花月堂のめろんぱん
浅草に美味しいめろんぱんを販売している「花月堂」があります。
店主は八丈島のパン屋の出身であり、東京農業大学で学んだ後、故郷には帰らないで浅草で「めろんぱん」の販売をしています。
浅草には4店舗あり、めろんぱんを一日4000個販売するまでに業績を伸ばした。開業当初はこのめろんぱんを観光バスのガイドさんに食べてもらったようで、ガイドさんたちから美味しいと評判になり、観光バスの乗客たちに案内をしたところたちまち話題となりました。
多くのテレビ番組でもタレントたちが花月堂に来てレポートをしている写真が展示されています。
浅草に行くと「花月堂」へ行ってめろんぱんをお土産に購入してきます。誰に渡しても美味しいと言って喜ばれます。
ドローイングの手法を凝らした「鉛筆画」の作品です。
富山恵美子さんは鉛筆という日常的にありふれた道具をあえて画材として選び表現する作家として活躍している画家です。
スペイン在住が長く作品のなかでも多くの題材をテーマとしており、今回は4点の作品を出展しております。
フランシスコザビエルが住んでいたという「ザビエル城」、雲の表現に迫力さがある「無題」、とても幻想的な「降りそそぐ葉」、そしてふくろうを描いた「哲学者」です。
日本では絵画で鉛筆といえば下絵に利用することと思われていますが、この展示作品は、驚くべき技量によって綿密な線を集積させ鉛筆ドローイングを絵画として表現しております。
線をめぐる鉛筆表現の素晴らしい作品を堪能したひとときでした。
徳川慶喜巣鴨屋敷跡地案内
山手線の巣鴨駅南口から白山通りを行くと「徳川慶喜巣鴨屋敷跡地碑」が建っています。
案内板には、「徳川慶喜巣鴨屋敷跡 徳川幕府15代将軍徳川慶喜(天保8年〔1837〕~大正2年〔1913〕)がこの巣鴨の地に移り住んだのは明治30年(1897)11月、慶喜61歳のことであった。
大政奉還後、静岡で長い謹慎生活を送った後のことである。翌年3月には皇居に参内、明治35年(1902)には公爵を授けられるなど復権への道を歩んだ。
巣鴨邸は、中山道(現白山通り)に面して門があり、庭の奥は故郷(水戸)に因んだ梅林になっており、町の人からは「ケイキさんの梅屋敷」と呼ばれ親しまれていたという。
慶喜が巣鴨に居住していたのは明治34年(1901)12月までの4年間で、その後小日向第六天町(現文京区小日向)に移った。その理由は、巣鴨邸のすぐ脇を鉄道(目白~田端間の豊島線、現在のJR山手線)が通ることが決まり、その騒音を嫌ってのこととされている。
当時の模様を表す古地図もありました。今から120年ほど前のことです。
「鈴懸の径」の碑(立教大学)
♪友と語らん 鈴懸の径 通いなれたる 学舎の街
やさしの小鈴 葉かげになけば 夢はかえるよ 鈴懸の径♪
若い頃、鈴木章治とリズムエースによる「鈴懸の径」のクラリネット演奏を聴いたことがあります。その素晴らしい演奏がいまだに耳に残っています。
鈴懸の径は、作詞:佐伯孝夫 作曲:灰田有紀彦 歌手:灰田勝彦 により大ヒットした曲です。灰田勝彦が立教大学の卒業生であったことで、立教大学のキャンパスのプラタナスの並木に「鈴懸の径」の碑があります。
蔦の絡まる校舎と鈴懸の径のある立教大学は歴史と伝統のある学び舎です。
文京区関口の胸突坂の横に「芭蕉庵」の入り口があります。
江戸時代を代表する俳人松尾芭蕉(1644~1694)が、2度目の江戸入りの後、1677年から3年間この地に住んだと言われております。
芭蕉は「奥の細道」へ出かける前には、神田上水の改修工事の現場管理人として従事しており、水番屋に住んだといわれる。後に芭蕉を慕う人々により「龍隠庵」という家を建てたが、これが現在の芭蕉庵につながる。その後焼失し、現在のものは第2次世界大戦後の建築であります。
芭蕉庵の池泉は湧水により作られたもので、隣接する「椿山荘」の庭園の水源もこの芭蕉庵の湧水から流れ込んでいたという。
トランプカード当て
二つに分けたトランプの一枚づつカードの色、数字、マークを当てていくもの。
142857の数字に1~9までの数を掛けて出てきた答えは、最初の6桁の数字の順序が変わるだけの面白い現象を研修。
