修学旅行・・・もう遠い記憶になるが、忘れることのない楽しい思い出が詰ってる。
たぶん、このブログをお読み頂いている皆様にとっても楽しい記憶として
残っていることだろう。
5月中旬から6月初旬の保津川はその修学旅行生でいっぱいだ。
この時期は中学生の旅行シーズンで、毎日、元気な声が渓谷にこだましている。
だが、どうも楽しい記憶ばかりでもない人もいるのかも?と
認識させられる現場を目撃してしまったのだ。
それは男子ばかり22名が乗り込んだ自分の船の中で起った。
船後部座席2列に3名づつ座り込んだ男子中学生たち。
まだ、あどけなさが残る彼らは特に悪ぶったところのない何処にでもいる子供達だ。
だが、最後部の舵を持ち、彼らの動向や言動を何気なく観察していた
私は、いつもとは何か微妙に違う雰囲気を感じ出した。
彼ら6人は「急流」で大きな声をあげ、皆仲良くはしゃいでいるのだと思っていたが…
そう!後部2列の前列真ん中に座っている子だけは、最初からはしゃいでなかったのだ!
船が揺れ、水しぶきを浴びてはしゃいでいるのは他の5名だけで、
その子はピクリとも姿勢を崩さず、じぃ~と前だけを見ているのだ。
しばらくすると、後ろの子がその動かない子の背中を指で突付きだした。
だが、その子は無視して姿勢を崩さない。
周りの5人は、髪の毛を引っ張ったり、脇の下を小突いたりと
その行動が段々エスカレートしてくる。
さすがにそのやられている子も怒った様で、髪の毛に絡みついた手を
強い力で払い除け、鋭い視線で行為者を睨んだ。
すると行為者は「ヘイ~怒ってる~イェーイ!」とおちょけ出し、
周りも一斉に「わはは~」とバカにした様に笑い出した。
そうなのだ!その真ん中の子は明らかに周りの子らに‘いじめ’られているのだ。
よく見ると確かに周りの5人よりかなり真面目っぽい感じの子だ。
そういえば座席に座る時も、周りの子らに囲まれて席に座らされた様な気がする。
最初からいじめるつもりで、その子を真ん中に座らせ、周りを取り囲んだのだろう。
そのいじめ行為は、繰り返し繰り返し、およそ30分は続いていただろか。
明らかにその子は嫌がっているようだ。
私はこの船に乗っている先生らしき人物に目をやった。
その先生らしき人は、賑やかに馬鹿笑いする後部座席の方を振り返りはするが、
すぐに彼らが大人しくなるので、何も気付かず目線を前方に戻してしまう。
「この鈍感さでは、子供のSOSに気がつく訳はない。」と私は絶望した。
恐らくこの旅行中、ずっと彼らに付きまとわれているのだろう。
それが事実ならなんと辛く悲しい修学旅行なのだろう。
何とかその行為をやめさせる方法はないか?思案していた私に、その機会がきた!
彼らのしつこい嫌がらせに業を煮やしたその子は、とうとう、
固めた握り拳を振り上げ振り返り、後ろの子たちを睨んだ。
「今がチャンス!」と感じた私は、拳を振り上げているその子に向かって
「う~ん、今の裏拳凄くいい!凄く早かったな」と話し掛けた。
「君は空手をやるといい!その拳のスピードなら強くなれるよ」と言ってあげた。
それを聞いた周りの子らには一瞬沈黙が流れたが、「こいつが?無理無理…」と
またバカにした様に笑い出した。
「俺は船頭やけど、本職はケンカ空手の極真空手家や。実際、何人もの
チャンピオンも育ててる。その俺が見て、そう感じるのだから間違いない!」と
真顔で、静かに言い切った。
続けて「君の様に静かで大人しい人ほど、内に秘めた気持ちの強い人が多い。
怒りを押さえる忍耐力こそ成功者に必要な要素。挫けない心というのなら、
周りの君らよりよっぽどこの子の方が強いし、いいものを持っている」と話し
「帰ったら絶対空手を始めてみて!強くなるといいことがあるぞ!」と改めて薦めた。
するとそのいじめらていた子は、少しはにかんだ笑顔を私に見せて
「ウン」と小さく頷いてくれた。
それから嵐山までの約1時間、その子へのいじめ行為は一切なくなったのだ。
もちろん、いじめ行為に「力」で対抗しようと薦めた私のやり方には
賛否両論あるとは思うが、長年、空手道場であの年代の子らと接してきた
経験上、また、今も指導する立場で関わっている者として、本人が「力」を付けた
時の変化の大きさはいやというほど見てきたし、感じている。
それは「腕力」を付けるという道筋で、自分に自信をつけ
立ち向かう勇気と気力を養えると確信するからだ。
今の教育界はどうも「腕力」を「暴力」と混同して軽視する
傾向にあるようだ。「話せばわかる」と「言葉の力」を
あまりにも信用しすぎているのではないだろうか?
