天網恢恢疎にして漏らさず

映画レビューを中心に(基本ネタバレバレです)スキーやグルメ他、日々どうでもいいような事をダラダラと綴っています。

【映画】「ひとよ」試写会@46作目

2019年10月30日 | 映画感想
「ひとよ」試写会

劇作家・桑原裕子さんが主宰する劇団「KAKUTA」の代表作を実写映画化したものだそーです。試写会で鑑賞。
メガホンを取ったのは「孤狼の血」などの作品を手掛けた白石和彌氏。DV夫を殺害した母親を田中裕子さんが演じ、残された3人の子供達の成長した姿を長男が鈴木亮平さん
次男が佐藤健さん、末っ子長女を松岡茉優さんがそれぞれ演じています。

あらすじ
ある雨の夜、稲村家の母・こはる(田中裕子)は3人の子供たちを守るため夫を殺害し、子供たちとの15年後の再会を誓って家を後にした。
事件以来、残された次男・雄二(佐藤健)、長男・大樹(鈴木亮平)、長女・園子(松岡茉優)は、心に傷を抱えたまま成長する。やがてこはるが帰ってくる。(Yahoo!Movieから丸パク)

内容的には東野圭吾氏著の「手紙」という作品と似ています。
家族が殺人事件を犯して服役する。残された側は「殺人者の家族」という汚名を着せられて延々差別といじめを受けて生きて行く事になる。
自らが犯した事ではないのに家族の罪を自分の事のように非難を浴びながら生きて行かなければならない残された家族の葛藤や苦しみ、そして罪を犯した本人とどう向き合っていくか
…東野圭吾氏の作品では罪を犯した兄は服役中という設定だったけれど、本作では殺人を犯した母親は既に刑期を終えて出所しているものの自首する前に子供達に「15年戻らない」と宣言していて出所後は行方不明になっており、それが本当に15年経ったトコロでひょっこり母親が自宅に戻って来た、という展開。

田中裕子さんはくたびれた母親を相変わらず上手く演じているものの、この歳になってようやく自分は気付いてしまった…
しょぼくれた表情で演じているものの、よくよく冷静に見てみると顔にシミ1つない。しわも目尻にはあるものの頬もたるんでいないしほうれい線もさほど目立たない。
やっぱり大女優さんなんだよなぁ。同じ年齢の女性を横に並べたら圧倒的に田中裕子さんの美貌は輝いていると思う。
でもその美しさを微塵も観客に感じさせずに「くたびれた田舎のおばはん」を装って演技して、そういう体に見えるのが本当に凄い事だと思うわ。
女優さんが美を高らかに晒す事は割と簡単だと思うけど(そもそも美しいんだし)、美しい女優さんがその美を完全に封印して全く感じさせないようにする事は本当に難しいと思う。

3兄弟の中で一番ハマってたのは松岡茉優さんかな。
本作の役柄が「万引き家族」の時のキャラとちょっと被る感じがするんだけど、彼女はちょっとやさぐれたキャラを演じさせるととても上手だなーと思う。
フリーライターで自分の母親の事件を記事にして世間に出よう(多分彼は事件記者になりたいんだろう)としている次男を佐藤健さんが演じていたけど、彼も役にハマってた。
多分一番難しい役が長男だったと思う。吃音持ちで自分の気持ちをなかなか口に出来ない男で、感情が高ぶると思わず手を上げてしまう…DVだった父親の影がチラつく。
鈴木亮平さんは本当にカメレオン俳優さんだよなぁ~と。どんな設定のどんな役でもきっちり作って来ますね。本作の配役は概ね満足出来ました。
一番怖かったのは…佐々木蔵之介さんだねw この人もふり幅の広い役者さんですよね。

さて、問題の「犯罪を犯した家族とどう向き合っていくか」
自分は子供達の反応よりも、罪を犯した母親自身の心情が正直よく分からなかった。
確かに「15年経ったら帰ってくる」と言ったものの、どんな気持ちで自宅に戻ったのか?
当たり前のような顔で戻ってきて、周囲に晴れ晴れとした顔で出所後何をやっていたか語って飄々として見える。
周囲からは「あんなキチガイ旦那、子供の為にぶっ殺して当然。むしろよくやった」みたいに言われるものの、本人はどんな心境だったのか。
劇中では母親の本心は全く語られず、正直何を思って今この家に戻って来たのかが分からない。

