浄土真宗本願寺派 仏教婦人会総連盟 季刊誌「めぐみ」2012春号に
釋徹宗師が法話「おまかせする道」を寄稿されています。
その中に、「お世話されることが苦手な現代人」と題して
江戸時代の臨済宗禅僧・白隠禅師の言葉
病床についたときには 我が身を他者にまかせる覚悟をもて
を紹介され、
現代人は、他者のお世話になることが苦手になっています。(中略)「お世話上手な人」が少なくなっており、「お世話され上手な人」は、めったにいないという状況なのです。「家族にも人さまにも迷惑をかけたくない」という姿勢はよくわかりますが、迷惑をかけずに存在することはできないという事実を引き受ける時も必要ではないかと思います。
と、書かれています。
自分では計画も想定もできない生老病死
生まれた時だって、周囲のお世話をいただいた身なのですから、老病死の時も、素直にお世話になりたいと、あらためて思ったのでした。
釋徹宗師が法話「おまかせする道」を寄稿されています。
その中に、「お世話されることが苦手な現代人」と題して
江戸時代の臨済宗禅僧・白隠禅師の言葉
病床についたときには 我が身を他者にまかせる覚悟をもて
を紹介され、
現代人は、他者のお世話になることが苦手になっています。(中略)「お世話上手な人」が少なくなっており、「お世話され上手な人」は、めったにいないという状況なのです。「家族にも人さまにも迷惑をかけたくない」という姿勢はよくわかりますが、迷惑をかけずに存在することはできないという事実を引き受ける時も必要ではないかと思います。
と、書かれています。
自分では計画も想定もできない生老病死
生まれた時だって、周囲のお世話をいただいた身なのですから、老病死の時も、素直にお世話になりたいと、あらためて思ったのでした。
まさに、連帯こそ必要である状況の中、時と共に繋がりが希薄化していることを、切実に感じますね。
近世以降 指向し続けて来た「個・我」の輪郭を強める潮流は 何時まで続くのでしょうか。
さびしいことです。
そうですね。
本当に「個」立ですね。
仰るとおり、さびしいことです。