清水門
江戸城の「清水門」が好きでよく行きます。北の丸公園への入り口となっております。
千代田区役所の前にあり、昔の名残が残っております。
【国指定重要文化財】
寛永元年(1624)助役大名,浅野長晟により建てられた枡形の城門。
門名については,昔この辺りに清水が湧き出ていた、また、古くはこの辺りに清水寺があったことから、その名をとって清水門と称したともいわれています。
宝暦9年(1759)九代将軍家重の第二子重好をして,この門内に一家を創立させて門名にちなんで清水家と称しました。
文久3年(1863)の本丸炎上の時には、将軍家茂と夫人親子(静寛院宮)は一時ここに移っていたといわれています。
(11月19日記)
江戸城の「清水門」が好きでよく行きます。北の丸公園への入り口となっております。
千代田区役所の前にあり、昔の名残が残っております。
【国指定重要文化財】
寛永元年(1624)助役大名,浅野長晟により建てられた枡形の城門。
門名については,昔この辺りに清水が湧き出ていた、また、古くはこの辺りに清水寺があったことから、その名をとって清水門と称したともいわれています。
宝暦9年(1759)九代将軍家重の第二子重好をして,この門内に一家を創立させて門名にちなんで清水家と称しました。
文久3年(1863)の本丸炎上の時には、将軍家茂と夫人親子(静寛院宮)は一時ここに移っていたといわれています。
(11月19日記)