保津川下りの船頭さん

うわさの船頭「はっちん」が保津川下りの最新情報や、京都・亀岡の観光案内など、とっておきの情報をお届けします。

只今、保津川下りは「川止め」です。

2006-06-16 08:42:18 | 船頭
昨夜からの雨による河川増水のため、
今日の保津川下りは運航を中止しております。

本日保津川下りを予約頂いた方、また予定されていた方に
おかれましては、大変御迷惑をお掛けいたしますが、
何卒、御了承頂きます様、よろしくお願い致します。


今日の京都は昨日とうって変わり、涼しく心地いい風が吹く晴天です。
こんな天気に船を運航できないのは、本当に残念です。

この土日も是非、この天気が持ちますように・・・


保津川峡谷は「イワツツジ」が満開!

2006-06-15 12:47:20 | 船頭
保津川峡谷の6月時期の名物「イワツツジ」が今、満開だ。

昔から、洪水等で流れてきた「ツツジ」の種が、川沿いの岩の割れ目に
入り根づくといわれる珍しい保津川の「イワツツジ」は天然記念物にも
指定され、この時期に訪れる観光客の目を楽しませてくれている。

嵐山まで船が流れる峡谷16キロ間の岩肌所々に咲く「イワツツジ」は
川沿いという厳しい自然環境に耐えて自生するため、従来の品種より
背丈は低く葉は流線形、花ビラは小ぶりと自ら変化し、激しい川の
流れに耐えて生きている。

本来、植物が自生するには、岩場というところはあまりにも
条件が悪い。根を張るための用土も少なく、夏場は相当な
高温に晒され、なにより洪水という激流が容赦なく襲いかかる。

見た目は小さく朱色という可憐な花ビラをつけるこの保津川の
「イワツツジ」は厳しい自然条件に置かれても、逞しく生きる
毎年、美しい花を咲かせてくれる。

逆境に耐えてこそ咲く花の美しさよ。

これは、今後の厳しい時代を生きるものへの自然界からのメッセージに他ならない。

苦しみなくして‘華’のある人生なし。

毎日、この「イワツツジ」を見上げ、いつもそう感じている。

保津川下りのハローキティ船頭さん

2006-06-13 23:59:00 | 船頭
「ハローキティーブランド」を扱う「サンリオ」と保津川遊船の
共同開発で制作された「キティーちゃん船頭」のキャラクターグッズが
開削400年の今年、品目を増やし只今絶賛発売中です。

これは昨年末、先発商品として「ハンドタオル」を発売したところ、
売れ行き状況も順調なことから、新たな商品開発が進めらたもの。

新商品は携帯ストラップやキーホルダー・根付の小物類に、
ボールペンとシャープペンシルという筆記具を制作。


ハローキティーシリーズは京都観光地のショップでもよく見かけますが、
保津川下りシリーズが全て揃うのは、この保津川下り乗船場売店のみと思います。


保津川下りをされた記念に、また観光地キティーグッズ収集の楽しみに
是非、お買い求めください。


修学旅行で‘いじめ’を目撃!

2006-06-12 21:48:58 | 船頭の目・・・雑感・雑記
修学旅行・・・もう遠い記憶になるが、忘れることのない楽しい思い出が詰ってる。

たぶん、このブログをお読み頂いている皆様にとっても楽しい記憶として
残っていることだろう。

5月中旬から6月初旬の保津川はその修学旅行生でいっぱいだ。

この時期は中学生の旅行シーズンで、毎日、元気な声が渓谷にこだましている。

だが、どうも楽しい記憶ばかりでもない人もいるのかも?と
認識させられる現場を目撃してしまったのだ。

それは男子ばかり22名が乗り込んだ自分の船の中で起った。

船後部座席2列に3名づつ座り込んだ男子中学生たち。

まだ、あどけなさが残る彼らは特に悪ぶったところのない何処にでもいる子供達だ。

だが、最後部の舵を持ち、彼らの動向や言動を何気なく観察していた
私は、いつもとは何か微妙に違う雰囲気を感じ出した。

彼ら6人は「急流」で大きな声をあげ、皆仲良くはしゃいでいるのだと思っていたが…

そう!後部2列の前列真ん中に座っている子だけは、最初からはしゃいでなかったのだ!

