車楽ハ河内国誉田祭よりはじまりて今は尾州の津島祭ありて、船にて巡り囃し立つる也。又熱田祭にもあり其他諸州にあり大坂の車楽ハ数おほし(多し)。特に東堀十二濱の車楽ハ錦繍を引はへ美麗を尽くして生土(うぶすな)の町々を囃しつれて牽めぐるなり。これハ大坂名物の其一品なるへし
車楽ハ河内国誉田祭よりはじまりて
『日本の祭と神賑: 京都・摂河泉の祭具から読み解く祈りのかたち』(創元社)2015 |
誉田
の車楽(だんじり)は、古風にして他の囃子とハ違ふ也。
車楽ハ河内国誉田祭よりはじまりて
『日本の祭と神賑: 京都・摂河泉の祭具から読み解く祈りのかたち』(創元社)2015 |
誉田
の車楽(だんじり)は、古風にして他の囃子とハ違ふ也。
●はじめに -止まれる地車と止まれないマラソン-
屋台や地車、山車、太鼓台の祭もオリンピックとは深い関係にあるようです。それを紹介します。
来年の夏、世界の国をあげた祭・オリンピック・パラリンピックが東京で猛暑の八月に行なわれます。本来ならめでたい、楽しみと言いたいところですが、残念ながらそうとはいきそうにありません。日本に四季があり、適している気候はやはり十月ころか春頃かになるでしょう。しかし、夏に行なわれます。愚の骨頂ともいえる季節の設定です。地車や太鼓台は、いざとなったら、止まって休憩ができますが、マラソンの場合だと、限界を超えてまで頑張ろうとする危険性は極めて高く、例えば危険性の高い競技のみ別時期や別地域での開催を考えなければなりません。
それはさておき、オリンピックと祭の関わりを見ていきます。
●昭和39年東京オリンピック
昭和39年東京オリンピックの開催を受けて、灘のけんかまつりでは、中村屋台(だったはず)が狭間彫刻をオリンピックの五輪仕様に変えました。
●体育の日の制定と祭、突然変えられた祝日
このオリンピックを境に体育の日が10月10日に制定されました。これをうけて、毎年の祭礼日をこの日に固定する祭がでてきました。さしあたり思いつくのが、下の二つですが、多分もっとあるはずです(^^;
10月9日、10日 滋賀県大津市天孫神社
三木市八雲神社
体育の日に行われている三木市久留美八雲神社の祭
そして、ハッピーマンデー制度(平成10年制定・国民の祝日に関する法律の一部を改正する法律)で体育の日が第二日曜日の次の月曜日になりました(いつのまにかスポーツの日になっていました。)。それに伴い、祭礼日を人手不足解消のために、この日に合わせたり、その前日の土日に制定する祭が格段に増えました。「伝統の祭の日を休日に合わせるのはいかがなものか」という議論もありますが、管理人も含め、この日程変更に助けられている節はかなりあります。
また、過疎化が進む地域では、背に腹変えられぬ問題の解決策として機能しています。この日があることで、帰省が容易になり祭がなんとか維持できている地域もあります。
ですが、この貴重な祭連休とも言える祝日を、オリンピックのためにかえようとしています。スポーツの日の他には、海の日、山の日です。いずれも祭を維持するための貴重な休日です。伝統文化とやらを大事にする方々がこの日を無理に変える意味は分かりません。また、夏祭の地域では、警備員をオリンピックに取られて、できなくなる地域も出ているそうです。少なくとも伝統的な祭がオリンピックによってできなくなるのであれば、決してゆるされることではありません。
莫大な借金などの問題は管理人には分りませんが、①気候の問題、②祭礼への影響が計り知れないことは子どもでもわかります。
始まってしまったら仕方ないと言うのもわかりますが、打ち水などという悠長なことを言わずに、①は特に危険と思われるものは、日程と場所を変える、②は、祝日の移動の即廃止と、オリンピック誘致した人が責任を持って祭の警備に当たるなどして対応してほしいものです。
●淡河八幡神社の祭
淡河八幡神社は神戸市北区になっていますが、播州に属していました。おそらく北区で唯一の播州地域と言えるのがこの氏子地域でしょう。その祭もまた特徴的なものとなっています。今管理人は旅行中ですので、手元に資料もないまま覚えていることだけを書いていきます。
●四年に一度の祭り
この地域では確か12ほどの村を4地区に分けて年番制で祭をしています。当番地区は10月第1日曜日の秋祭りで屋台を担ぐだけではありません。中学生は神輿を担ぎ、2月11日のお弓神事もとりしきります。
また9月末には稽古屋台を地元に持っていきその宮で練習しますが、歳田神社地域の当番の時は、地域で屋台を持っているのでそれで練習をするようです。
●稽古屋台
播州では珍しい家屋屋根の屋台です。9月の最後の日曜日?か土曜日かに淡河八幡でなく、地域の神社で練習します。この時、太鼓打の中学生か小学生の運動会がずっと重なっており、毎回運動会と太鼓のダブルヘッダーだという話を2006年頃に聞きました。
さらに驚いたことに、屋根の部材に正徳年間(1711〜1716)の墨書きがあったそうです。これを即制作年代とするには早いのではないかという声もありますが、かならずしも早すぎると言い切れないと考えられます。神輿の先導の太鼓は中世の絵図には確認されています。この時は太鼓の打ち手も歩いていましたが、灘のけんか祭りでは神輿太鼓たる屋台を思い起こさせるものが、18世紀中頃にはすでに出ていたことが、文書から分かります。もしかしたら、稽古も祭りの一環と考えたら現行最古かもしれません。
●本番の屋台
本番では、着物の内側を思わせるものを法被として着ています。これは、吉川の若宮神社では伊勢音頭の歌い手がこれの着物ぐらいの長さのものを着ていました。また、東灘区のだんじりの昔の写真を見ると、浴衣地で、似た衣装を着ていました。
4、5年前に売店の方から聞いた話だと、この祭では屋台も人も決してカッパを着ないとのことです。気概は見習いたいですが、管理人にはできないです^_^;
神戸市北区大澤町ではかつて淡河から屋台を買っだことがあるという話を聞きました。
橘正義の彫り物と金具
精巧な彫刻が明石の名彫刻師橘正義(明治10年ごろだそうです)によってなされています。「橘正義 彫刻師」でグ●ると、東京の柴又帝釈天の彫刻にも名を連ねているようですが、昭和でのこと!?、みたいなので、別人でしょうか。
人物もさることながら、鳥や麒麟の体のねじれ、羽毛や鱗の一つ一つを丁寧に表現していることに驚きます。
金具は珍しい人物ものです。うすい屋根とよく合います。