月刊「祭御宅(祭オタク)」

一番後を行くマツオタ月刊誌

149.神事を思い出させる屋台、太鼓台(月刊「祭」2019.8月4号)

2019-08-03 19:22:08 | 祭と民俗の旅復刻版祭・太鼓台

屋台、だんじりによって祭がイベント化している?
昨今の祭がイベント化しており、儀礼性が薄れてきていることが名だたる民俗学者の方々に指摘されています。そして、屋台や太鼓台、だんじりの祭でその様子がよく見られていることも報告されています。しかし、たからといって、屋台や太鼓台、だんじりによって神事が忘れられているというわけではないようです。以前はだんじり編でしたが、今回は屋台・太鼓台編です。

⚫︎大市八幡神社の例
明治期に灘区新在家より購入しました。昭和40年代の巡行を最後にしばらくは、倉庫に保管されたままでした。 2014年に故郷香川で太鼓台の祭礼に携わっていた現地在住のS氏と太鼓台研究家のS氏のSSコンビともいうべきお二人と御神職さまや町の方々が中心となって復活しました。
はじめは台車の巡行がほとんどだったようですが、 年を追って担ぐ時間が長くなっているようです。人が多く集まりやすい阪急門戸厄神駅前で担ぐのも盛り上がる所の一つです。この意味では、祭がイベント化していると言えます。



ですが、宮入後は宮に参拝して締めくくっています。以前の記事でも挙げた写真ですが、太鼓台保存会の方が年末に集まって、注連縄を作っています。つまりイベント化に伴って、神事も大切にされている風景だと言えるでしょう。


●北条節句祭
加西市北条節句祭も華やかな屋台が担がれています。そして、屋台によっては、伊達花はその年に話題になった芸能人が書かれたり、いろとりどりの髪の色の青年が激しく屋台を揺らしながら楽しんだりしています。
その一方で主役の神輿や、龍王舞、鶏合せなどの大切さも認知しているようで、毎年、これらが終わった後は大きな歓声で包まれています。こらもイベント化が進む一方で、イベント化を通してより儀礼が大切にされている様子が見られます。








148.日韓神話比較の面白さ‐ピョンピョン逃げる編‐(月刊「祭」2019.8月3号)

2019-08-03 02:13:33 | コリア、外国

●嗚呼、天につばはくこと無きように
 氏神の八幡さん、隣のダイニッタン(大日如来)、長治さん、ご先祖さんをはじめ、管理人は日本の祭のことを調べているだけあって、日本の神仏を敬っています。ここで勘違いなきようにしたいのは、(神仏を敬う、国を愛する)ことは、(隣の国を誹謗中傷する)ではないということです。「政(まつりごと)の悪しき常套手段として、差別する対象をつくり、為政者への不満をそらす。」に乗っかると、我らが神さんの天下りされた地を冒涜することになります。
 例えば素戔嗚尊は、新羅の曽之茂利(そしもり)の山に天下りされたと「日本書紀」の一書にあり、天日矛は新羅の王子の子で、その何代か後の直系の子孫が八幡さん・応神天皇になります。「政(まつりごと)」の悪しき常套手段にのっかって、横の国を誹謗中傷することは、氏神さんに唾はくようなものだと肝に銘じたいものです。


慶尚北道海印寺 一説によるとこのあたりが新羅の曽之茂利と言われています。

扶余のピョンピョン(参考文献 鳥越憲三郎『古代朝鮮と倭族』(中公新書)1992)

 『後漢書』東夷列伝には、下のような話が残っています。
 北夷索離国の王が出ている間に侍女が身ごもった。王はこれを殺そうとしたが、侍女が言うには、天上の大きな気が来臨したから身ごもったという。
 生まれた男の子を豚の檻に入れたら、豚はこれを口でふき、馬小屋でも似たようなことが起きた。王は是を神として東明と名付けた。しかし、東明の弓矢の腕を見て、またこれを殺そうとした。東明は逃げ行く。
 そして、次のようなことが起きます。

 水にいたり、弓をもって水を撃てば、魚鼈(ぎょべつ・魚や亀)みな水上にあつまり浮き、東明は之に乗りて渡ることを得、因りて夫余に至りて王となる。
 魚や亀が集まって、東明はを渡ります。『北史』のほうは「掩滞水」とあり、「掩」が覆う、滞水が滞るという意味から、湖となるのでしょうか。そして、王となります。『後漢書』はこれでおわりですが、『北史』ではやがて東明は百済の王となると書いています。

出雲のピョンピョン

 大国主は、80人の兄弟の荷物を持って従者として一番遅れて旅をしていました。そこに、皮がむけただれた兎が寝ています。兎の話を聞くとこうです。
「シ於岐(おき)の島に渡ろうとしたが、方法がなかった。だから海の鮫に、
『我ら兎と鮫の一族どっちが多いか比べよう。おきの島からこっちにむかってならんでごらん。私が渡って数えるから。』
ともちかけた。ピョンピョンとわたって、
『だまされたなー』とわらったら皮をむかれた。
 ないていたら、80人の兄神・八十神(やそがみ)が、海水を浴びて、風にあたるといいよっといわれてそのとおりしたら痛い痛い。」

 大国主は河口の真水で体を洗って蒲の葉を敷いてその上にねたらよくなると教え、その通りにすると傷がいえました。兎は言いました。
 「八上比売(ひめ)のハートは君のものさ」
 で、そのとおりになりました。
 フラれた80人の兄神・八十神は残念大国主を殺そうとしますが、失敗に終わります。

 

・水を渡るのは扶余は後に王となる東明、出雲は大国主が後に王となることを予言する兎
・扶余・東明は湖の魚鼈を渡り、出雲・兎は海の鮫を渡る。
・扶余・東明は牢に入れられ、出雲・大国主は従者となる。
・扶余・東明の敵は父、出雲・大国主の敵は兄
・扶余・東明は渡る前に命を狙われる。出雲大国主は渡った後に命を狙われる。

似ている
・水を水の生き物をつかって渡る。
・家族の目上の男に不遇の目にあわされ、命を狙われる。
・やがて一国の王となる。

後漢書の成立が記紀神話より早いことを考えると、出雲神話の源流も朝鮮半島に求めることができそうに思えます。