船が揺れ、水しぶきを浴びてはしゃいでいるのは他の5名だけで、
その子はピクリとも姿勢を崩さず、じぃ~と前だけを見ているのだ。

しばらくすると、後ろの子がその動かない子の背中を指で突付きだした。
だが、その子は無視して姿勢を崩さない。

周りの5人は、髪の毛を引っ張ったり、脇の下を小突いたりと
その行動が段々エスカレートしてくる。

さすがにそのやられている子も怒った様で、髪の毛に絡みついた手を
強い力で払い除け、鋭い視線で行為者を睨んだ。

すると行為者は「ヘイ~怒ってる~イェーイ!」とおちょけ出し、
周りも一斉に「わはは~」とバカにした様に笑い出した。

そうなのだ!その真ん中の子は明らかに周りの子らに‘いじめ’られているのだ。

よく見ると確かに周りの5人よりかなり真面目っぽい感じの子だ。

そういえば座席に座る時も、周りの子らに囲まれて席に座らされた様な気がする。
最初からいじめるつもりで、その子を真ん中に座らせ、周りを取り囲んだのだろう。

そのいじめ行為は、繰り返し繰り返し、およそ30分は続いていただろか。

明らかにその子は嫌がっているようだ。

私はこの船に乗っている先生らしき人物に目をやった。
その先生らしき人は、賑やかに馬鹿笑いする後部座席の方を振り返りはするが、
すぐに彼らが大人しくなるので、何も気付かず目線を前方に戻してしまう。

「この鈍感さでは、子供のSOSに気がつく訳はない。」と私は絶望した。
恐らくこの旅行中、ずっと彼らに付きまとわれているのだろう。
それが事実ならなんと辛く悲しい修学旅行なのだろう。

何とかその行為をやめさせる方法はないか?思案していた私に、その機会がきた!

彼らのしつこい嫌がらせに業を煮やしたその子は、とうとう、
固めた握り拳を振り上げ振り返り、後ろの子たちを睨んだ。

「今がチャンス!」と感じた私は、拳を振り上げているその子に向かって
「う~ん、今の裏拳凄くいい!凄く早かったな」と話し掛けた。
「君は空手をやるといい!その拳のスピードなら強くなれるよ」と言ってあげた。

それを聞いた周りの子らには一瞬沈黙が流れたが、「こいつが?無理無理…」と
またバカにした様に笑い出した。

「俺は船頭やけど、本職はケンカ空手の極真空手家や。実際、何人もの
チャンピオンも育ててる。その俺が見て、そう感じるのだから間違いない!」と
真顔で、静かに言い切った。
続けて「君の様に静かで大人しい人ほど、内に秘めた気持ちの強い人が多い。
怒りを押さえる忍耐力こそ成功者に必要な要素。挫けない心というのなら、
周りの君らよりよっぽどこの子の方が強いし、いいものを持っている」と話し
「帰ったら絶対空手を始めてみて!強くなるといいことがあるぞ!」と改めて薦めた。

するとそのいじめらていた子は、少しはにかんだ笑顔を私に見せて
「ウン」と小さく頷いてくれた。

それから嵐山までの約1時間、その子へのいじめ行為は一切なくなったのだ。

もちろん、いじめ行為に「力」で対抗しようと薦めた私のやり方には
賛否両論あるとは思うが、長年、空手道場であの年代の子らと接してきた
経験上、また、今も指導する立場で関わっている者として、本人が「力」を付けた
時の変化の大きさはいやというほど見てきたし、感じている。

