人間って歳取ると、本当に浅ましくてエゴイスティックになるなぁ。
・・・いや、うちのママの事なんだけどね(苦笑)
月曜日の夜、仕事から帰って来るとママが
「おばあちゃんと連絡が取れない」って大騒ぎしてるんですわ。
例の88歳の詩吟の師匠やってるあのワガママばーさんですよ。
「今日昼間家に電話したけど出なかった。」
「夜になってからも1時間おきに電話してるのに出ない」
「もしかしたら倒れてるんじゃないかと思って心配で」
なんて言うからさ、
「どうせ詩吟の会の出張か、会の慰安旅行なんじゃない?」
「気になるなら明日また電話してみりゃいいじゃん」
と、軽く流しておいた。
翌日また電話したけどやっぱり出ない。
で、今日もまた電話したけどやっぱり出ない。
それで私にギャーギャーうるさいから
「そんなに気になるならばーちゃんとこに見に行ってみりゃいいじゃん」
と言ったんですよ。
え?私?
心配なんてしてませんよ。
だって1日おきにヘルパーさんが来てるハズだし、今までだって緊急入院した時は
必ずお弟子さんからうちに電話が掛かって来てたもん。
少なくとも家の中で一人淋しく冷たくなって数日・・・なんて事は在り得ない。
ばーちゃんちは毎日誰かしら訪ねてくる人がいるんだからさ。
そーしたらさ、うちのママ何て言ったと思う?
「じゃあ今から実家(ばーちゃんちじゃなくて自分ちね)行って来るわ」
はぁ?どうしてばーちゃんの生存確認が出来なくて大騒ぎしてるのに実家?
そしたらね、
「喪服が実家に置いたままになってるから、今の内にコッチに持って来ておかないと
もしばーちゃんが死んでたら慌てて実家に帰らないと行けないから大変でしょ」
・・・だってさ。
あのねぇ。
まず死んでるか死んでないか、ばーちゃんちに確認に行けばいいでしょ?
そもそも実家よりもばーちゃんちの方が近いんだよ?
喪服取りに行くってさ、それ人が聞いたら「ばーちゃんが死ぬのを待ってる」
みたいに思われて当然でしょ(苦笑)
どうしてそんなに気になるなら、まずばーちゃんちに見に行かないの?
と聞くと、
だってもし本当に死んでたら警察とか呼んで事情聴取とかされるんでしょ?
そんな厄介事に巻き込まれるなんてやだもん。
それに、ばーちゃんって言ったって戸籍上何の繋がりもない人なんだから
(ばーちゃんはママの養母、後に養父と離婚したので戸籍上は他人)
別に死に水取ってやる義理なんてないし、それに色々やらされた挙句
金が一銭ももらえない(遺産相続出来ない)相手なんだよ?馬鹿馬鹿しいじゃないっ!
・・・だとさ。
もう呆れて物も言えないとはこの事よ。
日頃退屈だからってばーちゃんちに遊びに行って暇潰しして、
散々ばーちゃんにねだってカニ食わせてもらったり寿司食わせてもらったり
してるクセに、いざこういう状況になるとこーいう事言ってるんだもん。
我が親ながら本当に「なんて浅ましい人なんだろう」と愕然としましたよ。
昔は少なくともこんな事を言う人じゃなかったと思うんだよね。
パパが死んで、パパの遺産を相続して悠々自適になってから変わったように思う。
何かやたら金勘定で物を考えるようになって、正直恐ろしい程ケチになった。
とにかく「それをやったら得か損か」という物差しでしかモノを見ない。
人付き合いの上での義理とか、それをしてあげる事で相手が喜んでくれるだろうからとか、
そういう気持ちは一片のカケラもなくなったらしい・・・
こういうのも「親が歳を取った」って事なのかしらねぇ(溜息)
人間って長生きするとどんどん吝嗇になって損得勘定でしかモノが見れなく
なっていくのかしらねぇ。
なんかねー、親が「尊敬の対象」じゃなくなるのって、子供の立場からすると
本当に悲しくて淋しい気分よ。
・・・いや、うちのママの事なんだけどね(苦笑)
月曜日の夜、仕事から帰って来るとママが
「おばあちゃんと連絡が取れない」って大騒ぎしてるんですわ。
例の88歳の詩吟の師匠やってるあのワガママばーさんですよ。
「今日昼間家に電話したけど出なかった。」
「夜になってからも1時間おきに電話してるのに出ない」
「もしかしたら倒れてるんじゃないかと思って心配で」
なんて言うからさ、
「どうせ詩吟の会の出張か、会の慰安旅行なんじゃない?」
「気になるなら明日また電話してみりゃいいじゃん」
と、軽く流しておいた。
翌日また電話したけどやっぱり出ない。
で、今日もまた電話したけどやっぱり出ない。
それで私にギャーギャーうるさいから
「そんなに気になるならばーちゃんとこに見に行ってみりゃいいじゃん」
と言ったんですよ。
え?私?
