月刊「祭御宅(祭オタク)」

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157.若宮-三木市内、若宮八幡編-(月刊「祭」2019.8月.13号)

2019-08-13 17:11:07 | 民俗・信仰・文化-伝承・信仰-
●若宮
八幡神社、天満神社、神明神社、住吉神社、などなど全国でよくみられる名前の神社はいくつかあり、その祭神は名前が同じなら凡そ共通しています。しかし、なかなか名前が同じでも祭神が一致しないのが、「若宮」です。どのような若宮がいるのかを見ていきましょう。
今回は三木市内のふたつの若宮八幡についです。

●三木市宿原若宮八幡神社
御祭神は応神天皇、つまり八幡神です。そして、応神天皇の父神である仲哀天皇、応神天皇の御子神である仁徳天皇も共に祀られています。
仲哀天皇から見ての若宮が応神天皇にあたる八幡ということでしょうか。


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三木市吉川町若宮神社

上の写真の屋台は、中の太鼓には文政元年の墨書きがあり、宮座の文書にも文政元年(1818)に神輿太鼓を建立したという記事があります。そして、その屋台がかつては宮入りしていたのが吉川町の若宮神社です。
かつては、う若宮八幡宮とも呼ばれていました。ウェブページなどの社伝には、
往古、村人の久右衛門、信託により八幡宮を信仰し、妻の安産を得たことに喜び小社を建立、山城国男山より御分霊を勧請し、若宮八幡宮と称す。
とあり、八幡神を祭る神社であることがわかります。
ところで、三木市吉川町、口吉川町には神社境内に神仏習合の名残の仏像を安置するところがいくつか見られます。若宮神社もその例に漏れず、は本地堂、つまり主祭神の本地物を安置する御堂があります。そこにいらっしゃるのは、応神天皇の本地仏とされることが多い、阿弥陀如来ではなく十一面観音です。
そして、主祭神も応神天皇ではなく、応神天皇の御子神である仁徳天皇です。応神天皇=八幡神とするので「あれば」、八幡神・応神天皇の子どもを若宮と呼んでいることになります。

●八幡宮とは!?(三木市内若宮八幡宮江戸時代より後版)
三木市内の若宮八幡の祭神が異なりました。
宿原は八幡神・応神天皇が若宮、吉川は八幡神・応神天皇の若宮・仁徳天皇を指しています。
では、八幡宮=応神天皇の神社だったのでしょうか。管理人が三木市内の若宮八幡の例を見る限りでは、「応神天皇たち(御子神の仁徳天皇、父神・仲哀天皇、母神・神功皇后)」の祭られた神社を八幡宮と呼んでいたということです。





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