加湿機をつけているのに部屋が乾燥しているせいか、断続的に目が覚め、結局は6時に起床。二日酔いもなく、体調はまずまず。7時過ぎまで待って、ホテルのロビーで朝食。今朝は、ご飯、味噌汁、卵焼き、鯖焼き、サラダ、肉団子、納豆、海苔、漬物を少しずつ食べた。やはりご飯を出してくれる朝食はうれしい。
ホテルは品川の隣駅のそばとあって、鉄の方にもお勧めだ。下の写真にも電車が3本写っていたりする。
朝食終了から、美術館の開館まで時間をつぶすのが大変。新聞を読みつつ、ダラダラする。9時半ころに六本木に向けて出発。まずは今回の第一目標、森アーツセンターギャラリー「ラファエル前派展」である。
早速、入場券を購入して美術館へ。今日はなぜか無料ロッカーが閉鎖されているという不親切な状態である。ロッカー数が足りないから、下手に貸さないということなのかなあ。
ハント「クローディオとイザベラ」:やんちゃな兄は、少女マンガの雰囲気である。
ミレイ「マリアナ」:藍色のビロード服は妙に豊満な女性の肉体を隠しており、アンビバレンツな感じ。
ミレイ「オフィーリア」:凍りついたように川に流れていく女性と、周りの植物の不思議な生命感。
ウォリス「シェイクスピアが生まれた部屋」:木の床と石壁のリアリズム。
コールデロン「破られた誓い」:物陰で逢引をする二人の様子を察し、目をつむる女性。美人さんだが、なんとなくお堅い感じなのか。
ミレイ「両親の家のキリスト(「大工の仕事場」)」:妙な実在感のあるキリスト一家。労働者の手が生々しい。
ロセッティ「見よ、我は主のはしためなり(受胎告知)」:マリアが受胎告知におびえる姿。まるでマリアの様子はムンクの作品に登場する、病気の女性のようだ。当時、既に救世主伝説はあったのだろうか。あったのであれば「まさか私の子が」と思い惑うのだろう。
ブラウン「ペテロの足を洗うキリスト」:その様子を覗き込んでいる、十二使途の表情が生々しい。
セドン「謀略の丘から望むエルサレムとヨシャファトの谷」:宗教的神々しさよりも、土地のリアルな姿が表現されている。当然、宗教の始まりは、土地に根ざしたものだったのであろう。
ブレット「ローゼンラウイ氷河」:手前の白い石、塔のように立つ岩壁、そして圧倒的に白く大きい氷河。イエスのアルバム「リレイヤー」のジャケットを思い出す。
ディヴィス「ある日の猟果、ビドストン・ヒル」:一般市民らしい女性たちが貝を拾っている。食べるためと言うよりは、貝殻コレクションをしているらしい。このように人々に科学(博物学の一端)が浸透していることを表すかのように、空にはドナーティ彗星が浮かんでいる。
ブラウン「あなたの息子をお抱きになってくださいな」:ちょっと目が離れ、前歯だけがやけにはっきり見える怖い女性。子供を抱いて迫ってくると言う、男性にとってはうなされそうな図。翌年この子が死んで、作者は絵の作成を放棄したらしい。ああ!
ハント「良心の目覚め」:とにかく家具や壁紙の模様、服の模様などで白いところがなく、ビッシリ。過剰性を感じる。
スティーヴンズ「母と子」:画を描くのに時間がかかりすぎ、最終的に評論家になったと言う作者。確かに小道具が多すぎる感じ。
マーティノウ「我が家で過ごす最後の日」:破産してしまった家族、主はやけっぱちで乾杯だ!
ミレイ「安息の谷間「疲れし者の安らぎの場」」:夕暮れに墓を掘る尼僧とそれを見る尼僧。死との境界の世界を表現している。
ロセッティ「ベアタ・ベアトリクス」:人物の周りにほのかな金色が光る。女性は目を閉じ、芥子の花を加えた鳥が飛び、すべてが死のイメージだ。
ロセッティ「最愛の人(花嫁)」:中央の女性は緑色の日本の着物を着ている。また手前には黒人少女がいるなど、異国風。
ロセッティ「プロセルピナ」:ロセッティの描く女性って、どこか男顔で苦手なんだよな。とはいえ、これはモデルのことを好きじゃなきゃかけない作品だ。
バーン=ジョーンズ「愛の神殿」:これは青木繁が影響受けまくりだろう。
バーン=ジョーンズ「「愛」に導かれる巡礼」:茨に表現される苦難を乗り越えて進む巡礼を描いた、大作。
展覧会自体の感想としては、見ている人に年配の女性が多い。そして分かりにくい画が多いせいか、解説文が長く、それを全部読もうとして実に進みが悪いのだ。途中からはある程度流れが良くなったが、結構疲れた。また、画題にあわせ額がかなりゴージャスだったのも、特徴であろう。
ホテルは品川の隣駅のそばとあって、鉄の方にもお勧めだ。下の写真にも電車が3本写っていたりする。
朝食終了から、美術館の開館まで時間をつぶすのが大変。新聞を読みつつ、ダラダラする。9時半ころに六本木に向けて出発。まずは今回の第一目標、森アーツセンターギャラリー「ラファエル前派展」である。