心配なんてしてませんよ。
だって1日おきにヘルパーさんが来てるハズだし、今までだって緊急入院した時は
必ずお弟子さんからうちに電話が掛かって来てたもん。
少なくとも家の中で一人淋しく冷たくなって数日・・・なんて事は在り得ない。
ばーちゃんちは毎日誰かしら訪ねてくる人がいるんだからさ。
そーしたらさ、うちのママ何て言ったと思う?
「じゃあ今から実家(ばーちゃんちじゃなくて自分ちね)行って来るわ」
はぁ?どうしてばーちゃんの生存確認が出来なくて大騒ぎしてるのに実家?
そしたらね、
「喪服が実家に置いたままになってるから、今の内にコッチに持って来ておかないと
もしばーちゃんが死んでたら慌てて実家に帰らないと行けないから大変でしょ」
・・・だってさ。
あのねぇ。
まず死んでるか死んでないか、ばーちゃんちに確認に行けばいいでしょ?
そもそも実家よりもばーちゃんちの方が近いんだよ?
喪服取りに行くってさ、それ人が聞いたら「ばーちゃんが死ぬのを待ってる」
みたいに思われて当然でしょ(苦笑)
どうしてそんなに気になるなら、まずばーちゃんちに見に行かないの?
と聞くと、
だってもし本当に死んでたら警察とか呼んで事情聴取とかされるんでしょ?
そんな厄介事に巻き込まれるなんてやだもん。
それに、ばーちゃんって言ったって戸籍上何の繋がりもない人なんだから
(ばーちゃんはママの養母、後に養父と離婚したので戸籍上は他人)
別に死に水取ってやる義理なんてないし、それに色々やらされた挙句
金が一銭ももらえない(遺産相続出来ない)相手なんだよ?馬鹿馬鹿しいじゃないっ!
・・・だとさ。
もう呆れて物も言えないとはこの事よ。
日頃退屈だからってばーちゃんちに遊びに行って暇潰しして、
散々ばーちゃんにねだってカニ食わせてもらったり寿司食わせてもらったり
してるクセに、いざこういう状況になるとこーいう事言ってるんだもん。
我が親ながら本当に「なんて浅ましい人なんだろう」と愕然としましたよ。
昔は少なくともこんな事を言う人じゃなかったと思うんだよね。
パパが死んで、パパの遺産を相続して悠々自適になってから変わったように思う。
何かやたら金勘定で物を考えるようになって、正直恐ろしい程ケチになった。
とにかく「それをやったら得か損か」という物差しでしかモノを見ない。
人付き合いの上での義理とか、それをしてあげる事で相手が喜んでくれるだろうからとか、
そういう気持ちは一片のカケラもなくなったらしい・・・
こういうのも「親が歳を取った」って事なのかしらねぇ(溜息)
人間って長生きするとどんどん吝嗇になって損得勘定でしかモノが見れなく
なっていくのかしらねぇ。
なんかねー、親が「尊敬の対象」じゃなくなるのって、子供の立場からすると
本当に悲しくて淋しい気分よ。