保津川下りの船頭さん

うわさの船頭「はっちん」が保津川下りの最新情報や、京都・亀岡の観光案内など、とっておきの情報をお届けします。

京都大学東南アジア研究所の報告会に出席してきました。

2010-03-07 23:18:31 | 京都大学
6日(土曜日)、滋賀県守山市にある生涯学習会館エルセンターで開催された
京都大学東南アジア研究所・生存基盤科学研究ユニットの中間成果報告会
「ざいちのち」に出席してきました。

京都大学・東南アジア研究所生存基盤科学研究ユニットとは、
「在地と都市がつくる循環型社会再生のための実践型地域研究」(代表:安藤和雄准教授)を推進する為、
平成21年度からスタートしたもので、滋賀県守山、朽木、京都府亀岡の3地域にフィールドステーション(FS)を設置し、
研究者、地域住民、地方自治体、地元NPO等、地域に関わる様々な立場の人々が協働しながら、
日本の農山村や地方都市の望ましい将来像を共に描いていくことを目指し、活動を展開しています。

今回の報告会は、この2年間の活動成果を各地研究員から報告を受け、現状の把握や
問題点等を探り、同プロジェクトの意義と今後の展望などについて出席者で協議する
目的で開かれました。

午後1時30分から開会した同報告会では、亀岡フィールドスーテション研究員として
同研究所に在籍している河原林洋氏と原田早苗氏の2名が、NPOプロジェクト保津川で
推進している「保津川筏プロジェクト」に関連する各種研究成果について発表を行いました。

まず、原田早苗研究員から「近世の筏にみる『したたかさ』」という題で発表。
京都の木材需要が急激に伸びた江戸時代末期、それまで強い立場であった山主や筏問屋に対して、
保津川という急流を流せる‘技術’を盾に、当時の筏士たちが、自分達の利益の為に
どの様な形で「したたか」に振舞ったかを、歴史文献を元に検証された。
筏という一産業をめぐり、繰り広げられた業種間のパワーバランスのかけ引き。
そして‘技術’という強みを最大限に利用し、時には対立し、時には協力しながら
生き延びた‘筏士像’の浮き彫りは、いつの時代にも起こりうる同様の事態に
いかに対応するかのヒントを与えてくれる発表で、面白かったです。

引き続き、河原林洋研究員が「保津川の筏流しを通しての地域の知恵とそのつながり」と題して発表。
平成20年から始まった「保津川の筏流し研究」の概略からこれまでの経過報告の後、
この筏復活事業が、流域地域にもたらした影響と現象がについて発表し、研究の意義と
今後の将来的な展望が述べられました。

姿を消した「ひとつの伝統産業」を甦らせることで木材や鍛冶工品など関連していた
全ての産業が呼び覚まさ、また「川の筏」という‘動く産業’が‘まち’や‘人’等を
結ぶ、横断的な地域間交流の創出を生み出したダイナミズムに、歴史ある地域の
埋もれた底力を再認識させられる内容でした。

‘保津川’という川と筏という「失われた伝統産業」を中心にして
多くの人やまちの関心が集まり、新しい形の地域間協力にによる
農山村や地方都市の再生モデルが生み出される予感を感じた報告会でした。

原田早苗さん、河原林洋さん、お疲れ様でした。

Voice on Touchのライブで、15年目のspecial・day。

2010-03-06 22:44:48 | 船頭の目・・・雑感・雑記
昨日は私達・夫婦にとってspecial・day。

我がワイフとは、早いもので、もう15年のお付き合いをさせて頂いております。

ということで、昨夜は二人して、京都市中京区にあるライブハウス「ネガポジ」で
行われた「Voice on Touch 」というバンドのナイトライブに行って参りました。

今夜だけは子供たちにも遠慮してもらって、二人だけのお出かけです。

「Voice on Touch」さんとは、ワイフが歌っているゴスペルグループのバンドメンバーさんのつながりで、お知り合いになりました。
また、偶然にも、リーダーでピアノ担当のサトティーさんと私の弟が、中・高、通じて
同級生だったということが、後に判明し、今ではマイミクの仲に。


「Voice on Touch」さんは、ボーカルのChubby(みーさん)とパーカッションのhase-yan、
トランペットのseisky、そしてピアノのSatoTの4人グループ。
ギターなど電子音を入れず、ブラックなナンバーをアコースティクに演奏するグループです。

昨夜はspecial guestとして女性ボーカルリスト・ユキナさんとのジョイトもあり、
しっとりした‘大人のムード’漂う、すてきなライブでした。


ライブ終了後は、メンバーさんたちが私達のテーブルに集結し、私達のspecial・dayを
お祝いして下さいました。
お酒と美味しい料理、そして楽しいお話に花が咲き、気がつけば、閉店前まで、
ワイワイと盛り上がっていたのでした。

音楽はいろんな垣根を越えて、共感と感動を共有でき、人と人の縁をつないでいけるのですね。

あらためて、音楽は素晴らしと感じます。

私達の15年目のspecial・dayは、音楽と人の温かさに包まれ、
生涯忘れることのできない、素晴らしい日になりました。

シリーズ‘水’が教えてくれること。掃除での一番の功労者は?

