビットコイン価格(1月3日時点):12万3000円

年間騰落率:+139%(1月3日基準)

出典:CoinMarketCap

  • 4月1日:改正資金決済法の施行開始、仮想通貨交換業者の登録が開始
  • 5月20日:BTC価格、初めて2000ドル突破
  • 7月14日:仮想通貨取引所バイナンス設立
  • 8月3日:ビットコインキャッシュのハードフォーク
  • 11月29日:BTC価格、初めて1万ドル突破
  • 12月8日:BTC価格、日本円建で最高値(235万円)を更新
  • 12月17日:米CME、ビットコイン先物取引を開始

2018年

2018年、前年のお祭り相場から一転し、相場が凍りついたいわゆる「仮想通貨の冬」に突入。

FacebookやGoogleなど大手プラットフォームが仮想通貨関連広告の掲載禁止の発表や、コインチェックやZaifなどの仮想通貨取引所で相次いだハッキング事件、各国のICO規制などを受け、仮想通貨に対する信頼が失墜し、相場が急落。12月には1月のピーク時から70%近く下落した。

ビットコイン価格(1月3日時点):170万円

年間騰落率:+1290%(1月3日基準)

出典:CoinMarketCap

  • 1月:Facebookが仮想通貨の広告掲載の禁止を発表
  • 1月26日:コインチェックから5億2,300万XEMが不正流出(被害総額580億円相当)
  • 3月:Googleが仮想通貨の広告掲載の禁止を発表
  • 3月:Twitterが仮想通貨の広告掲載の禁止を発表
  • 9月:Zaifから3銘柄が不正流出(被害総額67億円相当)
  • 10月31日:サトシ・ナカモトのビットコイン論文公開から10周年
  • 11月15日:ハッシュ戦争、ビットコインキャッシュのチェーン分裂

2019年

2019年1月3日、ビットコインはジェネシスブロック生成から10周年を迎えた。

3月には国内で金融商品取引法と資金決済法の改正案が閣議決定され、仮想通貨の呼称が「暗号資産」に変更された。

相場は1年以上続いた横ばい状態から抜け出し、ビットコイン価格は1万ドル(約110万円)に復帰、6月には約150万円まで高騰した。しかし、中国政府が仮想通貨取引を禁止する新たな規制を開始したことなどを受け、再度下落する。

ビットコイン価格(1月3日時点):41万円

年間騰落率:-76%(1月3日基準)

出典:CoinMarketCap

  • 1月3日:ビットコイン生誕から10周年
  • 3月15日:金商法と資金決済法の改正案が閣議決定、ビットコインなど仮想通貨の呼称が「暗号資産」に変更
  • 5月1日:徳仁皇太子が第126代天皇に即位。元号も「令和」へ
  • 6月22日:BTC価格、1年3ヶ月ぶりに1万ドルを突破
  • 11月22日:中国政府が仮想通貨取引を取り締まる新たな規制を開始

2020年

コロナショックで3月に相場が急落したものの、3度目の半減期を目前にビットコイン価格は回復。

その後、夏のDeFi(分散型金融)ブームの到来や8月の米マイクストラテジーによるビットコイン購入の発表などで徐々に価格は上昇。さらに、10月のペイパルによる仮想通貨決済導入の発表が、より多くの個人投資家や投機家が仮想通貨市場に参入の呼び水となりビットコインは急騰した。

その勢いは衰えず、12月には3年ぶりに過去最高値(ATH)を更新した。

ビットコイン価格(1月3日時点):79万円

年間騰落率:+92%(1月3日基準)

出典:CoinMarketCap

  • 4月7日:日本国内、緊急事態宣言が発令
  • 5月12日:ビットコイン3度目の半減期(採掘報酬:12.5BTC→6.25BTCに減少)
  • 5月22日:ビットコイン・ピザー・デー10周年
  • 8月:マイクロストラテジーが米上場企業として初めてビットコインを購入
  • 10月21日:米ペイパルが仮想通貨決済導入を発表
  • 12月16日:BTC価格が2万ドル突破、過去最高価格を3年ぶりに更新
  • 12月:ビットコインの時価総額、過去最高の50兆円を到達

