学期ごとに授業評価するようにとアンケートがくる
必修の大型授業が対象
いま、3つやっている
前期もやった
いずれも、授業中の学生の態度から、
評価が低いであろうことは予想していた
それが、それほどでもないのだ
これって、学生のやさしさかねー
あるいは、自分のほうが悪いという判断なのだろうか?
それにしても、授業評価の功罪も最近はかまびすしくなくなった
日常化したからであろうか
評価されるほうも、まーこんなものという感じか
FDの切り札のごとく言われたのは20年前ころからだったと思う
アメリカの大学のまねである。
かつて、アメリカでの授業評価研究をレビューしたことがある
おかしかったのは、かなりの研究が、言い訳の論拠を与えるものであったこと
つまり、厳しい評価が学生からくだされる条件を取り上げた研究が多いことであった。たとえば、
・必修 大型 昼食後 成績評価の厳しさ 人気とり教授の評価の高さ などなど
結局、教育として絶対に譲ってはいけない
学生へのきびしさだけが骨抜きにされただけのような気もする
必修の大型授業が対象
いま、3つやっている
前期もやった
いずれも、授業中の学生の態度から、
評価が低いであろうことは予想していた
それが、それほどでもないのだ
これって、学生のやさしさかねー
あるいは、自分のほうが悪いという判断なのだろうか?
それにしても、授業評価の功罪も最近はかまびすしくなくなった
日常化したからであろうか
評価されるほうも、まーこんなものという感じか
FDの切り札のごとく言われたのは20年前ころからだったと思う
アメリカの大学のまねである。
かつて、アメリカでの授業評価研究をレビューしたことがある
おかしかったのは、かなりの研究が、言い訳の論拠を与えるものであったこと
つまり、厳しい評価が学生からくだされる条件を取り上げた研究が多いことであった。たとえば、
・必修 大型 昼食後 成績評価の厳しさ 人気とり教授の評価の高さ などなど
結局、教育として絶対に譲ってはいけない
学生へのきびしさだけが骨抜きにされただけのような気もする