喧騒としている世に惑わされないためにも、僕は常識を重んじたいと思っています。突拍子もないことを書くとか、あっと驚くようなことを口にしないと、世の中から相手にされないような風潮には、僕は付いていけません。
国民文化研究会が主催した、昭和39年夏の鹿児島県桜島合宿で、小林秀雄が学生たちと交わした、質疑応答のテープや文章が残されており、そこで小林は常識の大切さを説いています。
学生が「なぜことさら常識を取り上げられるのですか」と質問したのに対して、小林は「俺は何を信じて書いているかというと、つまりは、それは常識という言葉になるという考えが私にはあるからです」と本心を吐露しています。
さらに、小林はソクラテスの「無知の知」や孔子の「あらざるを知らずとせよ。これ知るなり」という言葉を例に挙げ、「偉い人の言葉はみな同じようなことになるのが不思議です。そしてみな大変やさしいことをいっています。本当にいい音楽とか、本当にいい絵とかには、何かやさしい当たり前のものがあるのです。真理というものも、本当は大変やさしく単純なものではないでしょうか」と語ったのです。
ことさら難しく考えるのが立派なのではないのです。「大変やさしく単純なものが真理」という小林の考え方に共感を覚えるのは、僕だけではないと思います。