2021年

前年後半からの高騰の勢いは衰えず、1月にテスラ社CEOイーロン・マスク氏が自身のツイッターのプロフィールを「#bitcoin」に変更したことや、2月に同社がビットコイン購入を発表したことなどを受けビットコインは続伸。

その他、大企業や機関投資家の相次ぐビットコイン購入や仮想通貨関連事業への参入に加え、コインベースが米国の仮想通貨取引所として初めてナスダックに直接上場を果たしことを受け、価格は700万円を越え過去最高値を大幅に更新した。

しかし、その後テスラがマイニングによる環境への影響を理由にビットコイン決済受け入れを中止すると発表したほか、中国金融委員会がビットコインマイニングと取引の取締りを強化する方針を表明したことなどが嫌気され、暴落。一時、4月の最高値更新時の価格から半減した。

それでも2021年のビットコインは強かった。一年延期されることになった東京オリンピックの開催直前のタイミングから反発し500万円台まで回復。さらに、10月に米SECが初めてビットコイン先物ETFの申請を承認したことが好感されたものと見られ、高値圏を維持したビットコインは11月に再度過去最高値(ATH)を更新した。

一方、ビットコインは11月に大型アップグレード「Taproot」の実装に成功。2017年8月の「SegWit」導入以来、約4年ぶりのアップグレードとなった

ビットコイン価格(1月3日時点):346万円

年間騰落率:+337%(1月3日基準)

出典:CoinMarketCap

  • 2月:米テスラが15億ドル(約1600億円)相当のビットコインを購入
  • 4月14日:米コインベースがナスダックに直接上場
  • 5月12日:米テスラがビットコイン決済の受け入れ中止を表明
  • 5月21日:中国金融委員会がビットコインマイニングと取引の取締りを強化する方針を伝える
  • 6月9日:ビットコインがエルサルバドルで正式な法定通貨に
  • 7月23日:夏季オリンピック東京大会が開幕
  • 10月15日:米SECが初めてビットコイン先物ETFの申請を承認
  • 11月14日:ビットコインのアップグレード「Taproot」実装完了

2022年

2022年はFRB(米連邦準備制度)による金融引き締めの影響で相場全体が低迷したほか、暗号資産(仮想通貨)市場でもテラ(LUNA)崩壊や大手取引所FTXの破綻などネガティブなニュースが相次いだことでビットコイン価格は1万ドル台まで下落した。

ビットコインマイニングのハッシュレート(採掘速度)やディフィカルティ(難易度)調整は、マシン性能向上などの影響により時間差で過去最高値を更新したが、市況の急悪化やマイニングコスト上昇で経営難に陥る上場企業も相次いだ。

ビットコイン価格(12月30日時点):218万円

年間騰落率:-73%(2022年12月30日基準)

出典:CoinMarketCap

  • 2月:ロシアがウクライナに軍事侵攻
  • 4月:中央アフリカ ビットコインを法定通貨に
  • 5月:テラ(LUNA)ショック、3ACなど連鎖破綻
  • 11月:大手暗号資産取引所FTXとアラメダ・リサーチ破綻
  • 11月:1BTC=15500ドルまで下落

2023年

2023年、ビットコインは約155%の上昇を記録し、主要投資資産の中で顕著な成長を遂げた。

ビットコインの市場価値は8,500億ドル(約125兆円)となり、上場企業、貴金属、ETFなどの取引資産と比較して、世界で10番目の規模に達した。これはバークシャー・ハサウェイ、テスラを上回るもので、エヌビディア、メタ(旧フェイスブック)に次ぐ水準だ。

時価総額別トップ資産、上場企業、貴金属、仮想通貨、ETFを含む資産 出典:CompaniesMarketCap

2023年、仮想通貨規制の不確実性に対して複数の企業が抵抗を続ける中、米証券取引委員会(SEC)に対して複数の重要な判決が下された。これらにより、ビットコインを含む仮想通貨の、企業や機関投資家による採用が拡大しつつある。