2010-03-04 13:19:27 | 船頭の目・・・雑感・雑記
春が近づき、季節の変わり目を感じだす今日この頃。
我が家では、冬から春へと模様替えを兼ねたお部屋の大掃除を行いました。

大掃除に欠かせないもの、それは水です。

掃除機や近代的な掃除グッズも役に立ちますが、やはり、たんすや床、窓ガラスについた
ホコリやごみは、水による雑巾がけが一番有効です。

掃除は子供たちも手伝ってくれます。

さあ、掃除のスタートです。
きれいな水をバケツ一杯に汲み、乾いた雑巾に浸したあと、一箇所、一箇所、丹念に拭き掃除を行います。

ふき取ったほこりで汚れた雑巾はバケツの水で絞り取ります。
普段は、散らかしていても気にならない性質ですが、一旦、やりだすと熱中してしまう性格の私。
隅々まできれいにしないと気がすみません。
すぐにバケツの水はにごり、どろどろな水へと変化していきます。
その分、部屋は本当にきれいになりました。

子供たちも頑張ってくれました。
掃除が終了して、「みんな、よくがんばったな。お疲れさま。おかげできれいになった。」
と労い、ほめることも忘れません。

「この汚れたバケツの水、どうする?」子供が聞きました。
「庭へ流してきて」と私。
庭に流された水は、乾いた庭の土の中に浸み込み、草木を潤わせます。

さあ、ここで問題。この掃除の主人公は誰でしょう?
部屋の掃除を思いつき掛かった私でしょうか?それとも、一生懸命手伝ってくれた子供たちでしょうか?

もう、お気づきでしょう。そう、一番の主人公は水です!

たしかに、私も頑張ったし、子供たちをほめ、お礼を言うのも当たり前ですが、
部屋にたまったホコリをきれいに掃除した一番の功労者は水なのです。

水がこの世にないと、いくら掃き掃除や吸い込み掃除をしても、
表面にたまったほこりや汚れをきれいに掃除することはできないでしょう。

まして、最初、バケツに汲まれた水は、きれいな澄んだ水です。
その水の生命ともいえる「清らかさ」を投げ打って、部屋の汚れたホコリやごみを引き受けた水。
自らを汚し、どろどろになり、誰にもお礼を言われず、挙句、汚い水とまで言われて捨てられる。
それでも、恨み言ひとつ言わず、庭を潤わす役目をも引き受け、捨てた者が快適に暮らせるようにと働く。

なんという気高さ!なんという尊さでしょう!

水は大地とともに人の心も潤わせながら、多くの教訓をさずけてくれます。

食を育む大きな海、川、そして体内の水分の働き、なにひとつ欠けても、人は生きていくことができません。
なんと豊かな恵みでしょう!
この大いなる恵みに比べたら、私たちが日頃、豊かさを感じる車やテレビ、PC類などの
‘もの’なんて、生きる上では付録以外のなにものでもないことに気づきます。

水が教えてくれる様に、そろそろ、私たちもこの混沌とした物、金など至上主義の価値観を離れ、
人間が生存する為に、本当に必要なものに目を向けて、感謝する心を育むことが
これからの時代に大切だと気づかせてくれる出来事でした。

保津峡の冬の主役「マンリョウ」、最後の輝き。

2010-03-03 23:30:11 | 保津川下り案内
冬の保津峡を彩る花といえば「マンリョウ」

マンリョウの鮮やかな赤色の実は、花が散り、落葉樹の葉が落ちた枯山水の景色に、
色のアクセントを付け、冬の保津峡を訪れる人たちの目を楽しませてくれました。

春の足音が聞こえだすこの時期、最後の輝きを放っています。

マンリョウは「万両」とも書き、豊かでめでたい花として、
正月の生け花に用いられることで知られています。

よくセンリョウ(千両)マンリョウ(万両)と呼ばれ、見た目には区別するのが難しい花ですが、
植物学的にはマンリョウはヤブコウジ科で、センリョウはセンリョウ科に属するらしい。
マンリョウの実は葉の下に実をつけ、センリョウの実は葉の上に実をつけることで
見分けることができます。

