その4はこちら。
(オードリー・ヘップバーンとの別離)
BW:オードリー・ヘップバーンが特別だったのはいわゆる“きれい”な女優だったからではなく、輝かしい存在だったからだ。でも演技をしていないときは普通の女性にしか見えない。しかもスターであることに加え、彼女は高度な演技力をもった女優だった。彼女の死はたいへんなショックだった。
CC:連絡を取りあっていたのですか?
BW:始終電話で話をしていた。しょっちゅうだ。最後に言葉を交わしたとき、彼女はガンに冒されていることを知っていた。抱えられるようにして飛行機に乗り込み、死に場所と決めていたスイスに向かった。最後は着衣の中にしのばせたモルヒネを体内に注入しては苦痛に耐えていた。
CC:別れの言葉を交わしましたか?
BW:別れの言葉を交わした。(そこで口をつぐむワイルダー。ヘップバーンのプライバシーは堅く守られている)
(ジョン・ウェイン)
CC:ジョン・ウェインと組んでみたいと思われたことは?
BW:ない。私の映画に馬は出てこない。馬は苦手だ。
(ウディ・アレン)
CC:ウディ・アレンの「アニー・ホール」についてはどうお考えですか?画期的なロマンティック・コメディだと私は思っていますが。
BW:私も大好きだ。じつにパーソナルで、とてもいい。私はウディ・アレンの大ファンだ。とくに彼が絶好調のときのはね。
CC:全然古びない、すばらしい映画です。
BW:そう。でも彼が作っているのは映画じゃない。エピソードを集めたものだ。なぜだか編集の仕方もよく知らないように見える。
(シックスティーズ)
CC:60年代について、あの十年間のもつ意味について、これまで多くのことが書かれてきました。あなたは60年代もコンスタントに映画をつくっておられます。あなたにとって60年代とは何だったのでしょう。
BW:あれが60年代とは気づきもしなかった。
(ライ麦畑でつかまえて)
BW:すばらしい本だ。私も惚れこんで、すぐに映画化を考えた。そんなとき、一人の若者が私のエージェント、リーランド・ヘイワードのニューヨーク・オフィスにやってきてこう言った。「リーランド・ヘイワード氏に手を引くようにお伝え願いたい。あんな無神経な人間はいない」そう言い残して若者は立ち去った。私は会っていない。その男がJ.D.サリンジャーであり、手を引けと言ったのが「ライ麦畑でつかまえて」だった。
その6につづく。
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