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2021-03-06 | 心の体験的日記
それがメーカーのつけめだろうが、ネットでできるらしいから、
頑張ってみるかなー
月2千円の節約は大きいからなー

交友関係」名言の心理学

2021-03-06 | 名言の心理学
交友関係

私たちは交友のために生きているのではない。
人間として生きてゆくうちに自然と生じるのが交友であり、これにいちいち気をとられているのはばかげています。
その意味で職場の人間関係でくよくよ悩むのは私はあまり同情できない。
 仕事を愛してさえいれば充分です。 
[出典]
高橋揆一郎[たかはし・きいちろう]
 (小説家、1928~2007)
名言ナビサイトより

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
「お仕事クリニック」というサイトで、仕事上の悩みの相談スタッフをしている。
実にさまざまな悩みが持ち込まれるが、圧倒的に多いのは、会社での対人関係、ここで言う交友関係である。
仲間と、上司と、部下との対人関係。
人が社会的動物である限り、対人関係なしというわけにはいかない。ましてや職場となれば、その重要性ははかりしれない。それがゆえの悩みの多彩さと多さであろう。
名言には、気にするな、くよくよするな、とあるが、そうとばかりも言っていられない危機的状況もしばしば発生する。そこの心理学や精神医学が登場することになる。
最新の「お仕事クリニック」では、上司のいじめ的な対応にまいってしまった32歳の男性には、こんなアドバイスをした
まずは、すでに危機的な段階にいるので、メンタルヘルス専門家の助けを求めるようというもの。
次いで、上司との関係が仕事のやり方をめぐって発生しているようなので、一時の方便として、まず、仕事を捨てて、上司との関係を改善するほうを優先させる。上司の意に迎合、おもねることに意を注ぐように進言した。仕事は永遠、上司との関係は一時、その一時のほうに注力してみたらどうかというアドバイスである。
実は、このアドバイスをするかどうかで迷った。
名言の言うように、仕事を愛せよ、もありかなーとの迷いであった。しかし、相談者は、ほとんどうつ病状態であったので、あえて、こちらのアドバイスはしなかった。心が強い人なら、仕事こそ永遠、そちらのほうに注力せよ、と言いたかったが、人をみて法をとくほうを優先させてみた。



挨拶

2021-03-06 | ポジティブ心理学
挨拶「たかが挨拶、されど挨拶」

  • あいさつ実験
今日こそ、散歩をしながら、行き交う人々に挨拶しようと、出かける前に決心します。近隣には、自分とおなじくらいの高齢の方々がたくさん散歩しているし、あちこちに最近はられるようになった防犯ポスターの一つ「挨拶こそ 地域の絆づくりの第一歩」を実行せねばと思うからです。

ところが、これができないのです。つい、目をそらし、頭をたれて、通り過ぎてしまいます。
相手もその気持ちのほどはわかりませんが、先方から挨拶してくる人もまずいません。
でも、時折、思い切って挨拶すると、相手からも挨拶が返ってきます。これもおもしろいですね。しかも、うれしいですね。
まれですが、挨拶しても無視されることもあります。これは気持ち悪いですね。それがいやで、あるいは怖くて、率先挨拶をしたくないということもあります。

一方、わが大学のキャンパスでは、実によく学生から挨拶をされます。うるさいく
いです。
散歩している人も学生も、「挨拶することはよいこと、必要なこと」は知っているはずです。一方はそれができにくい、もう一方は、それがいとも簡単にできてしまうのです。
この認識と振る舞いのギャップの違いはどこからくるのでしょうか。

まずは、挨拶する人どうしの関係がありますね。
雑踏の中で誰かれとなく挨拶することは絶対にありません。
わが大学で先生に学生が挨拶するのは、面識こそないもののーーー実は、大学では、学生は先生を知っていて、先生は学生を知らない、という非対称性がありますーーー同じ組織に所属しているものどうしという前提があります。
でも、前にいた大学では、これほど挨拶されたことはありません。これは、たぶん、組織の大きさが一つは関係していると思います。

組織に関連して、もう一つ、挨拶の普及には、それなりの雰囲気づくりがあると思います。
わが大学の副学長は、「ではお隣同士挨拶してください」から会議をはじめます。
それくらい、挨拶を大事にしているのです。これがわが大学の挨拶文化を作り出すのに大きく貢献しているはずです。