ただ、夫を殺害後に子供達に「これからは何だって出来る。何にでもなれる」と語ったものの、事実はその真逆だった。
それを見て彼女は何を思うのか…本作は非常に難しいテーマの作品で答えのない問題を取り上げているんですが、本作を観た人それぞれの置かれた立場で受け取るメッセージが変わるのだろうなと思いましたね。
人によっては次男の目線で見て、人によっては長男の妻の目線で物語を見て、またある人は母親の心情に寄り添えるのでしょう。
自分は正直言って本作の誰にもなれなかった…いや、タクシー会社に勤めているボケた姑の介護に疲れていた女性、彼女が自分に一番重なる部分が多かったかな?
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【映画】「イエスタデイ」@45作目

2019年10月21日 | 映画感想
やべぇ。
最近急激にやる気が蒸発してしまってしばらくニートと言うか…遊びには行ってもBLOG更新する気力がなくなってました。
かなりネタが詰んだ状態なので、しばらくサラッとネタUPして行きます(既に色々忘れてる事も多いのでw)
今現在2019年11月7日なので…既に半月近く経っちゃってるし!ドヒー

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「イエスタデイ」

という訳で、昨年の「ボヘミアン・ラプソディ」大ヒット以降雨後の筍的に制作されている「アーティスト物」の系譜…とはちょこっとだけ違うけど、まあ乗っかってる系(コラコラ
本作で取り上げられているのは「ザ・ビートルズ」、まあいずれは絶対に誰か取り上げるだろうとは思ったようん。
ただし、ビートルズの半生を描いている訳ではなくて「もしもある日あるきっかけで自分以外の人がビートルズの存在を知らない世の中になったなら」というファンタジー

あらすじ
イギリスの海辺の町に暮らすシンガー・ソングライターのジャック(ヒメーシュ・パテル)は、幼なじみで親友のエリー(リリー・ジェームズ)に支えられてきたが全く売れず、夢を諦めようとしていた。
ある日ジャックは、停電が原因で交通事故に遭遇。昏睡(こんすい)状態から目覚めると、この世には「ザ・ビートルズ」がいないことになっていた。(Yahoo!Movieから丸パク)

因みに劇中ではビートルズだけでなくてオアシスとコカ・コーラも存在しない事になってた。なんでや?
で、主人公のジャックはビートルズが世の中から消えて誰もその存在も楽曲も知らないと分かると…自分の作品として発表しちゃう訳ですわ。ゲスい~w
そしてその楽曲は実際と同じよーにバカ売れする。
…でもコレに関しては個人的にちょっと疑問視したいかもしれない。いくら素晴らしい楽曲でもそれを歌う人物が変わるだけで売り上げが全然変わると思うんだけどな。
ビートルズの楽曲はジョンが、ポールが、リンゴが、ジョージが歌って演奏したからこそあれだけ売れたんだと思いたい。

まあいいや、本作は「いい曲は誰が歌ってもいい曲」という事でジャック作という体で売れに売れていく。
そしてこのパラレルワールドには何故かエド・シーランは実在する(つーかエド・シーランがご本人役で登場して軽く衝撃的だった!)
実際のエド・シーランがド素人の自宅に直接訪ねて行く事はあり得ないんだけど映画はパラレルワールド設定なので物凄いフランク且つフレンドリーw

で、この話はいつどういう展開でパラレルワールドから現実に引き戻されていくのかな?(それをハラハラドキドキ楽しませてくれるんだろうな)と思って観ていたんですが…
自分が想像していたのとはぜーんぜん違う展開だったのでちょっと驚きましたわ。
海辺の小屋であの方が登場した時には思わず「はえぇぇぇ~!?」って声出ちゃったわな^^;
それにしても…パラレルワールドにはポールとリンゴとジョージは存在しなかった設定なのか…なんかそれがちょっと納得行かないって言うか。
いや納得いかないというよりも「ビートルズにリスペクトしてる作品ならジョンだけじゃなくて他のメンバーにも触れて欲しい!」っていう気持ちかな?