発表では、逆さま予言について復習をしました。4列づづ縦横に並べた16の数字を4つ選んで電卓で掛け算をして現れた数字が予言と異なるが、電卓を逆さまにすると見事に予言した数字に一致するという不思議なマジックです。
1~9までの数字を3列づつ縦横に並んでいるカードの中から一つを選んだ数字だけ移動して止まったところの数字を時計回りで進むとすべて8に集まるという面白マジックを復習しました。
参加者のアンケートによるコメント
月2回の教室は忘れる周期に近いので大変有難いです。
1時間の授業が長くも短くもなく集中したり笑ったりとても居心地の良い時間です。
トランプカードのマジックが好きです。電卓を使ったマジックを復習したいです。
懇切丁寧なご指導により毎回興味深く楽しみに受講いたして居ります。
今後のマジック教室は、2月18日(土)、3月4日(土)、3月18日(土)に開催され、いずれも午前10時から上池袋コミュニティーセンターで行われます。どなたでも参加できます。
豊島区民センター高田において「高田おとこのサロン」で高橋忠利さんと一緒にマジック出演をしました。この場所ではマジックは2回目となります。顔なじみの方が多くおります。
前半は、マジック演技の披露です。
ロープマジック、宝くじが百万円に変化、ロープとシルクを使った神田祭、予言カード、二人の方に出てもらいカードが飛翔していくイマジネーション、割れない風船、紐とロープの貫通、好きなフルーツを当てる、ハッピースネーク(ヘビがどんどん増えていくカード)などを見てもらいました。
後半は、参加者が学ぶマジック教室です。
誕生日当て、パズルクイズ、9枚カード、1万円札に白紙を巻き鉛筆を突き刺すが1万円札は破れない、輪ゴムの瞬間移動、メビウスの輪など。
マジック教室の内容は、習ったものを家に帰った時に家族に披露できるものが良いです。
16名の参加者たちは、とても楽しくマジックを学んでおりました。
❝マジックはいつの日も人生の潤滑油❞
吉良邸跡
墨田区両国3丁目になまこ壁に囲まれた「吉良邸跡」(東京都指定旧跡)があります。
赤穂浪士四十七士が討ち入りしたところで「忠臣蔵」で知られているところです。
邸内には、吉良上野介像、みしるし洗い井戸、吉良家家臣二十士碑、吉良上野介追慕碑などがあります。
赤穂浪士の討ち入りから300年以上経過していますが、毎年12月14日の義士祭では、この吉良邸から泉岳寺まで赤穂浪士に扮した47名が歩いていく姿が見られます。
中嶋乃武也さんはTAMC(東京アマチュア・マジシャンズ・クラブ)のメンバーであります。本業は電巧社を経営している社長さんです。
この度、日刊ゲンダイの「社長の趣味論」のコーナーで採り上げられて掲載されました。
中嶋乃武也さん(62歳)は、小学生の頃から手品に興味を持っていました。中学2年の時に三越日本橋本店のおもちゃ売り場の手品道具の実演販売を見て感動したのがきっかけで手品に魅せられたしまいました。
慶應義塾大学では奇術愛好会に所属して演技の練習に精進してきて発表会で披露してきました。手品は意外性による驚きが大切との理念を持っており「マジックで上手といわれるより「不思議!」と言われることが好きです」と語っております。
商社マン時代は、海外で仕事することが多く、ホームパーティーに招かれると、手品を披露して人と仲良くなるために努力していた。
「手品はコミュニケーションを図るための最強で最高の道具です」
TAMCでは、会員のための研修を担当することが多く、マジックの不思議さを丁寧に指導してくれる貴重な存在の方です。
サンシャインビルの上階から見ると様子がよく分かります。イケサンパークに隣接されており、低層階の屋上には青く設置された楕円形のトラックコートが見えます。
豊島大博覧会の会場には、イケサンパークの横に見える池袋キャンパスがジオラマで制作されています。また映像案内ではキャンパス完成予定写真や国際色豊かな学生たちの映像も披露されています。
竣工予定は5月です。キャンパス内の樹木も整ってきました。外回りのフェンスガードも徐々に取り外されて内部が見えるようになってきました。