それは「腕力」を付けるという道筋で、自分に自信をつけ
立ち向かう勇気と気力を養えると確信するからだ。

今の教育界はどうも「腕力」を「暴力」と混同して軽視する
傾向にあるようだ。「話せばわかる」と「言葉の力」を
あまりにも信用しすぎているのではないだろうか?
本当に「話せばわかる」のならば論理的頭脳を持つ優秀な先生方が
説かれる説教でこの国からいじめがなくなるはずだが、現実は
そうではなく、年々深刻の度合いを増しているのだ。

「いじめられた辛さに耐える力がある子」に「強さ」という自信を
つけてあげることで、立ち直った子供たちを多く知っている。

「ニート」など引きこもる若者が社会問題になる中、その子らは
堂々とこの社会で生き抜いている。

船を下りた後、その子へのいじめ行為がなくなったのか知るすべもないが、
一期一会、その子には力強く生きる道を選んでほしいと願わずにはいられない。


天童よしみさんファミリーが嵯峨嵐山と保津川を紹介。

2006-06-11 23:25:42 | 船頭
先日のこと、朝、サンケイスポーツ(関西版)読んでいたらビックリ!

よく見におぼえのある人の顔が文化面に登場しているではありませんか。

その方、保津川下りの船頭で400年委員会のメンバーでもある石田達也さん。

その記事は、歌手の天童よしみさんが家族とともに嵯峨嵐山を
訪れた時の楽しかった思い出を語り紹介するというコーナでした。

忙しい日常の中、久しぶりに家族とのんびり過ごしたかけがえのないひと時。

天童ファミリーが選んだコースは、今や嵐山観光の定番スポットとなった
トロッコ列車と保津川下り、それに嵯峨野の名所古刹を廻る人力車。

新緑が美しい嵯峨・嵐山・丹波亀岡の三地域を
‘川’(保津川)‘空’(トロッコ列車)‘陸’(人力車)という
三つの角度から攻め、その自然と歴史を立体的に味わうというスペシャルな旅。

さすが天童ファミリー。まさに嵯峨嵐山観光の全てを網羅した旅コースです。

その中でも保津川下りの印象は特に強かったみたい。

操船を担当したイケメン船頭石田さんのことを「男前でしょう~」絶賛。

京都の観光スポットでイケメンが揃うので有名なのはやはり「人力車」
ホスト系の子が揃っているので女性にも大人気です。

それが今回はその「人力車」の車夫を抜いて保津川の船頭が
紹介されたことはまさに画期的なこと!

保津川の船頭も実はイケメン揃いということに、やっと気が付いて頂いたようです。

美しい渓谷の自然の中を滑ってゆく爽快感、イケメン船頭たちの巧みな棹さばきと
愉快なトーク、それら全てが保津川下りの魅力です。

天童よしみさんとそのご家族も、心癒された新緑美しい京都嵯峨嵐山・丹波亀岡の旅。

京都観光地の中でも嵯峨嵐山・保津峡は、古都の情緒漂う空間と
ダイナミックな自然を体感できる施設が共存する
唯一のスポットといっていいでしょう。

多忙な日常を暫し忘れ、自然と歴史のロマンの中にあなたも身をゆだねてみませんか?

きっと大切な何かが見つかるはずです。



戦いの原点、PRIDEからもらった刺激。

2006-06-09 17:51:58 | 空手・格闘技
PRIDE存続の危機については前回も書いたが、
この総合格闘技ほど、武術者として刺激をうけた競技もない。

自分は16才から当時「地上最強の格闘技」と謳われた
「極真空手」の世界に身を投じ、自らの強さを追求してきた。

痛く苦しい練習に耐え、黒帯を許され大会でも活躍し、
アメリカの巨漢とも拳を交えるなど、その強さも確信した。

その格闘技を知るまでは。

その競技こそ総合格闘技「PRIDE」だった。

極限まで制限をなくしたなんでもありのルールは、一武芸の枠を大きく越え、
戦いの原点を白日のもとに晒していく。

そしてその光景を自分は見てしまった。

極真の重量級チャンプが総合格闘家ヴァンダレイ・シウバに秒殺されたのある。

しかも寝技ではなく、殴り合いで劣勢となり完膚なきまでに倒された。

極真=最強という、信仰が崩れ去った瞬間だった。

また、日本最強のキックボクサーが柔道出身の選手に
成すすべもなく敗れ去った。

空手家は大会を重視しすぎ、そのルール内だけで強さを磨いていただけだったのか?