ま、自分多分生まれて初めて聞いた外タレの楽曲が(少なくとも誰が歌っているのか自覚して聞いた楽曲が)ビートルズだったので少々思い入れが強過ぎたのかもしれない。

という訳でなんだかずーっとモヤモヤしながら本作を観ていたんですが、まあ最後はこれはこれで大団円なのかな。
ビートルズの楽曲が当然ですが沢山登場しますので、本作をきっかけに今の若者にももう一度ビートルズを周知して貰えれば嬉しいかなーと。
そして本作に出演している役者さんを誰一人知らなかったんだけど、敢えて有名どころの役者さんを起用しなかったからこそ話に入り込み易かったのかな?
それと主人公が生粋の英国人(白人)ではなく敢えてのインド移民系だったのも今の時代を反映させているのかな?等々、色々考えさせられましたね。
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【映画】「ジョーカー」@44作目

2019年10月07日 | 映画感想
「ジョーカー」

バットマンシリーズ最強のヴィラン「ジョーカー」にスポットを当てた…スピンオフ物。
ジョーカー役をホアキン・フェニックスが体重をなんと24kgも減量して体当たりで演じています。
監督は「ハングオーバー」シリーズのトッド・フィリップス氏。シリアス系撮るのもしかして初めてなのかな?多分そうだよね。

あらすじ
脳の病気により感情に関係なく突然笑い出すと止められなくなるという障害を抱えつつも、子供の頃から母親に「どんなときも笑顔で人々を楽しませなさい」と言われた言葉を胸に刻んでコメディアンを目指しているアーサー(ホアキン・フェニックス)は、同じアパートに住むシングルマザーのソフィー(ザジー・ビーツ)に密かに思いを寄せていた。
ピエロのメイクで大道芸をしながら生計を立てているアーサーは貧困から脱却したいと切望するもなかなか上手く行かず鬱々としていたが、ある日同僚から拳銃を手渡された事で…

いわゆる「エピソード・ゼロ」というヤツで「アーサー青年が何故ジョーカーになったのか」というのを見せています。
まあ、その、大体想像した通りっちゃーそうなんですが、要するに「抜け出せない貧困と障害から来る謂われのない差別」と、そこから派生するハイパー不幸スパイラル。
正直言うと…アーサーに同情は余り出来なかった。だってアナタはそういう星の元に生まれてしまったのだもの仕方ないのよ。←相変わらず身も蓋もねーなw
それより何よりね、本作観て先ず思った事。それは

ゴッサムシティ、民度低過ぎ!(滝汗)

うん、だって日本だったら絶対にこんな事起こらないと思うよ。
この展開に「さもありなん」と頷きながら共感出来る人って南米とかの超ド貧民地域在住者とかコソボ辺りで難民になってるとかそのレベルの人でしょ^^;
たまたま地下鉄で殺人事件が起こり、その被害者がエリート層のリーマン3人だった…というだけで犯人をカリスマ視してデモや暴動が起こるって、そりゃどこのディストピアだよw
こういう「負の民心誘導」が起こるのってやっぱり民度と比例していると思うんですよね。正に「貧すれば鈍する」ってヤツですか。
だからこの「ジョーカーが出来上がるまで」の展開は正直自分には受け入れられないというか「まーそういう無法地帯みたいな国も沢山あるんでしょうなぁ(ハナホジ」位の感想^^;

本作の何が凄いって、やっぱホアキンの迫真の演技、コレ一本でしょう。
正直言って…コレは自分と同じ人本当に多いと思うけど「やっぱり歴代最高のジョーカーはヒース・レジャーだった」と言う人、いっぱいいるよね?うんそう思うよ。
でも本作はヒースが演じたジョーカーとはまた全く違うアプローチのキャラで、少なくとも本作に関して言えば「バットマン」シリーズを一作も観ていなくても本作だけで話が成立するように作られているので、いつまでもヒースヒース言うのやめたれや。←お前もなw
勿論バットマンシリーズを一通り(せめてダークナイトだけでも)事前に観ておくと、より本作に登場する人物に「おおおおお!」ってなりますが、まあ観てなくても問題ない。

