写真は孫が学校から持ち帰ったアサガオ。
あるがまま、きょうのいのちを美しく咲いています。
さて、先日、境内清掃の折、ご門徒さんに配布した「御堂さん」7月号に
親鸞聖人の『唯信鈔文意』のお言葉がありました。
「涅槃をば滅度といふ、無為といふ、安楽といふ、常楽といふ、実相といふ、法身といふ、法性といふ、真如といふ、一如といふ(中略)、法身はいろもなし、かたちもましまさず。しかれば、こころもおよばれず、ことばもたえたり。」
天岸先生が
「物の真のあり方はいかなる「いろ」「かたち」を用いても表現しきれず、当然、人間の思考や言語で表現し尽くすことは不可能という意味なのです」
と解説してくださっています。
私の思考は所詮、私色(自分中心の見方、受け止め方)でしかありません。
仏さまの涅槃・滅度の世界観
に相対してこそ、「私が、私が」と生きている、我が身の「我」の危うさ、愚かさに気づかせていただける。
涅槃にずっと、ずっーと、ほど遠い私ですが、
涅槃の境地(仏の境地)というものがあることだけでも知る のは
自己の濁りを自覚させらること。
気づかされてこそ、いささかなりとも、生き方が転じられるのであろうと、味あわせていただいております。