掴んではダメ、投げてはダメ、絞めてはダメという打撃のみルールが
確立し整備されるほどに、空手は格闘技としての総合力を低下させていき
本来持っていたはずの荒々しさも失われていった。

空手は昔、武器を取り上げられた沖縄の人が
自らの身を守るためにつくり上げられた武術で、
生き残る為の究極の護身術だったはず。

本来持っていた、生への執着、死の恐怖からでてくる
荒々しさを忘れ「武道精神」という耳障りのいい言葉に逃げ、
お行儀のいい武術に成り下がってしまったか?

「PRIDE」は自分の武術者として忘れていた‘原点’を強く刺激した。

「今必要なのは空手に総合力を甦らす事」と考えてた自分は
いろんな格闘技を学ぶ為、東京の各格闘技道場へ出稽古の旅にでた。

一時は週に1日のペースで東京へ出かけた。

帰りの夜行バスの中で「今さら何を拘っているのか」と
ふと考える時もあったが、心の奥底に燻っている武道に賭けた
青春の残り火が、自分を突き動かした。

「PRIDE」は武道家としての自分をもう一度見つめなおす機会を
与えてくれた恩人でもあるのだ。

このまま、消滅してほしくはない。

いつまでも「最強」に拘る男達の受け皿として存在していてほしい。

そして戦いに生きる男達に夢を与えるリングであってほしいと願うのである。



PRIDEがあぶない!

2006-06-09 00:30:57 | 空手・格闘技
今、若者の間で絶大な人気を誇る格闘技イベント「PRIDE」があぶない。

年末の「男祭り」と題したイベントでは国民的番組「紅白歌合戦」
を向こうにまわし20%近い視聴率をたたき出すなど
今や大晦日の恒例番組となった感がある。

そのPRIDEを放映しているフジテレビが番組の打ち切りと
イベントからの完全撤退を発表したからことで、存続の危機に直面して
いるという。

マスコミ報道によると、運営会社である「ドリームステージエンターテインメント(DSE)」による契約違反が判明したことで、同社との契約を解除する」と
フジテレビ側が、DSEに対し契約解除を通告したことを発表したらしい。
フジ側はその理由として「‘不適切な事象’が起き疑惑が強まった」とだけ
説明し具体的な内容には明らかにしていない。

いずれにしてもフジテレビの放映権料という大きなスポンサーを
なくしたことで、PRIDEはミルコや吉田秀彦ら大物選手の
高額なギャラやイベント開催の費用に窮することが予想され、
事実上、存続が厳しい状況となるとの見方が支配的で
一ファンとして本当に残念な思いだ。

不適切な事象とは恐らく一部週刊誌でキャンペーンを張っていた
「DSEと暴力団との関係」のことだと容易に想像できるが
今度の株主総会での混乱を恐れたフジ側が事前に対応したと
いうのが本当の所だとは思う。

確かにPRIDEに限らず格闘技界と闇社会の関係は
昔から切っても切れない間柄だ。

戦後、プロレスやボクシングなどプロスポーツや芸能界の興行は
闇社会の大きな実業となって成長し、彼らの力で今日の隆盛を
作り上げたという歴史がある。

事実今でもこのような勢力とは手が切れず、彼らに頼らないと、
イベントというものは成り立たたない。
素人が簡単に手を出せる業界でないことは、関係者なら誰でも周知のこと。

莫大な放映権料を支払うテレビ局が事前に調べてないはずはない。
たぶんそれは、触れてはならない業界の‘タブー’だったのであろう。

今までプロスポーツ界で日陰の身であった格闘技界に
華やかなスポットを当ててくれたPRIDE。

格闘技に青春を賭ける若者に夢と希望を与えてくれたし、
今の最強というロマンを求めて、多くの純粋な若者たちが
血と汗と涙を流しながら練習に励んでいる。

彼らには罪はない。

いつの日か格闘技界が健全に発展し、その様な若者達に
明るい未来を与えることができるのだろうか?