23年1月には、アメリカの政府債務が法定上限の約31.4兆ドルを超え、デフォルトを回避するための特別措置が施行された。3月にはシリコンバレー銀行やシグネチャーバンクといった米国の銀行が破綻した。

これらの出来事は、ビットコインが「安全な避難所」としての地位を強化する要因となった。ビットコインは非中央集権的な特性を持ち、国家の政治経済情勢や他の金融資産との相関が低いとされている。

6月以降、ブラックロック、インベスコ、フランクリン・テンプルトンなど多くの金融機関がビットコイン現物ETFの申請を行った。特にブラックロックは575件のETF申請を行い、そのうち1件を除く全てがSECから承認されている(2023年6月現在)。これには高い期待が寄せられている。

さらに、8月にはGrayscale Investmentsが、Grayscale Bitcoin Trust(GBTC)を現物型ビットコインETFに転換する申請でSECとの法的紛争に勝利した。この勝利は、SECがビットコインETFに関する判断基準を変更するきっかけとなった。

2024年には、ビットコインの現物ETF(承認されれば)が新たな投資層への資金流入を促すことが期待されている。また、4月に予定されるビットコインの次回半減期は、トークンの希少性を高め、供給と需要の技術的側面を改善することで、BTC価格のさらなる上昇が予想されている。

ビットコイン価格(12月31日時点):617万円

年間騰落率:+155%(2023年12月31日基準)

出典:CoinMarketCap

  • 1月:米国の債務問題浮上
  • 2月:ビットコイン オーディナル ローンチ
  • 3月:米国の銀行危機
  • 4月:欧州でMiCAが承認される
  • 6月:香港、認可された暗号取引プラットフォームを許可
  • 6月:ブラックロック、BTC現物ETFを申請
  • 7月:リップルラボ対SECの裁定
  • 8月:グレイスケールがSEC訴訟に勝利
  • 10月:ブラックロック、BTC現物ETF修正案でシード調達に言及
  • 10月:BTCドミナンス30か月ぶりの高値:54%
  • 12月:マウントゴックス 返済開始

2024年

2024年は、“デジタルゴールド”としての性格が一段と鮮明になったビットコインにとって、歴史的な1年だった。

まず1月、長らく認められてこなかった現物ETFを米国証券取引委員会(SEC)がついに承認。投資家保護などを理由に慎重姿勢を取っていたSECだが、このときはブラックロックを含む計11件のETF申請が同時に認可され、市場に大きなインパクトを与えた。

3月にはETFへの資金流入が加速し、ビットコイン価格が円建てで初の1,000万円台を突破。4月には4度目の半減期を迎え、限られた発行量ゆえの希少性を評価する動きも一段と強まった。

2024年のもう1つの大きな出来事は米大統領選挙。仮想通貨に前向きな姿勢を見せていたトランプ氏が当選し、企業や自治体がインフレや通貨安に備えるためビットコインを保有する動きが加速。米政府としてビットコインを準備資産に加える法案が提出されるなど、“デジタルゴールド”としての位置づけをさらに強める出来事が相次いだ。

一方、マウントゴックスの弁済やドイツ当局による大量売却など下落リスクもあったが、こうした懸念を上回る材料が続き、2024年12月にはビットコインが史上初めて10万ドルの大台を突破。>ポール・チューダー・ジョーンズ氏などの著名投資家がビットコインETFに投資したこともあり、存在感をさらに高めた1年となった。

ビットコイン価格(12月31日時点):1470万円

年間騰落率:+122%(2024年12月31日基準)

  • 1月:米国でビットコイン現物ETF承認
  • 3月:ビットコインが円建てで初めて1000万円到達
  • 4月:ビットコインが4度目の半減期完了
  • 5月:トランプ氏が仮想通貨支持を表明
  • 6月:ドイツ当局がビットコイン売却開始
  • 10月:企業のビットコイン採用に注目
  • 11月:米大統領選でトランプが返り咲く
  • 12月:ビットコイン10万ドル突破
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