本日は近美→資料館は何もやっていない→三越は先週と同じ→らいらっくも先週と同じ→大丸の実質2か所。
■北海道立近代美術館「キスリング展」。今日は展示を見るというより、年間パスの更新が主目的であった。私は1月会員(入会月が1月で翌年1月末まで会員)なのだが、今年は展覧会中止に伴い更新をやめていた。今日、事務局の方に聞いてみると「今の会員番号(月が先頭についている)を生かすとなると、期限は来年1月までです。そうでなければ新規会員扱いで入会してください」とのこと。会員番号に「月」という意味を含めるからそういう面倒なことになるんだよな、と仕事のコード設計の事を思ったりしつつ、約半年たっているので新規扱いにしてもらう。ということで、無事に6月会員となった。
さて「キスリング展」の方だが、近美の門の表示を見た時には少し焦った。おいおい、列ができているのか?
→入場まで3分待ちだそうだ。
しかし中に入って見ると、手の消毒と体温測定(非接触センサー)、感染者が発生した時の連絡先を書かされるのに少し時間がかかったが、入場そのものは全く待たないのであった。後で2階からロビーを撮影してみたが、物々しい準備の割にはそれほど人がいないのである。
展示会場の中は作品1枚の前に人が1名いるかどうかで、前後の人とペースさえ合えば、実に快適に作品を見ることができる状況であった。
「ジロン氏の肖像」:背景にキュビスム的技法を使いつつ、人物は落ち着いた表現である。
「牡丹」:画題と朱の台座に乗った黒の花瓶がどことなく日本的。
「果物のある静物」:写実を追求していないキスリングの作品としては、珍しくサイズが大きく、明度も高く写実的。日本の個人蔵なんだとか。
「女の肖像」:キスリングの描く女性は黒目勝ちで虹彩の中にハイライト(白い点)が無いように思っていた。この作品はその典型なのだが、ハイライトが入っている作品もそこそこあるね。
「魚の静物」:近美所蔵作品で、この南国的な魚を描いた作品は昔から好きだ。
「赤い服の女」:青と灰色の背景、黒に近い緑色の椅子に赤い服の女性という色彩感がキスリングらしい。
「ベル=ガズー(コレット・ド・ジュヴネル)」:冒頭画像の作品がこれだ。今回展示した中では随一の大きさ(160cm×110cm)の作品。キスリングの女性像のサイズは大体決まっているのだが、この作品の女性は等身大に近いのでちょっと驚いた。
「花」:同名の作品がいくつかあるが、決まって背景の1/3~1/4が別の色やテクスチャで表現されていることに気が付いた。室内の壁や扉の表現なのだろうか。
「座る若い裸婦」:異国風の衣装を着た女性像が多い印象だったのだが、裸婦像が3点並んでいた。彫刻的・人形的で生々しさを感じない裸婦像である。
「赤い長椅子の裸婦」:横たわる西洋画伝統的ポーズである。裸体のボリュームがなかなか圧倒的。
「長椅子の裸婦」:こちらはスリムにしてモダンな感じの女性。
「立葵」:シンボリックでアイコンのような描き方である。
「モンパルナスのキキ」:フジタとはまた違う形の、しかしながら共通点も感じる女性像である。
「カーテンの前の花束」:これは明確にカーテンで背景が区切られている。カーテンをそんなに塗らなくてもと思うが、これがキスリングの色彩感なのだろう。
久々に古典的(といってもエコール・ド・パリ時代だが)な西洋絵画を堪能した。全体を通じてみると、どこかに感じる虚無感(人物の表情だろうか)、象徴性と南国を思わせる色彩感(フランス国内で描いていたみたいだが)が心に残った。
腹が減ってきたので、常設展はまた次回という事にして、美術館の前庭にでる。そうだ、前回散歩に来た時に撮影できなかった彫刻群を撮っておくか。
新宮晋「風の対話」。美術館をでて両サイドにあるのだが、これは右側の方。
↓
飯田善国「時間の風景」。
↓
山内壮夫「子を守る母たち」。本当だ、よく見ると大人(母)二人、子供一人で三人のように見える。母が複数形って誰なんだろう。母性全体を象徴しているということか。
↓
本郷新「嵐の中の母子像」:珍しく後ろからの写真を載せる。子供の足の感じが良く出ている。
↓
新宮晋「光のリズムII」。大同生命保険相互会社寄贈だそうだ。今はそんな余力のある会社は少なそう。
↓
伊藤隆道「回転螺旋・1月」。
↓
安田侃「無何有」。美術館の入口にあり、つい忘れがちな作品。名板の作品名に読み仮名が振ってあり、初めて「むかう」という作品名であることを知った。これまでは「むかゆう」だと思い込んでいた。
↓
流政之「雲の砦Jr.」。
↓
この後、西11丁目方面へと向かう。
■北海道立近代美術館「キスリング展」。今日は展示を見るというより、年間パスの更新が主目的であった。私は1月会員(入会月が1月で翌年1月末まで会員)なのだが、今年は展覧会中止に伴い更新をやめていた。今日、事務局の方に聞いてみると「今の会員番号(月が先頭についている)を生かすとなると、期限は来年1月までです。そうでなければ新規会員扱いで入会してください」とのこと。会員番号に「月」という意味を含めるからそういう面倒なことになるんだよな、と仕事のコード設計の事を思ったりしつつ、約半年たっているので新規扱いにしてもらう。ということで、無事に6月会員となった。
さて「キスリング展」の方だが、近美の門の表示を見た時には少し焦った。おいおい、列ができているのか?
