お寺のオバサンのひとりごと

心のマッサージにお寺へ行こう!

京都 円山公園

2016年04月11日 | 雑感
先日、M組S寺様の巡番報恩講にて、ご講師のお話で、

京都の八坂神社及び境内は、大昔から、現状のまま今に至っているのではなく、現在の八坂神社は、明治からのこと。
明治の廃仏毀釈以前、あそこはお寺だった。廃仏毀釈までは、慈円山安養寺があった。

山号の慈円山の「慈円」は、青蓮院で、親鸞聖人(9歳)に得度(とくど:僧侶になる)を執り行われた、有名な天台宗の高僧ですが

その慈円山の「慈」を取り除き、「円山」・円山公園としたのだそうです。

現在も慈円山安養寺はありますが、元々は大きなお寺だったのですね。
何事も無知な私、知らなかった。

 「 円山公園のしだれ桜を見る時は、ただ、『わあ、きれいね~ 』だけではなく、
 
 親鸞聖人の句、

明日ありと思う心の仇桜
夜半に嵐の吹かぬものかは


を思い出してご覧下さい

との仰せでした。
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花まつり

2016年04月09日 | 行事・案内


クリスマスケーキならぬ、花まつりケーキ。
お釈迦さま、お誕生日おめでとうございます❗
私たちのためにこの世にお出ましくださいまして、ありがとうございます❗

仏教徒の我が家はクリスマスをしないので、
孫に花まつりプレゼントをしました。
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あてにならない

2016年04月07日 | 仏教


先日、お参りさせていただいた巡番報恩講で聞かせていただいたことです。
現代、直葬だの0葬だので、故人は、亡くなりがいがない。
死んでおしまいになってしまい、故人を「仏さま」として敬い、後の者が、仏法に遇うご縁となりえてない。
また、
自分の心ほどあてにならないものはない。
(でも、それに気づかす、自分は理性あり、常識あり、自分の価値判断は正しいと生きている。)

目を開けて眠っている人を起こすのは難しい。

私の分別ほどイイカゲンなモノサシはない。

と。

頷き、聞かせていただきました。


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花まつり

2016年04月04日 | 行事・案内


4月8日は「法」(仏の教え)を説いてくださった お釈迦のお誕生・「花まつり」です。

メリークリスマスならぬメリーシャカ です。

クリスマスに比べて、世間で全く盛り上がらない「花まつり」ですが、
何とか盛り上げようと努力くださっていて、タモリさんのTV番組に電話出演されたこともある佐賀県白石のS寺様。
そのS寺様がメーカに頼んで作られている「はなまつりサイダー

 数年前の法専寺の巡番報恩講では、子ども達にだけ配布しましたが
今年は、法専寺の降誕会(4月29日)にお参りのご門徒の皆様にプレゼントすべく、購入いたしました

 お持ち帰りいただいて、お子さん、お孫さんに
4月8日は、おしゃかさまのお誕生日なんだよ~
と、お伝えいただきたいと思います。
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100分de名著

2016年04月03日 | 本紹介


4月号買いました

 「歎異抄」(たんにしょう:親鸞聖人の弟子が書かれた本で、親鸞聖人の言葉、教えが書かれている名文)を
釈徹宗先生が解説くださっています。 

 テキスト最後の広告には、本願寺出版社の本や中央仏教学院通信教育部の宣伝なども掲載されています。

 Eテレ 放送は、月曜日午後10:25~10:50
    再放送は、水曜日午前5:30~5:55、午後00:00~00:25
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自覚症状

2016年04月01日 | 仏教
  

道中、車窓から満開の桜を楽しみつつ、市内J寺様の巡番報恩講に参詣。
J寺さまの美しいお荘厳。写真 ↑

前々回、法専寺巡番報恩講のご講師をつとめていただいたF師のご法話。
いつもながら、ビシッと背筋が伸びる、味わい深いご法話をいただきました。

 (自分のことが)「わかってないということが、わかっている」ことの大切さを聞かせていただきました。
 
 自分の外見さえ、鏡を見ないとわからないのと同様に、自分の有り様は、仏さまの(自分を超えた)鏡に向き合わないと、気づけない

 煩悩に明け暮れている私自身をわかっているか・・・

 煩悩に明け暮れている私自身の自覚もなく、私の(間違いないと信じる)理性や常識でいくら考えても、仏(覚り・真理)に出あえない・・・

 「私」は、ほどほどの人間と、うぬぼれているが、とんでもないことで、縁にふれては地球のマグマのように、いつ噴火し、何をしでかすかわからない。
そんな「凡夫」の自覚症状・・・

 わかっとらんことが、わかっとる ことの 自覚。

 きょう、聞かせていただいたことの一部です。 

  
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