早速、入場券を購入して美術館へ。今日はなぜか無料ロッカーが閉鎖されているという不親切な状態である。ロッカー数が足りないから、下手に貸さないということなのかなあ。
ハント「クローディオとイザベラ」:やんちゃな兄は、少女マンガの雰囲気である。
ミレイ「マリアナ」:藍色のビロード服は妙に豊満な女性の肉体を隠しており、アンビバレンツな感じ。
ミレイ「オフィーリア」:凍りついたように川に流れていく女性と、周りの植物の不思議な生命感。
ウォリス「シェイクスピアが生まれた部屋」:木の床と石壁のリアリズム。
コールデロン「破られた誓い」:物陰で逢引をする二人の様子を察し、目をつむる女性。美人さんだが、なんとなくお堅い感じなのか。
ミレイ「両親の家のキリスト(「大工の仕事場」)」:妙な実在感のあるキリスト一家。労働者の手が生々しい。
ロセッティ「見よ、我は主のはしためなり(受胎告知)」:マリアが受胎告知におびえる姿。まるでマリアの様子はムンクの作品に登場する、病気の女性のようだ。当時、既に救世主伝説はあったのだろうか。あったのであれば「まさか私の子が」と思い惑うのだろう。
ブラウン「ペテロの足を洗うキリスト」:その様子を覗き込んでいる、十二使途の表情が生々しい。
セドン「謀略の丘から望むエルサレムとヨシャファトの谷」:宗教的神々しさよりも、土地のリアルな姿が表現されている。当然、宗教の始まりは、土地に根ざしたものだったのであろう。
ブレット「ローゼンラウイ氷河」:手前の白い石、塔のように立つ岩壁、そして圧倒的に白く大きい氷河。イエスのアルバム「リレイヤー」のジャケットを思い出す。
ディヴィス「ある日の猟果、ビドストン・ヒル」:一般市民らしい女性たちが貝を拾っている。食べるためと言うよりは、貝殻コレクションをしているらしい。このように人々に科学(博物学の一端)が浸透していることを表すかのように、空にはドナーティ彗星が浮かんでいる。
ブラウン「あなたの息子をお抱きになってくださいな」:ちょっと目が離れ、前歯だけがやけにはっきり見える怖い女性。子供を抱いて迫ってくると言う、男性にとってはうなされそうな図。翌年この子が死んで、作者は絵の作成を放棄したらしい。ああ!
ハント「良心の目覚め」:とにかく家具や壁紙の模様、服の模様などで白いところがなく、ビッシリ。過剰性を感じる。
スティーヴンズ「母と子」:画を描くのに時間がかかりすぎ、最終的に評論家になったと言う作者。確かに小道具が多すぎる感じ。
マーティノウ「我が家で過ごす最後の日」:破産してしまった家族、主はやけっぱちで乾杯だ!
ミレイ「安息の谷間「疲れし者の安らぎの場」」:夕暮れに墓を掘る尼僧とそれを見る尼僧。死との境界の世界を表現している。
ロセッティ「ベアタ・ベアトリクス」:人物の周りにほのかな金色が光る。女性は目を閉じ、芥子の花を加えた鳥が飛び、すべてが死のイメージだ。
ロセッティ「最愛の人(花嫁)」:中央の女性は緑色の日本の着物を着ている。また手前には黒人少女がいるなど、異国風。
ロセッティ「プロセルピナ」:ロセッティの描く女性って、どこか男顔で苦手なんだよな。とはいえ、これはモデルのことを好きじゃなきゃかけない作品だ。
バーン=ジョーンズ「愛の神殿」:これは青木繁が影響受けまくりだろう。
バーン=ジョーンズ「「愛」に導かれる巡礼」:茨に表現される苦難を乗り越えて進む巡礼を描いた、大作。
展覧会自体の感想としては、見ている人に年配の女性が多い。そして分かりにくい画が多いせいか、解説文が長く、それを全部読もうとして実に進みが悪いのだ。途中からはある程度流れが良くなったが、結構疲れた。また、画題にあわせ額がかなりゴージャスだったのも、特徴であろう。
私も六本木ヒルズ・森アーツセンターギャラリーでラフアエル前派展を見てきましたので楽しくブログを拝見しました。
保守的で停滞気味のロイヤル・アカデミーに反乱を起こし、新しい精神で芸術を創造しようとした「ラフアエル前派」の画家たちの気持ちには共感しましたが。印象派、フォービズム、キュビズムのような明確な理論や絵画手法を持った芸術運動でなかったラファエル前派は、この画家の感性や市資質の違いから大きな芸術潮流には育ちませんでしたが、ミレイ、ロセッティ、バーン・ジョーンズの魅力ある作品群から、画家の独特の自意識や美の感性を楽しむことができました。
今回の美術展で漠然としていた「ラフアエル前派」の全体像が見えてきたように思い、個々の画家の魅力も含めて「ラフアエル前派」について私なりにまとめてみました。読んでいただけますようでしたら、ご感想、ご意見などどんなことでも結構ですから、ブログにコメントなどをいただけると感謝します。
コメントありがとうございます。
私もラファエル前派が大好きなのですが、その美意識と完成度とともに、どこか遠い感じがするのです。
ぜひ貴ブログの記事を読ませていただきますね。