保津峡に生育する実が葉の下につけていることから「マンリョウ」と私は呼んでいます。

いずれも夏に小さな花を咲かせるが、マンリョウは白い花をつけ、センリョウは緑黄色の花をつけます。


山の景色から彩りが姿を消す冬、マンリョウの実のまわりだけは、ぱっと、明るく光りが放たれている、まさに冬の主役です。

春の訪れを感じる昨今、マンリョウはサクラなど春の花に主役の座を譲り、ひっそりと姿を消していくのです。

水が教える‘潤い’の大切さとは。

2010-03-02 23:44:08 | 船頭の目・・・雑感・雑記
人間の体は60%が水分でできているといいます。

水分つまり潤いほど、人間が生きていく上で必要なものはありません。

体力の水分が消耗されると、耐え難い‘渇き’に襲われる経験は、誰でもお持ちだと思います。
その体を甦らせるのが‘水’です。
でも、これは身体的な話だけではありません。
人の心にも水の潤いが必要なのです。

人は、庭の花や草、木がしおれていたら、迷わず水を与えるでしょう。
この行為は、水が枯れかかった草木を甦らせる力を持つと信じているからです。

しかし、これが人間だったらどうでしょう?しかも他人。
人間関係をつくるのが下手で、傷つき倒れそうな人、引きこもり、前を向けず、うずくまっている人、
懸命に生きているのに報われない人など。

これらの人々の様に、運命に翻弄され、自分の力では立ちあがれない弱い人に出会った時、
あなたはどの様に接しますか?

草木に水をあげるように、それらの人々の心に水を差し出し、潤いを与えることができるでしょうか?

事実は決してそうでない場合が多いのです。

わざわざ、その人の短所を指摘して、とがめ、自己責任と突き放すことも少なくない。
ひどくなると「こんなことになったのも、全部、あなたが悪い」と、今にも倒れそうな
弱っている者に、自身の性格や行動について、みんなして糾弾することすらあるのです。

自分の論理での正当性と正義という名のもとに。

そして行き着く先は、生きる力さえ奪うところまでいき、「やっぱり、弱い人間だったな」
などと言い、納得して論理は完璧なものとなります。

しかし、この世に絶対に正しい人間などいるはずはありません。
いいところもあれば悪いところもあるのが人間。当たり前にみんな両面を持っているものです。お互い様なのです。
なのに、悪いところばかりを指摘し、改善せよ、と迫る、この滑稽さよ。

そんなことにすら、気がつない、鈍感な感性しか持ち合わせていない人ばかり
の寄り合い所帯がこの世なら、いくら美しい言葉を並べても、お互いに相手を貶めあい、
最後は破滅へと向かうでしょう。

枯れかかった草花も、水という潤いを与えてやることで、生きるエネルギーを
蘇生させることを自然は教えてくれています。
そして、違いは違いとして受け入れ、共生しながら生きているからこそ、
それぞれの特性と役割を果たし、永遠に続いていくのです。

人にも水という潤いが必要です。
そんな潤いのある水を与えられる、そんな人間に私はなりたい。

マザーテレサはいいます。
「貧しい人たちを能無しと非難する前に、自分の心の中を見つめる義務が私たち一人ひとりにあります」と。

与えてください。心が痛むほどに・・・


長雨に春を感じて・・・心、うきたつ季節、近し。

2010-03-01 23:58:48 | 船頭の目・・・雑感・雑記
春先の長雨・・・という言葉があるのか、どうかは知りませんが、
お空のご機嫌ななめで、4日連続の雨模様。

この雨の影響で保津川下りは、昨日から河川水位の増水により、
舟の運航を停止する「川止め」を余儀なくされています。

この時期の雨、実はよくあることで、恒例の「保津川下り春の開幕」行事が催される
3月10日を控え、行事が開催できるかヒヤヒヤする年も多いのです。

しかし、自然は人の都合、まして一個人の都合で左右されるものではありません。
毎日、自然の中で、自然に自らを合わし、共生して生きる暮らしを
15年以上続けてきた昨今、そのことを幾度となく教えられました。

この時期の雨にも、自然の意味ある‘はからい’があるはず。

愛宕山を始め、丹波の奥深い山間部を縫う様に流れる上流域を持つ保津川。

この時期に降る雨は、今年の冬、この丹波山地に降り積もった雪を解かし、
山を潤わせ、川を満たします。
雪が解けた大地からは、冬の間、地中という母胎の中ですくすくと育った、
新たな‘いのち’が外界に生み出されるように‘芽’を出します。

絶えることなく繰り返される、この偉大なる天然自然の営みに、大いなるものの
秩序ある働きを感じずにはいられません。

雨をうっとうしいものと捉えず、偉大なる自然の営み、いのちの真実にまで
思いを馳せれば、雨を見る眼差しもどこか、優しくなれる気がします。


今年も保津川、渓谷の山々といった‘いのちの舞台’で演じられる自然の饗宴。

さあ、いよいよ、その幕が上がり「心、うきたつ春」がはじまります。