→入場まで3分待ちだそうだ。
しかし中に入って見ると、手の消毒と体温測定(非接触センサー)、感染者が発生した時の連絡先を書かされるのに少し時間がかかったが、入場そのものは全く待たないのであった。後で2階からロビーを撮影してみたが、物々しい準備の割にはそれほど人がいないのである。
展示会場の中は作品1枚の前に人が1名いるかどうかで、前後の人とペースさえ合えば、実に快適に作品を見ることができる状況であった。
「ジロン氏の肖像」:背景にキュビスム的技法を使いつつ、人物は落ち着いた表現である。
「牡丹」:画題と朱の台座に乗った黒の花瓶がどことなく日本的。
「果物のある静物」:写実を追求していないキスリングの作品としては、珍しくサイズが大きく、明度も高く写実的。日本の個人蔵なんだとか。
「女の肖像」:キスリングの描く女性は黒目勝ちで虹彩の中にハイライト(白い点)が無いように思っていた。この作品はその典型なのだが、ハイライトが入っている作品もそこそこあるね。
「魚の静物」:近美所蔵作品で、この南国的な魚を描いた作品は昔から好きだ。
「赤い服の女」:青と灰色の背景、黒に近い緑色の椅子に赤い服の女性という色彩感がキスリングらしい。
「ベル=ガズー(コレット・ド・ジュヴネル)」:冒頭画像の作品がこれだ。今回展示した中では随一の大きさ(160cm×110cm)の作品。キスリングの女性像のサイズは大体決まっているのだが、この作品の女性は等身大に近いのでちょっと驚いた。
「花」:同名の作品がいくつかあるが、決まって背景の1/3~1/4が別の色やテクスチャで表現されていることに気が付いた。室内の壁や扉の表現なのだろうか。
「座る若い裸婦」:異国風の衣装を着た女性像が多い印象だったのだが、裸婦像が3点並んでいた。彫刻的・人形的で生々しさを感じない裸婦像である。
「赤い長椅子の裸婦」:横たわる西洋画伝統的ポーズである。裸体のボリュームがなかなか圧倒的。
「長椅子の裸婦」:こちらはスリムにしてモダンな感じの女性。
「立葵」:シンボリックでアイコンのような描き方である。
「モンパルナスのキキ」:フジタとはまた違う形の、しかしながら共通点も感じる女性像である。
「カーテンの前の花束」:これは明確にカーテンで背景が区切られている。カーテンをそんなに塗らなくてもと思うが、これがキスリングの色彩感なのだろう。
久々に古典的(といってもエコール・ド・パリ時代だが)な西洋絵画を堪能した。全体を通じてみると、どこかに感じる虚無感(人物の表情だろうか)、象徴性と南国を思わせる色彩感(フランス国内で描いていたみたいだが)が心に残った。
腹が減ってきたので、常設展はまた次回という事にして、美術館の前庭にでる。そうだ、前回散歩に来た時に撮影できなかった彫刻群を撮っておくか。
新宮晋「風の対話」。美術館をでて両サイドにあるのだが、これは右側の方。
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飯田善国「時間の風景」。
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山内壮夫「子を守る母たち」。本当だ、よく見ると大人(母)二人、子供一人で三人のように見える。母が複数形って誰なんだろう。母性全体を象徴しているということか。
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本郷新「嵐の中の母子像」:珍しく後ろからの写真を載せる。子供の足の感じが良く出ている。
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新宮晋「光のリズムII」。大同生命保険相互会社寄贈だそうだ。今はそんな余力のある会社は少なそう。
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伊藤隆道「回転螺旋・1月」。
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安田侃「無何有」。美術館の入口にあり、つい忘れがちな作品。名板の作品名に読み仮名が振ってあり、初めて「むかう」という作品名であることを知った。これまでは「むかゆう」だと思い込んでいた。
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流政之「雲の砦Jr.」。
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この後、西11丁目方面へと向かう。
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