あ
愛 すみ4-17
遊び 4-18
運4-19
おおらかさ 4-21
か
から元気 4-22
感動 4-23
がんばる 4-27
き
気晴らし 4-28
義憤4-29
義憤「1部
「義憤は気持ちを元気にする特効薬だが、――」
●義憤小説
「義憤」。
やや古臭くて、精神主義のにおいぷんぷんでやや扱いにくい言葉ですが、ここ1月くらいの就眠読書をした2冊「平将門(竜門冬二)」「下町ロケット(池井戸潤)」に触発されて、取り上げる気になりました。
広辞苑によると、「義憤」とは「正義・人道の行われないことを憤ること」。
「平将門」は、親族による土地の不当な収奪や国府役人の腐敗ぶりに義憤を刈られて暴れまわる将門、「下町ロケット」では、大企業の策謀に敢然と立ち向かう中小企業の社長の奮闘ぶりが読者(自分)を引き付けます。
時代も内容も異なりますが、義憤を感じさせるものは共通しています。
・強いものに対する弱者(勧善懲悪)
・大きいものに対する小さきもの
・不正に対する正義
・権力に対する抵抗
となります。
単純明快です。なお、この単純明快さも義憤を感じさせる仕掛けとしては大事です。また、現実でも、あえて、義憤は、ことを単純化してとらえるところからはじまります。
●義憤はなぜ心を揺さぶるのか
義憤話が心を揺さぶるのは、義憤への共感性と、自分には勇気がなくてできそうにないことを代わってしてくれることによるカタルシス効果だと思います。
義憤への共感性は、誰の心にも多かれ少なかれあるいわば心のインフラ(土台)の一つです。これがあるから人間は、社会的な動物として生きていけるのです。
もう一つのカタルシス効果は、こういうことです。
義憤を感じることは誰もがそれなりにできるにしても、それを直ちに行動には移せないのが凡人です。外的にも内的にもさまざまな障壁があります。それを仮想世界ですっきりとやってみせてくれるのが義憤話です。仮想世界で代理的に現実世界で感じる義憤を発散しているのです。
義憤を暴力的に解決させないための装置として、法律がきまりがあるのですが、それがまた義憤を喚起させるようなところもありますから、やっかいです。
●義憤で頭を元気にするコツ
①義憤を感じとる感性は大事
義憤を感じる程度――義憤感度と呼んでおきますーーは誰にもそれなりにあります。ただ、義憤は、それを解決できないことが多いので、気持ちは穏やかな状態にはしてくれません。「そうはいってもなー」となります。
これが重なると、義憤感度もだんだん落ちてきます。
最も義憤感度の高いのは、青少年の時期ですが、大人になるにつれて次第に、義憤感度は低下するのが普通です。青年の義憤に対して「もっと大人になれ」というのが大人の忠告の定番です。
しかし、義憤感度の低下は、頭の元気、ひいては社会の元気という点ではマイナスです。ニュースを見たり聞いたりして義憤感度を鋭くする、それも一日一回は義憤を感じするようにすくらいの気持ちがあったもよいと思います。実は、最近、めっきり義憤を感じることのなくなってきた自分への叱咤激励です。(笑い)
②義憤を行動に移す
「義を見てせざるは勇なきなり(論語)」ではあります。
義憤は大事、しかし、それをどう行動に移すかが問題です。
義憤そのものは心のインフラから発するものですから、それになりに一理ありです。ですから義憤に駆られた行動にも一理ありで、基本的にはそれを抑制する必要はないとも言えます。
しかし、平将門がそうでしたが、義憤をストレートに行動に移してしまったがゆえの自滅という面があります。しかも、暴力的な攻撃行動をしてしまったため、その部分だけが際立ってしまい、肝心の義憤の内容がどこかにいってしまいました。
義憤に殉ずるのもここ一番の大勝負の場面ではありですが、リスクがあります。
そこで、一つのおすすめは、義憤を、日記やブログで言葉にしてみることです。
これによって、義憤を客観化し感情的に平穏な状態にすることができます。さらに、書くという行動でカタルシス効果も期待できます。
さらにさらに、感覚的な段階に止まっている義憤を思想や信念や使命感にまで昇華できたら言うことなしです。「下町ロケット」がこれでした。だから感動させられたのです。
最後に、相反する引用2つ。
「ぼくは、絶対に私憤では噴火しないようにしている。どんなにバカにされても、アホだとか間抜けだと言われても、ああそうですかと笑っている。ぼくが噴火するのは、義憤だけ。かっこつけているようだけど、実際にそうなのです。
(茂木健一郎ツイッターーよりの引用)
「人々があえて大義に身を投ずるのは、人生に対する責任を回避し、現在のありきたりな、あるいは、悲惨な生活からのがれるためである。
(T.ボーデン)