まあともかく、ホアキンは本当によく作り込んでいたなぁと。
抜け出せない貧困、差別、謂れのない暴力のシャワー、助けてくれない行政、そして報われない愛、何もかもが負のスパイラルに絡まりどんどん病んでいく様子が実に痛々しい。
唯一信じていた母の愛すら偽りのモノだったのだと知って遂に壊れてしまったアーサー青年の狂気がゴッサムシティを揺るがすヴィランになっていく姿が凄くリアルでした。
自分観ていて一番背筋がゾゾーッとしたのは…ソフィーとの顛末かな。「え!じゃあ、じゃあ、今までのアレって…(ひえぇぇ)」でしたわ><

「これは悲劇ではない。喜劇なのだ」と語る本作のジョーカーからはヒースほどの邪悪なパワーは感じなかったけれど、「悲しみ」からヴィランが誕生するという展開は彼をとても魅力的な人物へと昇華させてくれたなぁと、その「悲しみ」をホアキンはとても上手く表現していたなぁと思いましたね。
…って、だからヒースと比べたらあかんって自分でさっき書いたやろーが!^^;
コメント (2)
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【映画】「ホテル・ムンバイ」@43作目

2019年10月02日 | 映画感想
「ホテル・ムンバイ」

2008年11月26日にインド・ムンバイで起こった同時多発テロ事件を映画化。
テロは駅構内、ムンバイ市内各所、そして5つ星超高級ホテル「タージマハル・ホテル(Taj Mahal Palace & Tower)」が完全占拠され大虐殺が起こったのですが、特にこのホテルでの出来事にスポットを当ててホテル内のスタッフや宿泊者達のサバイバルの様子やテロリスト達の横顔~事件収束までを丁寧に描いています。

あらすじ
身重の妻と小さい娘がいるアルジュン(デヴ・パテル)は、インド・ムンバイの五つ星ホテル、タージマハルで、厳しいオベロイ料理長(アヌパム・カー)のもと給仕として働いていた。
2008年11月26日、ホテルには生後間もない娘とシッターを同伴したアメリカ人建築家デヴィッド(アーミー・ハマー)や、ロシア人実業家のワシリー(ジェイソン・アイザックス)らが宿泊していた。(Yahoo!Movieから丸パクしました)

タージマハルホテルのレストランで給仕の仕事をしているアルジュンと、この日このホテルに宿泊していたVIP客のアメリカ人夫とイラク人?妻+赤ん坊とベビーシッターファミリーの様子や視点を中心に見せているので、スクリーンを見ながらまるで自分もこのテロに巻き込まれた宿泊客になったかのような疑似体験を味わう事になります。
とにかく…恐ろしい。ただただひたすら恐ろしい。

犯人グループはまだ少年と呼んでも差し支えのない程の若者達で、通称「ブル」と呼ばれているイスラム教指導者からの指令に従って粛々と殺害行為をこなしていく。
まだ幼さの残る彼らは貧困からテロ組織の武装訓練等に参加しつつすっかり洗脳されていて、家族に多額の謝礼を渡すという甘い言葉と「自分達が貧しいのは非ムスリムのヤツらが自分達から搾取したからなのだ。だからコレはジハード(聖戦)なのだ」という大義名分を与えられてただ命令に忠実に動く殺人マシーンのようになっていました。
加害者である彼らもまたこのテロ事件の被害者なのだ、という側面をさりげなく提示していて、決して「宗教(イスラム教)=悪」ではないのだ、彼らには彼らの汲むべき事情があったのだという部分にもきちんとスポットを当てています。
切なかったのが、殺害した外国人女性の身元を調べろと命令されて身辺を探るものの身分証明書の類いが見つからず、それをブルに報告すると「ブラジャーの中に手を入れて調べろ」と指示されるんだけど、どうしても女性の胸に触れないんですよね。まだ本当にあどけない思春期の少年達だったんです。

