坂上二郎さんが亡くなった。
今年の一月の明治座公演で欽ちゃんと出演する予定であった。
病気療養中で声だけの出演であった。
坂上二郎さんの声が場内に流れると会場内から万雷の拍手が沸き起こった。
萩本欽一さんは「いいなぁ。二郎さんは声だけで拍手をもらえるのだからなぁ」
コント55号は社会現象を起こした時期もあった。
浅草出身の芸人は素晴らしい活躍を残している人が多い。
(3月12日記)
(朝日新聞から)
「55号は幕が閉まりました」。
萩本欽一さんは10日夜、仕事先の富山から戻った羽田空港で記者会見し、「素晴らしい相棒。いつも汗びっしょりでやるコメディアンだった」と坂上二郎さんをしのんだ。
萩本さんは、気丈に振る舞いながらも時折、天を見上げたり、目を閉じたり。
「すてきな55号は二郎さんが幕を開け、1人で幕を閉めた。不滅と言いたいけど……」と言葉を詰まらせた。
坂上さんと最後に会ったのは昨年12月。入院先の病室だった。
萩本さんが「飛びます飛びます、できる」と聞くと、坂上さんはベッドから起き上がり、「飛べません」と笑った。
病室を出るとき、坂上さんが握手を求めてきた。
「初めてだった。がんばるぞの握手だと思っていたが、さよならの握手だった」
訃報(ふほう)は、移動中の車内でラジオのニュースで知った。「ごめんね。遠くにいて飛んでいけなくて」と思ったという。
「二郎さんは僕だけのもの。家に帰ってからお空の方を見て、ありがとねって。それから1人で泣かせてもらいます」。
萩本さんは涙をこらえながら言った。