本当に「話せばわかる」のならば論理的頭脳を持つ優秀な先生方が
説かれる説教でこの国からいじめがなくなるはずだが、現実は
そうではなく、年々深刻の度合いを増しているのだ。
「いじめられた辛さに耐える力がある子」に「強さ」という自信を
つけてあげることで、立ち直った子供たちを多く知っている。
「ニート」など引きこもる若者が社会問題になる中、その子らは
堂々とこの社会で生き抜いている。
船を下りた後、その子へのいじめ行為がなくなったのか知るすべもないが、
一期一会、その子には力強く生きる道を選んでほしいと願わずにはいられない。
たぶん、このブログをお読み頂いている皆様にとっても楽しい記憶として
残っていることだろう。
5月中旬から6月初旬の保津川はその修学旅行生でいっぱいだ。
この時期は中学生の旅行シーズンで、毎日、元気な声が渓谷にこだましている。
だが、どうも楽しい記憶ばかりでもない人もいるのかも?と
認識させられる現場を目撃してしまったのだ。
それは男子ばかり22名が乗り込んだ自分の船の中で起った。
船後部座席2列に3名づつ座り込んだ男子中学生たち。
まだ、あどけなさが残る彼らは特に悪ぶったところのない何処にでもいる子供達だ。
だが、最後部の舵を持ち、彼らの動向や言動を何気なく観察していた
私は、いつもとは何か微妙に違う雰囲気を感じ出した。
彼ら6人は「急流」で大きな声をあげ、皆仲良くはしゃいでいるのだと思っていたが…
そう!後部2列の前列真ん中に座っている子だけは、最初からはしゃいでなかったのだ!
船が揺れ、水しぶきを浴びてはしゃいでいるのは他の5名だけで、
その子はピクリとも姿勢を崩さず、じぃ~と前だけを見ているのだ。
しばらくすると、後ろの子がその動かない子の背中を指で突付きだした。
だが、その子は無視して姿勢を崩さない。
周りの5人は、髪の毛を引っ張ったり、脇の下を小突いたりと
その行動が段々エスカレートしてくる。
さすがにそのやられている子も怒った様で、髪の毛に絡みついた手を
強い力で払い除け、鋭い視線で行為者を睨んだ。
すると行為者は「ヘイ~怒ってる~イェーイ!」とおちょけ出し、
周りも一斉に「わはは~」とバカにした様に笑い出した。
そうなのだ!その真ん中の子は明らかに周りの子らに‘いじめ’られているのだ。
よく見ると確かに周りの5人よりかなり真面目っぽい感じの子だ。
そういえば座席に座る時も、周りの子らに囲まれて席に座らされた様な気がする。
最初からいじめるつもりで、その子を真ん中に座らせ、周りを取り囲んだのだろう。
そのいじめ行為は、繰り返し繰り返し、およそ30分は続いていただろか。
明らかにその子は嫌がっているようだ。
私はこの船に乗っている先生らしき人物に目をやった。
その先生らしき人は、賑やかに馬鹿笑いする後部座席の方を振り返りはするが、
すぐに彼らが大人しくなるので、何も気付かず目線を前方に戻してしまう。
「この鈍感さでは、子供のSOSに気がつく訳はない。」と私は絶望した。
恐らくこの旅行中、ずっと彼らに付きまとわれているのだろう。
それが事実ならなんと辛く悲しい修学旅行なのだろう。
何とかその行為をやめさせる方法はないか?思案していた私に、その機会がきた!
彼らのしつこい嫌がらせに業を煮やしたその子は、とうとう、
固めた握り拳を振り上げ振り返り、後ろの子たちを睨んだ。
「今がチャンス!」と感じた私は、拳を振り上げているその子に向かって
「う~ん、今の裏拳凄くいい!凄く早かったな」と話し掛けた。
「君は空手をやるといい!その拳のスピードなら強くなれるよ」と言ってあげた。
それを聞いた周りの子らには一瞬沈黙が流れたが、「こいつが?無理無理…」と
またバカにした様に笑い出した。
「俺は船頭やけど、本職はケンカ空手の極真空手家や。実際、何人もの
チャンピオンも育ててる。その俺が見て、そう感じるのだから間違いない!」と
真顔で、静かに言い切った。
続けて「君の様に静かで大人しい人ほど、内に秘めた気持ちの強い人が多い。
怒りを押さえる忍耐力こそ成功者に必要な要素。挫けない心というのなら、
周りの君らよりよっぽどこの子の方が強いし、いいものを持っている」と話し
「帰ったら絶対空手を始めてみて!強くなるといいことがあるぞ!」と改めて薦めた。
するとそのいじめらていた子は、少しはにかんだ笑顔を私に見せて
「ウン」と小さく頷いてくれた。
それから嵐山までの約1時間、その子へのいじめ行為は一切なくなったのだ。
もちろん、いじめ行為に「力」で対抗しようと薦めた私のやり方には
賛否両論あるとは思うが、長年、空手道場であの年代の子らと接してきた
経験上、また、今も指導する立場で関わっている者として、本人が「力」を付けた
時の変化の大きさはいやというほど見てきたし、感じている。
それは「腕力」を付けるという道筋で、自分に自信をつけ
立ち向かう勇気と気力を養えると確信するからだ。
今の教育界はどうも「腕力」を「暴力」と混同して軽視する
傾向にあるようだ。「話せばわかる」と「言葉の力」を
あまりにも信用しすぎているのではないだろうか?
本当に「話せばわかる」のならば論理的頭脳を持つ優秀な先生方が
説かれる説教でこの国からいじめがなくなるはずだが、現実は
そうではなく、年々深刻の度合いを増しているのだ。
「いじめられた辛さに耐える力がある子」に「強さ」という自信を
つけてあげることで、立ち直った子供たちを多く知っている。
「ニート」など引きこもる若者が社会問題になる中、その子らは
堂々とこの社会で生き抜いている。
船を下りた後、その子へのいじめ行為がなくなったのか知るすべもないが、
一期一会、その子には力強く生きる道を選んでほしいと願わずにはいられない。