またしても、格闘技界の負の部分が露呈された今回のPRIDE事件。
格闘技をこよなく愛し、自らも愛好する者としてこんなに
残念で悲しい結末はない。

いのちの声を聴くまでは。

2006-06-06 06:40:48 | 船頭の目・・・雑感・雑記
前回の記事を投稿して以来ここ数日間、PCには座らなかった。

もう一度、自分とブログとの関わりを見直したかったからだ。

自分がブログというWebサイトと出会い、
この2年間で書き込んだ記事の数は671。

費やした時間とエネルギーは相当なものだったのと思うが、
その根底に流れていたものは、自己をアピールするという
実にそこの浅い虚栄心だったかもしれない。

誰にお願いされた訳でもないのに自分を曝け出し「仕事の広報マン」
まで務めたが、その内容は自己満足に満ちたもので、改めて読み返すと
自らの浅はかさに打ちのめされ自己嫌悪に陥った。

ブログに向かう間、自分の身にこべりついた虚栄の皮は
剥いでも、剥いでも次々と再生され姿を見せるのだ。

自らの精神的未熟さゆえのことであり、一切の言い訳は許されない。

だが、だからといってもうブログを書かないという
ことで誤魔化して済ませることに意味があるとも思えない。

たとえ底が虚栄に満たされていようとも、自らの
書こうとする欲求、表現する欲求は押さえがたく、
その表面を覆い尽すであろうからだ。

まだまだ未熟であることは自分が一番よくわかっている。

そんな自分のブログに、本物が書ける人たちは
大きくやさしい心で哀れみの眼差しを投げかけてくれるだろう。

自分には困難に遭遇した時、よく悩みを相談した人生の師といえる人がいた。

師は若き日、極限状態の途上国で難民キャンプの医療に携わり、
その人生の半分以上を、人の死とともにされた医師だ。

晩年、最先端医療を誇る日本有数の大病院の院長もなされたが、
人類愛の至情捨てがたく、宗教家として心の救済に生涯を捧げられた。

師が今、生きておられたら、どのように仰られるだろうか。

恐らく「未熟などと自らを慰め、高慢な虚栄に浸る暇があったら、
心の底から突き上げてくるものに自らを動かし、虚栄の
泥水のなかで、一生懸命のたうちまわること。
その中から悟れることが本当の‘いのちの声’だ」と叱咤されることだろう。

恥ずかしくてもいい。 裸の王様の姿を自らにみても構わない。

この虚栄の誘惑漂い渦巻く、ブログという世界で
のたうちまわり‘いのちを声’をこの心に聴くまで
自分は書き続け、立ち続けていこう、今はそう思うのである。

眠れない深夜・・・ブログと向かい合う・・・

2006-06-03 00:42:17 | 船頭の目・・・雑感・雑記
『この文章は眠れない深夜に書き込んだものである・・・』

自分がブログを始めて、そろそろ2年になる。

以前、文章で表現する仕事に携わっていた自分にとって、
自らが作者となり体験や日記等を記載して話題を提供できる
このブログというWebサイトは、転職以後、途絶えていた
「書く」という欲求を存分に満たしてくれるものだった。

そこに現在の仕事である「保津川下り」や「峡谷の自然」を紹介する
「情報発信サイト」という大義名分も加わり、この2年間、本当に
‘没頭’したという表現が大袈裟でないほど、このWebサイトは
自分の生活サイクル中で大きなウエイトを占める存在になった。

