窪塚洋介、柴咲コウ主演 行定勲監督 宮藤官九郎脚本
例によって午後イチに学校を出て給与審査会。年末調整のときは1時間半も待たされてその間にタイヤ交換まで(笑)出来たのに、本日の庄内総合支庁はガラ空き状態。
「あら、もう終わり?」
「終わりっすよー。」
近頃妙に髪の薄くなってきた教育事務所の職員は冷たい。「何かないのか。これじゃあ学校に帰んなきゃいけないじゃないか。」まだ3時にもなっていないのだ。「ないですってば。」もちろん本気で学校に帰るつもりはなく、頭の中では、さて、今日は何を観ようと考えている。
本当なら「GO」にスッと行けばいいのだ。もうすぐ公開も終わってしまうし。窪塚=宮藤のIWGP(池袋ウエストゲートパーク)コンビの新作である。何をおいても駆けつけなければ嘘だろう。が、頭のもう一方は「在日」の映画であることへの気重さが占めている……
「何でそんなに朝鮮の連中嫌うんだよ」
良心派だったわけではなく、体でそのことが本当にわからなかった私は、学生時代に付属上がりの同級生にきいてみた。
「あー、ホリは経験ないからな。」
「経験?」
「俺は(東武)東上線沿いに住んでるだろ?チョーセン学校と中学高校んときどれだけバトルやったかよぉ。」
「特に今年度は在日の子弟だって卒業するわけじゃないですか。そんな時に強引に君が代を卒業式に持ち込むことは……」20代の頃に職員会議でかました自分の理屈。君が代に反対したことに後悔はないが、わざわざ在日を持ち出したあたりに自分の不遜さがあったのではないかと激しく反省したりする。
在日の問題を考えるとき、どうしたって自分の差別への罪悪感とかと、本気で向かい合うことになる。気が重い、とはそのことだ。
だが、この映画はそんな偽善的な自省をはるかに吹き飛ばす。タクシーのなかで父親役の山崎努(名が秀吉)が、北朝鮮で死んだ弟のことをつぶやく、いわゆる文学性豊かな良心的シーンで窪塚が
「だっせー!てめーら(在日)二世三世がきちんとかたづけねーから俺たちが弾けられねーんじゃねぇか!」
と前世代を否定する。まったく、その通りだ。われわれの世代がきちんと総括(主体思想お得意の言葉……民族学校の内部を初めて拝見)しないから、若いもんにご迷惑をおかけするのだ。というか、そんな大上段に構えるのではなく、自分だけでもいいから「ノープロブレム」と心の中で言えるようになることが大切だと……あ、また深刻になってしまった。
酒田シネマ旭は今回も私の他は(坊主頭の)男子高校生3人だけ。思いきりリラックスしやがって、ギャーギャーうるさいし長椅子に横になって見はじめるし。だが、主人公の友人の葬式のシーンでは起きあがっていたし(私は涙が噴き出していた)、終映後、何もしゃべらずに映画館を出ていった。彼らなりに、感じることもあったのだろう。
もちろんこの映画一本で差別感情が日本から一掃できるものではない。主人公クルパーの人生だってこれから大変だ。だが、ひたすら可愛い柴咲コウと初体験に向かう聖夜の窪塚洋介に、私は今年最高の感動を憶えていた。今は、とりあえずそれでノープロブレム。
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