そして、いったん、こういう文化ができてしまえば、あとから入学してくる学生、教員は、なんの抵抗もなく、これを受け入れます。もっとも、少数ですが、こういう文化を受け入れない人、あるいは、気がつかない人もいますが。

ところで、昔、生まれてはじめて富士山に登ったときのことを思い出しました。
苦労して登っていくと降りてくる人が挨拶をしてくれるのです。ちょっとびっくりしました。その後も何度か山登りをしましたが、同じように挨拶されました。
これはなんなのでしょう。たんなる山登りのマナーなのでしょうか。

  • 挨拶はなんのために
 挨拶は地球上のどこでも交わされる親しみのための儀式です。
儀式ですから、まず、するべき時と場所では必ずしなければなりません。そして、挨拶の仕方(マナー)もそれぞれの文化による違いはありますが、必ず決まっています。
外国訪問した際の要人どうしの挨拶がその典型ですね。聞いたところによると、外国訪問の際、まずは、要人へのレクチャーは挨拶マナーだそうです。

 こうしたいわば「公式的」な挨拶は、双方がして当たり前、しかも、その場のマナーに従ってして当たり前となります。できなかったら、恥知らずとなります。時には、国際問題にもなりかねません。

 ここで問題にしたい挨拶は、いわば「非公式の」挨拶です。これには、明確な決まりがない、しかし、強い「暗黙の」決まりがあるだけで前に紹介したような面倒が起ることになります。

ところで、こうした挨拶は何のためにやるのでしょうか。
感情表現は、自分の気持ちを伝えるシグナルなり、という考えがあります。それを敷衍すると、挨拶、それに伴う表情(笑顔)は、あなたの親しみの気持ちを相手に伝えるシグナルと言えます。

なんのために親しみを見せるかというと、
はじめての場では、
「攻撃しません、皆様の仲間です、あるいは、仲間にいれてください」
というメッセージを伝えるためですし、
親しい場では、
「これから、自分もその場にいれてください」
というメッセージを伝えるためです。

だとすると、親しい人の場合は違和感なくお互いに挨拶できますし、しなければ不自然になります。そして、相手が見知らぬ人だと、挨拶すると、予想外のことなのでびっくりされたり、なんでなれなれしくしてくるの、という警戒心を抱かせてしまうことになります。それが、無視、反発となります。
となると、見知らぬ人への挨拶が気持ちのよい挨拶返しをもたらすのは、予想や警戒心とは無縁な状況の場合だと思います。登山道の1本道でのすれ違いの挨拶交換がその例です。

近隣の散歩道でのすれ違いでの挨拶はどうでしょうか。
警戒する必要のない人、たとえば、犬をつれた人や高齢者には、自然に挨拶をしている自分に今気がつきました。

挨拶は、相互的なものです。
お互いが同じような状況認識ができれば、挨拶をめぐっての緊張関係や無視、反発は発生しないのですが、状況認識がずれると、挨拶したほうからすると無視がしゃくにさわる、挨拶されたほうは、びっくりしたり、警戒心を持ってしまった自分に罪悪感をちょっぴり抱いてしまうようなことになります。
この微妙な心の動き、たかが挨拶、されど挨拶ですね。

 
  • 挨拶で相手を元気にする
やや長い余談から入ってしまいました。仲間を元気する挨拶の話に入ります。

見知らぬ人からのいきなりの挨拶には身構えてしまいますが、仲間ならおおかたの挨拶には誰しもポジティブに反応するはずです。それはひるがえってあなたを元気にします。
自分のポジティブな気持ちが相手をポジティブな気持ちにして、それがまた自分をよりポジティブにしてくれる、こうしたコミュニケーションをポジティブ・コミュニケーションと言います。

挨拶は、ポジティブ・コミュニケーションの入口で大事な役割を果たしていることになります。
入口ですから、まずは入ることが大事、そして、できるだけすんなりと入りたいものですね。そのためには、どうしたらよいのでしょうか。
 
