おそろしく魅力的な場面からこの小説はスタートする。青豆、という奇妙な苗字をもった女性が首都高の渋滞にまきこまれる。クラウン・ロイヤルサルーンに高価なステレオを搭載した個人タクシーの運転手は、首都高には非常階段があると青豆に告げる。池尻大橋の手前に。刻限までに渋谷に着こうと思えば、そこを使えばいい、と。
青豆はハイヒールを脱ぎ、タイトなミニスカートでありながら鉄柵を乗りこえて非常階段を降りる。運転手は彼女に警告する。
「見かけにだまされないように。現実というのは常にひとつきりです。」
(※パラレルワールドの否定であると同時に、後半の展開を予言している)
しかし青豆は、その瞬間からもうひとつの(と見える)世界に入りこむ。月のそばに、“もうひとつの月が存在する”世界へ……
「不思議の国のアリス」導入部のパロディとしても出色の出来映え。独立した短篇として読んでも満足できる。そしてこの小説に、もうひとりの主人公である天吾が登場する。
青豆の章と天吾の章が交互に展開され、ふたりの存在とふたつの世界(1984年の東京と1Q84年の東京)の関係性が次第に明らかになる。おなじみの(広義の)ミステリ的手法。しかしそれよりも村上春樹のファンにとっては「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」の変奏曲としても楽しめる造りになっている。「世界の~」との最も大きな違いは、“どうして村上春樹は、今度はこんなにも面白く語ったのか”だ。
そうなのだ。とにかく「1Q84」(タイトルもすばらしい)は、予想外に、しかもめちゃめちゃに面白い小説だったのである。青豆が行っている“仕事”は殺人であり、その手法は藤枝梅安とほぼいっしょ。殺される人間は例外なく女性をおとしめる男だから、誰でも感じるように青豆は仕掛人の1984年バージョンだ。
精神的なバランスをとるために(殺し屋ケラーが切手を収集するように)青豆は夜のバーで髪のうすい中年男を漁り、セックスをむさぼる。奇妙な嗜好は、青豆が一生をかけてある男性を追い求めていることと矛盾しない。殺伐としたハーレクインロマンスとしても読めるわけ。くわえて……
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