えんどう豆の上にねむったお姫さま
H.C.アンデルセン作
ひどい嵐の夜のことでございます。いなづまが光り雷がなり雨がたきのようにふりそそぎ、それはそれはおそろしい夜でございました。そのさなかにドンドンとお城の扉をたたく音がいたしました。そこでお年をめされた王さまが、嵐の中を扉をあけにおいでになりました。すると、ひとりのお姫さまがひっそりとたたずんでおいでになりました。
まあ!なんとおかわいそうに!お姫さまは風と雨にうたれ見るもあわれなすがたをしておられました。かみの毛からもおめしものからも水がしたたりおち、くつの先からも水が入ってあふれでておりました。
<中略>
そして20まいのしきぶとんを何人もの召使いにはこばせて、えんどう豆の上におのせになりました。さらにその上に、20まいもの軽やかな羽のふとんをかさねたのでございます。
あくる朝、おきさきさまは「ゆうべはよくおやすみになられましたか?」とお姫さまにおたずねになりました。
するとお姫さまは「いいえひどいめにあいましたの」とおこたえになるのでした。「ひとばんじゅうほとんどねむることができませんでしたの……ベッドにはいったいなにが入っていたのでございましょう。なにかかたいものの上にねむったようでございます。からだじゅう赤いあざや青いあざになってしまいました。ほんとうにひどい夜でございました!」
……かくして本物のお姫さまと認められた彼女は、この国の王子様と結婚し、しあわせにくらしましたと……ちょっと待て。待ってくれ。
けっこう有名なお話。娘に読み聞かせをするために買った「アンデルセン童話~一年生」では、お妃さまがどのようにしてお姫さまが本物かを見破ったか、に重点がおかれている。豆はそのための手法にすぎない、と。が、私が子どものときに読んだバージョンは、もう一人のお姫さまがいて、そちらは「ぐっすり眠れました」と答え、しかしもちろん眠れない方のお姫さまを花嫁に選ぶ、というストーリーだったと思う。その時は、あーお姫さまをやっていくのはたいへんなことなんだなあ、ぐらいの認識だったが、よくよく考えてみればこのお姫さまもお妃さまも、これはたいしたタマである。
・びしょ濡れの姫を休ませるのに、いかな息子の嫁選びのためとはいえ、豆を仕込ませる手口は陰険そのもの。命じられた召使いたちの嘆息が聞こえるようだ。「ったくうちのお妃さまにも困ったもんだよなあ」とか。意地悪な姑への道一直線であろう。
・どんな子細で一人お姫さまがはぐれることになったのかは知らないが(「ローマの休日」パターンだろうか)、雨やどりをさせてくれた上に、ふかふかのお布団を敷いて無料で泊めてくれた相手に向かって「眠ることが出来ませんでした」はいくらなんでも無礼というものだろう。親の顔が見てみたいぞ(王様なんだろうけど)。この女、鬼嫁になること間違いなしだ。それに、そんなに簡単にあざができるなんて、食生活考えた方がいいぞ。
……でも、私も歳をとって次第にわかってきた。王族、貴族には、このテの無礼さ、意地の悪さと紙一重の、一種のイノセンスが必要なのだと。悪徳政治家は、だからこそ彼らを利用し甲斐があるというものだし、庶民はため息をつきながらもゴシップを楽しむことができる。徳にあふれた王侯など、実は退屈きわまりないのだ。
もうおわかりですね?今回は、もうすぐお送りする皇室ネタへの前ふりなのだと。あっぶねー。
私はこの童話が、世界中の童話の中で一番好きなのですが、
このページでお使いになってる挿絵が大変気に入りました。
差し支えなければ、どちらから引用されたのか教えてください。
ぜひ買いたいと思います。アフィリエイトなどしてくださっても構いません。
よろしくお願いします。
いかようにもしてください。
それにしても、この童話が世界中でいちばん好きなんですか?
マジっすか!
はい。
子供のころに学校の図書館にある世界文学全集と名のつくものは、
端から全て読み切ったのですが、この話を超えるものはありませんでした。
なぜか心に残る話と、私の今の人格とには、何か関係がありそうなので、
おおっぴらに言うのは憚られますが・・・