確かに「我こそは保津川下りの宣伝マン」という使命感はあった。

去年来「毎日更新」という‘こだわり’という名のノルマを
自らに課し、精一杯PR活動を展開してきた。

もちろんその点に置いては、日に4千件を越えるアクセス数を
確保するなど一定の成果があったものと自負するところであるが、
その反面、「公共性」の高いサイトとしての性格上、
自分の思考や意見が「保津川下り」というイメージを
形成する危険性もあり、書ける内容にも
ある一定の制限を設ける必要があったことも否めない。

これがブログ設立当初の動機であった‘本当に自分を表現する場’
になったかと聞かれれば「?」といわざるを得ない。

そしてなにより、今、自分というものが本当に表現できるのか
その自信すらない自分がいる。

ブログに関わる時間的な拘束、ただ更新だけが目的になった安易な文章、
ランキング数に捕われている低次元な虚栄心などに振り回され、
なくしてしまったものがあまりにも多いように感じられてならない。

鋭い感性、深い思考力があまりにも乏しくなったのは、
自らが書き込んでいる拙い雑文を読み返せば容易に察知できる。

およそ文章を公に公開するという事は、自らの頭の中の
思考力を公に晒す行為にも等しく、この2年間の投稿文を
読み返してみるとまさに赤面の至りでなのである。

学生の頃は試験前やゼミのプレゼン前には、毎日の様に徹夜で勉強出来た。
また、一日で2~3冊の専門書を読破しレポートも仕上げた。

記者時代の論説記事には、膨大な取材ノートや資料を整理し
800字~1000字内で起承転結をまとめ上げた。

もう、その頃の能力は自分にはない。

表現者としての舞台から降り、知性を磨くという努力を放棄した者が
味わう当然の報いなのだろうが、今はただ無性に寂しく感じるだけだ。

我が目の前に広がる、深夜の厚い帳は、どうやらまだ明けそうにないのである。

起業家の魂とは・・・3日「角倉了以」のシンポジウムを開催。

2006-06-01 20:50:48 | 角倉プロジェクト・世界遺産事業
今月の3日、保津川開削400年を記念して亀岡市にある
ガレリアかめおか2Fの大広間で「角倉了以とその時代」と
題したシンポジウムが開催されます。


角倉了以といえばいわずと知れた私達「保津川下り」の
生みの親であり、徳川幕府創生期を支えた当時の豪商です。

その了以が保津川を開削して400年を迎える今年、
了以が生きた時代の歴史的背景を探りながら、
その事業的意義を歴史学、経済学、建築計画学などの
多種な角度から検証しようというシンポジウムです。

コーディネーターは日本歴史学の権威上田正昭京都大学名誉教授。

保津川を開削する事で、丹波と京都を直結させ、舟運による
物資輸送を可能にするという、今では高速道路など国の基幹整備に
あたる事業を、自らの財と技術のみで成し遂げた一大事業家・角倉了以。

物流に革命を起こし日本経済史上に燦然と輝く、その偉大なる功績を
市民並びに全国の人々に発信することで「角倉了以」の名を
大きくアピールしてほしいと思います。

代々、医学を生業にする家から、実業家に転身し一代で
有数の豪商となった了以の‘起業家魂’とは・・・

とても、楽しみなシンポジウムです。

日時  6月3日(土曜日) 午後1時30分~午後4時(開場午後1時から)

会場  ガレリアかめおか(京都府亀岡市)2F 大広間

基調講演 「角倉了以を生み出した時代」  
  講師  川嶋将生氏・立命館大学教授

シンポジウム 
  パネリスト  川嶋将生氏・立命館大学教授
          川名 登氏・千葉経済大学名誉教授
          宗田好史氏・京都府立大学助教授
          黒川孝宏氏・亀岡文化資料館館長

コーディネーター 上田正昭氏・京都大学名誉教授

 *入場無料

*補聴器誘導磁気ループ・保育サービス(0歳~就学前・要予約)