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人間そのだまされやすきもの

2007-12-18 | 認知心理学

「人間、その騙されやすきもの」
 誰も騙されるのはいや、騙すのもいや。それでも騙しは、人間の生活の中では、あまりにも日常的である。その種類も雑多である。それを整理整頓しながら、それらの特徴を洗い出してみたいというのが、本書の一つのねらいである。
 振り込め詐欺で5000千万円の被害との報道も最近見かけた。騙しもここまでくると、ほっておけないのだが、本書は、そうしたこととは、あまり深くはかかわらない。もっと広く、深く、騙しの心理を考えてみるつもりである。いわば、騙しを通して人間って一体何者ということを考えてみるつもりである。
 おもしろいことに、そうした観点から人間を眺めてみると、騙しは、人間の本性、しかも、大事な本性の一つのようにさえ見えてくる。人を騙すだけでなく、自分で自分をさえ騙すのだから。
 「騙しの人間学」は、どんなことになるのか。本書をじっくりと楽しんでほしい。そして、あなたの人間観を広く、深いものにするきっかけにしてほしい。
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1章 騙しの心理学の現場
「人間その騙されやすきもの」が前提となっている職業
・ スポーツ選手 相手を騙して勝利を得る
・ ある種の広告宣伝 

2章 自分をも騙すのが人間
  知識に騙されるーー思い込み
3章 他人から騙される
  第一印象
説得される

4章 社会に騙される
権威に騙される
科学の権威
科学のお膳立てーー「科学的に実証」という魔力

5章 状況に騙される
錯覚
広告
見た目



カラ兄騒動その9

2007-12-18 | 心の体験的日記
亀山郁夫氏の文芸春秋より
●ポリフォニー(多声性)
彼の文学の魅力は、変幻自在なカメレオンのように、百の声色をもち、
さまざまな「思想」や「信念」を超え、読者の心を乗っ取ってしまう
圧倒的な力にあるのだ。===>2巻の後半まできたが、全然乗っ取られていないのはなぜ?
●多少の堕落を経験しなければわからない文学。それがカラマーゾフの兄弟なのだ。===。そういえば、これまであまりに清廉潔白のまま生きてきた。だからわからないのだ!!
●カラマーゾフの兄弟を読む「快楽」を味わってほしい
===>苦痛のほうはどうしてくれる!!

●ある程度年をとった読者に最適の小説である。50代の読者が一番
面白く感じられるはずだ。==>65では遅かったか。

とはいってみたものの、もっと素直に読むべきかもね。
でもねー。

うっかりミス

2007-12-18 | ヒューマンエラー
要約******************************
 うっかりミスのほとんどは、注意管理不全から起こる。人の注意資源には限界があるからである。また、注意資源の活用の仕方も、いつも適切であるとは限らないからである。注意の特性を知った上でのその管理の最適化が必要となる。

医療現場における説明と同意

2007-12-18 | わかりやすい表現

● 医療現場における説明と同意
 他者の人権に深くかかわる裁判員制度に対して、医療の現場では、自己の命がかかわってくる。ここでも、わかる、わかりやすさが極めて大事な問題になってくる。
医師の説明を納得した上で、医師の処置に同意する「説明と同意(informed consent)」という用語とその実践は、今や広く知られている。
裁判の世界と同じで、医師と患者との間には、知識の非対称性がある。
患者が同意するには、その情報の非対称性を解消してからが最も望ましいのだが、現実問題としてはそうは言っていられない。時間的な制約がある。患者が理解してくれるまで待つわけにはいかない緊急の時もある。とりわけ、膨大な非対称性の存在や患者の側に情報の理解不可能性がある場合は時間的制約は厳しい事態を招く。
 となると、その時々である程度わかったところで同意するという中途半端な解決が求められることになる。しかし、「ある程度」の判断が、医師にも患者にも難しい。かくして、状況に応じた医師と患者との相互コミュニケーションを折にふれて繰り返しながら、同意の道を探っていくことになる。
 一見すると面倒で困難な事態のようにみえるが、しかし、多分、これこそが現実場面でのわかりやすさの扱いとして最適なのではないかと思う。相互コミュニケーションを通してのわかりやすさの構築である。


さーあと1週間で終わり

2007-12-18 | 心の体験的日記
今週は、土曜日まで休みなし
卒論の締め切りもあるし、入試面談もある
でも何があっても、今週で今年も終わりと
思えば、がんばれる
しかも、2週間、とりたててせかされる仕事もなし
はやーくこいこい、お正月
でもよくよく考えると、正月の楽しみは皆無だった