第4回「五節の舞姫」はこちら。
あ、そうか。BSで見てから「さよならマエストロ」を見る間に総合をすっ飛ばしてアップすればいいんだと気づく。そんな義理はないのに。
藤原道長(柄本佑)は、紫式部(吉高由里子)の母親を惨殺した男の弟であることをついに告げる。その兄や父親はそのことに毛ほども動揺していない。
ヒロインも彼もこう考える。自分があのときこう動かなければ、こうはならなかったのではないかと。若いときに、陥りがちな考えだ。バタフライ・エフェクト(蝶の羽ばたきのような小さな行いでも大きな影響を及ぼす)を、誰でもが考える。
似たようなことが(と言っては失礼なのだろうが)、ドラマではなくて現実の世界で起こってしまった。自分の描いたマンガがドラマ化され、しかしさまざまな事情で改変されていることに、そしてそのことを自分がSNSで明かしたことのためか、そのマンガ家は自死してしまった。
わたしは最初にこう思った。自分の作品が映像化される時点で、それは別の作家に委ねたのだから、文句をいうのは筋違いだろうと。実際に多くの小説家は他者の立場で映像化された作品を、極端な発言では
「嫁にやったようなものですから」
と突き放したように語っている。すべての作品が村上春樹の「ドライブ・マイ・カー」のように幸福な解釈がなされるわけではない。
しかしマンガ家にとって、“まだ連載が終わっていない”のだから勝手な改変は困る、というのも理解できる。わたしはこの改変したとされるものすごく優秀な脚本家のドラマを見て感じ入ったばかりなので、ひたすら哀しいと思うだけだ。
脚本家として、大石静さんはそのあたりをどうねじ伏せたのだろう。
第6回「二人の才女」につづく。