  • 相手も自分もを元気にするための効果的な挨拶とは
ここでも、たかが挨拶、されど挨拶です。
結構、身につけるまでは、面倒な配慮と努力とが必要です。大事と思われるものを箇条書きにしてみます。
  • 挨拶の頻度をやや多めに
ある小さい牛丼のお店に入ったときのことです。
ドアを開けると「いらっしゃいませ」席に着くと「いらっしゃいませ」、丼を持ってくると「お待ちどうさま」、レジでは「ありがとうございました、またのお越しをお待ちしてます」。
これを一組のお客に言うのですから、お客が5組もくると、しかも、店員さんが全員で言うわけですから、その凄さ、まさに挨拶騒音でした。
いくら挨拶の頻度を多めにといっても、ここまでやるのは行き過ぎです。
ただ、一般にはやや挨拶が少ないのではないでしょうか。あなたの身の回りではいかがですか。そして、全体が、やや不機嫌な雰囲気がありませんか。それは、よくないですね、挨拶の頻度を少し多めにしてみることをすすめます。

  • 挨拶返しがなくとも、ひたすら挨拶
インテーネットで素敵な話を見つけましたので、紹介させてもらいます。
よくすれ違う人に挨拶をしたら、無視された。しゃくなので、すれ違うたびに大声で挨拶することを繰り返した。何度かそうしたことが続いた。
あるとき、その人が待っていた。手紙とお菓子を黙って手渡してくれた。手紙には、「自分は、言語障害のため、あなたの挨拶に答えることができなかった。申し訳ない」と書かれてあった。
 挨拶の無視は気分が悪い、だから自分からは挨拶しない、いうのも痛いほどその気持ちは、わかります。でも、こういうこともあります。嫌味にならない程度に率先挨拶の方針でいきたいものです。
 挨拶しないー>気持ちが伝わらないー>不気味―>挨拶しない――――
というネガティブ・コミュニケーションに入り込んでしまったら、お互いに不幸ですね。

  • 心をこめる
ポジティブな気持ちがあれば、その表現は自然に表情に現れます。
いつもより大きな声、直立した姿勢、相手の顔に向けた安定した視線、そして、笑顔となって表出されます。
 したがって、心のこもっていない挨拶は、ただちに相手に見破られてしまいます。
挨拶にも儀礼的なものがありますから、いつもいつも「心をこめて」である必要はないのですが、やはり、こうした感情表現にも配慮したほうがよいと思います。

  • タイミングを見計らう
 散歩していて一番厄介なのが、1本道で先方から同じように散歩をしている人が近づいてくるときです。
視線配りがなかなか面倒なのです。
じろじろ見るわけにもいかないし、かといって、見ないわけにもいかないし。ましてや、さて、挨拶はどうしようと考えたりすると、逃げ帰りたいような気持ちになってしまいます。そんな経験、ありませんか。
 原則は、相手との距離120~360センチ、そして、視線があった瞬間。これが挨拶するタイミングだと思います。
 120~360センチ。これは、相手との関係によって、見知らぬ相手との最適な距離があるとするパーソナル・スペース論に基づくものです。
 見知らぬ人がこの空間に入ってきたときは、瞬間的ですが、お互いに仲間になるのです。ですから、挨拶をしよう、しなければ、となるのです


  • 多様な挨拶のレパートリーを
 挨拶は、声に出してするのが原則ですが、たとえば、エレベータに乗り込むときに見知らぬ先客がいる。こんなときに、いつものように大声で笑顔の挨拶というのはおかしいですね。
目礼、会釈くらいが適当です。これなら、一緒に乗っていて無言でもそれほど気まずい思いはしないはずです。 
 TPO(time.place,occasion)に応じた挨拶の仕方もありますから、言葉の使い方も含めて挨拶のレパートリーを増やすことも必要です。

  • 挨拶の次も大事
挨拶は、ポジティブ・コミュニケーションの入口にすぎません。だから大事なのですが、しかし、入口にとどまったまま、というわけには普通はいきません。
「おはようございます」、相手も「おはようございます」。
これで双方だんまりでは、行きずりならともかく、知り合いどうしでは、まずい状況になります。
さらに中へとはいっていく、それもできれば、ポジティブ・コミュニケーションの方向へもっていくための手立ても必要です。
定番は時候の挨拶です。
あまりに定番になっているため、かつて失敗しまったことがあります。外は雨なのに、何気なしに「今日は天気がいいので」と定番挨拶をしてしまいました(笑)。
これはご愛嬌ですが、いきなり用件とはいきませんので、入口の挨拶と用件までの間をつなぐ、話題のレパートリーも豊かにしておきたいものです。
 ・誰もが知っている、関心のある時事ネタ
 ・共通の友人の楽しい話題
 ・自分の失敗談
 などなど






