お寺のオバサンのひとりごと

心のマッサージにお寺へ行こう!

前住職さまのご往生また

2022年07月25日 | 雑感
 組内のM寺前住職さまがご往生。
 体調がお悪いため、最近、新しく若いご住職が入寺されていましたので、今は「前住職」。
 以前は高校の先生でもあられ、娘達は高校でもお世話になりました。
 病気になられてからも明るく冗談をとばされ、私たちを逆に笑わせてくださっていました。
 K寺前住職さまの本葬前に、組内、立て続けのご往生。
 また、長年お世話になってきたご住職と今生のお別れです。
南無阿弥陀仏
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涅槃

2022年07月25日 | 仏教


 写真は孫が学校から持ち帰ったアサガオ。
 あるがまま、きょうのいのちを美しく咲いています。
 さて、先日、境内清掃の折、ご門徒さんに配布した「御堂さん」7月号に
親鸞聖人の『唯信鈔文意』のお言葉がありました。
 「涅槃をば滅度といふ、無為といふ、安楽といふ、常楽といふ、実相といふ、法身といふ、法性といふ、真如といふ、一如といふ(中略)、法身はいろもなし、かたちもましまさず。しかれば、こころもおよばれず、ことばもたえたり。」
 天岸先生が
「物の真のあり方はいかなる「いろ」「かたち」を用いても表現しきれず、当然、人間の思考や言語で表現し尽くすことは不可能という意味なのです」
と解説してくださっています。
 私の思考は所詮、私色(自分中心の見方、受け止め方)でしかありません。
 仏さまの涅槃・滅度の世界観
に相対してこそ、「私が、私が」と生きている、我が身の「我」の危うさ、愚かさに気づかせていただける。
 涅槃にずっと、ずっーと、ほど遠い私ですが、
涅槃の境地(仏の境地)というものがあることだけでも知る のは 
自己の濁りを自覚させらること。
気づかされてこそ、いささかなりとも、生き方が転じられるのであろうと、味あわせていただいております。

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