PRIDE存続の危機については前回も書いたが、
この総合格闘技ほど、武術者として刺激をうけた競技もない。
自分は16才から当時「地上最強の格闘技」と謳われた
「極真空手」の世界に身を投じ、自らの強さを追求してきた。
痛く苦しい練習に耐え、黒帯を許され大会でも活躍し、
アメリカの巨漢とも拳を交えるなど、その強さも確信した。
その格闘技を知るまでは。
その競技こそ総合格闘技「PRIDE」だった。
極限まで制限をなくしたなんでもありのルールは、一武芸の枠を大きく越え、
戦いの原点を白日のもとに晒していく。
そしてその光景を自分は見てしまった。
極真の重量級チャンプが総合格闘家ヴァンダレイ・シウバに秒殺されたのある。
しかも寝技ではなく、殴り合いで劣勢となり完膚なきまでに倒された。
極真=最強という、信仰が崩れ去った瞬間だった。
また、日本最強のキックボクサーが柔道出身の選手に
成すすべもなく敗れ去った。
空手家は大会を重視しすぎ、そのルール内だけで強さを磨いていただけだったのか?
掴んではダメ、投げてはダメ、絞めてはダメという打撃のみルールが
確立し整備されるほどに、空手は格闘技としての総合力を低下させていき
本来持っていたはずの荒々しさも失われていった。
空手は昔、武器を取り上げられた沖縄の人が
自らの身を守るためにつくり上げられた武術で、
生き残る為の究極の護身術だったはず。
本来持っていた、生への執着、死の恐怖からでてくる
荒々しさを忘れ「武道精神」という耳障りのいい言葉に逃げ、
お行儀のいい武術に成り下がってしまったか?
「PRIDE」は自分の武術者として忘れていた‘原点’を強く刺激した。
「今必要なのは空手に総合力を甦らす事」と考えてた自分は
いろんな格闘技を学ぶ為、東京の各格闘技道場へ出稽古の旅にでた。
一時は週に1日のペースで東京へ出かけた。
帰りの夜行バスの中で「今さら何を拘っているのか」と
ふと考える時もあったが、心の奥底に燻っている武道に賭けた
青春の残り火が、自分を突き動かした。
「PRIDE」は武道家としての自分をもう一度見つめなおす機会を
与えてくれた恩人でもあるのだ。
このまま、消滅してほしくはない。
いつまでも「最強」に拘る男達の受け皿として存在していてほしい。
そして戦いに生きる男達に夢を与えるリングであってほしいと願うのである。
この総合格闘技ほど、武術者として刺激をうけた競技もない。
自分は16才から当時「地上最強の格闘技」と謳われた
「極真空手」の世界に身を投じ、自らの強さを追求してきた。
痛く苦しい練習に耐え、黒帯を許され大会でも活躍し、
アメリカの巨漢とも拳を交えるなど、その強さも確信した。
その格闘技を知るまでは。
その競技こそ総合格闘技「PRIDE」だった。
極限まで制限をなくしたなんでもありのルールは、一武芸の枠を大きく越え、
戦いの原点を白日のもとに晒していく。
そしてその光景を自分は見てしまった。
極真の重量級チャンプが総合格闘家ヴァンダレイ・シウバに秒殺されたのある。
しかも寝技ではなく、殴り合いで劣勢となり完膚なきまでに倒された。
極真=最強という、信仰が崩れ去った瞬間だった。
また、日本最強のキックボクサーが柔道出身の選手に
成すすべもなく敗れ去った。
空手家は大会を重視しすぎ、そのルール内だけで強さを磨いていただけだったのか?
掴んではダメ、投げてはダメ、絞めてはダメという打撃のみルールが
確立し整備されるほどに、空手は格闘技としての総合力を低下させていき
本来持っていたはずの荒々しさも失われていった。
空手は昔、武器を取り上げられた沖縄の人が
自らの身を守るためにつくり上げられた武術で、
生き残る為の究極の護身術だったはず。
本来持っていた、生への執着、死の恐怖からでてくる
荒々しさを忘れ「武道精神」という耳障りのいい言葉に逃げ、
お行儀のいい武術に成り下がってしまったか?
「PRIDE」は自分の武術者として忘れていた‘原点’を強く刺激した。
「今必要なのは空手に総合力を甦らす事」と考えてた自分は
いろんな格闘技を学ぶ為、東京の各格闘技道場へ出稽古の旅にでた。
一時は週に1日のペースで東京へ出かけた。
帰りの夜行バスの中で「今さら何を拘っているのか」と
ふと考える時もあったが、心の奥底に燻っている武道に賭けた
青春の残り火が、自分を突き動かした。
「PRIDE」は武道家としての自分をもう一度見つめなおす機会を
与えてくれた恩人でもあるのだ。
このまま、消滅してほしくはない。
いつまでも「最強」に拘る男達の受け皿として存在していてほしい。
そして戦いに生きる男達に夢を与えるリングであってほしいと願うのである。