いや、犯人グループに同情してる場合じゃーないんですよ。何しろ虱潰しに部屋一つ一つ訪ねて殺しに回ってるレベルの鬼畜状態なんですから(滝汗)

話は勿論基本ホテルスタッフと宿泊者達の視点が中心になっていて、特にレストランスタッフ達の勇気と英断には目を見張るものがありました。
スタッフの中でもデヴ・パテルが演じた「アルジュン」が中心に描かれているけど、彼本当に上手いというかホテルマン役がハマるわー。
あ、コレは多分確実に「マリーゴールド・ホテル」シリーズのイメージから来ちゃってると思うけど(苦笑)
でもマリーゴールド・ホテルとは全く違うキャラクターで(当たり前だわw)、英国人老婦人がヒス起こして誰彼なくテロリストの仲間ではないかと疑心暗鬼になってアルジュンの髭や頭に巻いたターバンが怖いとクレームを付けてくるんだけど、そんなキチ老婦人に自分の家族の写真を見せたり、自分はムスリムではなくて敬虔なシーク教徒である事、シーク教徒にとって頭のターバンや髭がとても大切なものなのだという事を丁寧に説明して納得してもらうくだりがあるのですが、ちょっとジーンと来てしまいました。

日本人は無信仰・無宗教…とまでは言わないまでも宗教に疎い、特に仏教やキリスト教以外の宗教に対する見識が薄い人が多いと思います。自分もそうです。
本作の中には色々な宗教観や宗教別のルールが登場します。例えばレストランでアメリカ人客がビーフパテのハンバーガーを注文しようとして妻に窘められるシーンも登場しますし、先に書いたイスラム教の「ジハードの定義」のくだりもそう。そして映画冒頭はシーク教徒のアルジュンが丁寧に頭にターバンを巻くシーンから始まります。
そんな敬虔なシーク教徒のアルジュンがお客様の為にと躊躇わずに自分のプライドの象徴だったターバンをはぎ取ってケガを負った客の身体に巻いてあげるシーンはグッと来ます。

よくこの手の「サバイバル・サスペンス」って、大体のメインキャラが出揃った所で「コイツは途中で死ぬヤツ」「コイツらは確実に最後まで生き残る」「こういうチョイ役が案外最後まで残るんだよね~」みたいになんとなーく振り分けて観てる部分ありますよね、そーやって自分を納得させてちょっと安心しながら観てる、て言うかね。
本作そういう「なんとなくルール」吹っ飛ばしまくってましたね。ぜっっったい生き残る!って確信してたキャラがスコーンと殺されたりして「うえぇぇぇ!」の連続^^;
まあ、それが現実…いや、実際にテロってこういう世界なんだなと。これこそが正に「凄惨なテロの疑似体験」に他ならないのだな、と。

日本ではオウム真理教の「地下鉄サリン事件」という無差別テロが過去1件あったのみで、それ以前もそれ以降も他の宗教によるテロは起こっていません。
でもそれはたまたま未だ標的にされた事がないだけに過ぎず、今もよくイスラム教原理主義系の指導者が「日本もテロ対象だ」と声明出したりしていますよね。
日本人ジャーナリストがイラクで拘束された上に公開処刑された事件もありました。決してこの映画に描かれている事件は対岸の火事ではない、という事。
我々は「関係ない」「興味がない」ではなく、もっと広く世界を見て学ばないと。宗教や様々な思想から起こる凄惨な事件が「何故起こるのか」知らないと。
事件を起こす側の理屈とレトリックを学ばなければ、またそれに正しく対応する事も適わないでしょう。
来年「TOKYO・2020」で多くの外国人を受け入れる日本、今学ばないでいつ学ぶよ!?と、そんな事を改めて考えさせられる作品でした。

改めまして…このテロ事件で喪われた多くの罪のない方々のご冥福を心からお祈りします。
そしてこの凄惨なテロにあって客の為に我が身をなげうってまでかばい守ったホテルスタッフの方々の類稀なるホスピタリティに心から敬服します。
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