昨日、内科で処方された薬が効いたのか、ちょうど、自然治癒で熱が下がるところだったのか、いや、一番の縁は、「風邪で寝ている場合じゃない」訃報ショックだったように思いますが、昨夕から、シャキッ
風邪でグータラしていた間に、伸びて、伸びて・・・フェンスにからまっていたツタ類(またしても、無知のため植物の名前がわかりません)
きょうは、まず、このツタの除去。(せっかく、太陽の光を浴びて、のびのび伸びていたのに、人間の都合で切り落としてゴメンナサイ)
さて、きょうは、親鸞聖人のお誕生日です。
山崎龍明先生の「親鸞聖人『和讃』入門」P209に、こう書かれています。
釈尊の教えとは、本来、誰にでも開かれ、すべてのものを認め、敬い合うものであったのです。ひとがそれぞれの思想・信条・信仰を持つことは、ひとそれぞれの縁によって生じるものなのです。
そこに固執してしまうと、他が見えなくなります。そこから憎しみと争い、差別が生じてきます。ものごとは、「つくべき縁あればともない、離るべき縁あれば離るる」(「歎異抄」第六章)だけのことなのです。「縁」はよろこぶべきものであって、決して固執するものではないと思います。
私が正しい・・・と硬くなりがちな 私の こころ も、のびのび ありたい と、しみじみ思います。
風邪でグータラしていた間に、伸びて、伸びて・・・フェンスにからまっていたツタ類(またしても、無知のため植物の名前がわかりません)
きょうは、まず、このツタの除去。(せっかく、太陽の光を浴びて、のびのび伸びていたのに、人間の都合で切り落としてゴメンナサイ)
さて、きょうは、親鸞聖人のお誕生日です。
山崎龍明先生の「親鸞聖人『和讃』入門」P209に、こう書かれています。
釈尊の教えとは、本来、誰にでも開かれ、すべてのものを認め、敬い合うものであったのです。ひとがそれぞれの思想・信条・信仰を持つことは、ひとそれぞれの縁によって生じるものなのです。
そこに固執してしまうと、他が見えなくなります。そこから憎しみと争い、差別が生じてきます。ものごとは、「つくべき縁あればともない、離るべき縁あれば離るる」(「歎異抄」第六章)だけのことなのです。「縁」はよろこぶべきものであって、決して固執するものではないと思います。
私が正しい・・・と硬くなりがちな 私の こころ も、のびのび ありたい と、しみじみ思います。
さすがにお詳しい!
そうなんですね。ありがとうございます!