中断効果」心理学基本用語

2021-03-06 | 心理学辞典
中断効果

TVのCMの入れ方が最近さらにえげつなくなってきたように思う
次を期待させて中断するの趣向だが
ほんの一部だけちょっぴりみせてから中断
以前は、みせないで期待だけさせて中断だったと思う
したがって、同じ映像を2度見ることになる
期待効果の増強と
連続性の担保とをねらっているのだろうが
あまり気持ちはよくない
えげつないなーという感想をもつ



興味のある職種を見つけたものの、キャリアチェンジに躊躇しています…」お仕事相談

2021-03-06 | 教育

相談者:
無職 / 28歳 / 男性

興味のある職種を見つけたものの、キャリアチェンジに躊躇しています…


悩み:
一昨年に約3年勤めた会社を退職して、一年間オーストラリアで過ごしました。
最近帰国してこれからの事を考えていたのですが、今までボランティアなどに参加したりして、自分には福祉関係が向いているのでは、と最近気づき、両親からも勧められたことから、福祉の道に進もうかなと思っています。

そうなるとキャリアチェンジになるので、また学校に通わなければなりません。福祉の仕事が具体的にどんなものか経験もしていないので、これから福祉施設でアルバイトなどを経験しながら勉強するのも遅くないと思って、とりあえず焦らず自分の方向を考えようと思っています。

しかし、ブランクもあったので、早く自分の道を決めたいと焦る気持ちもあり、矛盾した二つの気持ちが自分のなかでモヤモヤしている状態です。
こういうときは、自分の中でどのように折り合いをつけたら良いのでしょうか。
「お答えします」
  • キャリアチェンジのコスト
 1年間のオーストラリアでの生活、ゆったりと楽しめましたか?
 たぶん、その間にも、ご自身の進路についてはあれこれとお考えだったのではないかと推察します。その上での福祉関係への転職の決断ですから、悔いのない選択になっているのではないでしょうか。
 30歳を越えると、キャリアチェンジのためには、経済的、心理的コストが負担になります。結果として、あせってあまり適切とはいえない転職をしてしまうリスクがあります。28歳のこの時点での決断は、そうした点でも格好のタイミングだと思います。迷いは無用かと思います。
  • 今、日本の福祉現場は最悪の状態
 高齢化が急速に進んでいる日本では、福祉での人材需要は高まる一方です。しかし、ご承知とおり、今、日本の福祉の現場は、低賃金と3K(きつい、きたない、危険)労働環境が嫌われて深刻な人材難です。その中に飛び込んで仕事をしようというわけですから、それなりの使命感が必要です。その点、今一度、ご自身の気持ちを確認してみてください。ボランティアと職業とはいろいろの点でギャップがありますから。
 さらに、資格です。ご存知だと思いますが、介護福祉士、社会福祉士の国家資格からホームヘルパーの資格まで、介護や福祉の仕事をするには、さまざまな資格が必要です。まず、アルバイトではなく、短期勝負で、一番簡単な資格をとりあえず取得することをお勧めします。そして、仕事に慣れながら、さらなる資格アップに挑戦するようにしてください。
  • 働かない1年間がこれから活かされる
 あせりの気持ちもわかります。家族や周囲の目も気になるところだと思います。
しかし、1年間のオーストラリアでの生活は、生涯設計を考える上で決して無駄ではなかったはずです。しっかりと充電できたはずです。見聞も広まったはずです。新しい友人もできたはずです。キャリアチェンジのための情報も得たはずです。日本を外から客観的に眺めることもできたはずです。
 「1年間のブランク」をこのようにポジティブに考えれば、今、この時期のキャリアチェンジについて、あせりはまったく無用です。その気持ちを当面の資格取得のほうに向けて、スタートダッシュをしてください。「迷ったら動いてみよ」です。「動く」と新しい道が開けます。がんばってください。