先日、あけぼの会東京支部から「東京支部休止のお知らせ」というはがきが届いた。
「東京支部は2005年2月5日に発足以来(今思えば、この日は奇しくも私の初発の手術の翌日だ。)5年間にわたり活動を続けてきましたが、このたびあけぼの会本部との話し合いの結果、活動を中止することになりました。これまで続けてこられましたのも、皆様の前向きに取り組む姿勢とパワーと笑顔に励まされてのことと、スタッフ一同感謝しております。・・・・・・2010年6月 東京支部スタッフ一同」とのこと。
4月に喫茶店の貴賓室で開かれた「虹のサロン」に参加した後、5月の母の日キャンペーンには参加できなかったので、次回は6月か7月、と思っていた矢先のことだった。とても残念だ。結局参加できたのは去年の11月と今年の4月の2回だけだった。
きちんと病気に向き合って、前向きに治療を続けている「虹のサロン」の諸先輩方には沢山の元気と勇気を頂いた。本当に感謝している。そして多忙な中、その都度こうしたお知らせを出し、支部便りを発行し、サロン当日の準備や片付け等をされていたスタッフの方たちにも、心からお礼と「お疲れ様でした。」を言いたいと思う。
そんなわけで5月に原稿依頼があった支部便り「虹色紙風船」の原稿もお蔵入りになった。今日は、広報担当の方からご丁寧なお詫びのお手紙を頂戴した。
7月には会員の皆様に届くはずだったものだが、自分で書いたものなので、ちょっと早いけれど掲載させて頂く。
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「再発2年半 元気です!」
「虹のサロン」を知ったのは去年の7月。再発治療の大きなヤマを超え、思い切ってあけぼの会に入会。初めて「初夏のお集まり」に参加した時だった。
初発から3年を迎えようとしていた直前に両肺、リンパ節、骨転移の告知。セカンド・オピニオンを得て転院し、即ゾメタ開始。ホルモン治療だけでは抑え切れず週1ハーセプチン投与。更にタキソテール6クール。
よれよれになって職場復帰したものの、これから如何に病気と少しでも長く共存していくか、と考えざるを得なかった。
そんな私に勇気をくれたのが「虹のサロン」。何の前置きも要らない、すぐ本音で話が出来るサロンだった。一人じゃないって素晴らしい。40代、まだまだやりたいことばかり。無理はしないけれど、決して諦めずきちんと受け止め受け容れ生きていく。“先行きをあれこれ不安に思い煩うより、何かあってから考える”。これが一番。今の正直な気持ちだ。
治療日記を中心に身辺雑記を綴っているブログ『ロッキングチェアに揺られて』、よろしければ覗いて下さいね。
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何よりこの短文の中で言いたかったのは、再発したら“先行きをあれこれ不安に思い煩うより、何かあってから考える”こと、それが一番ということだ。
そうは言いつつも、今回ヒスロンHへの薬の変更に伴い、ネットサーフィンしながらいろいろ情報検索して、一喜一憂どころか一憂一憂している自分がいて情けない。
先生がおっしゃるように効果と副作用を天秤にかけて、やはり効果が上回るなら副作用は問わない・・・ということは頭ではわかっているけれど、副作用とつきあっていくのは自分自身。それも効き続ければ何年も、ということになかなかすっきり割り切れず、が実際のところだ。しかも(今から考えても仕方ないことだ、ということも重々わかっており、原稿で言っていることと相反しているのに)もし、効かなければ今度は抗がん剤治療のみ、という事実にも正直なところ落ち込みは隠せない。また薬に慣れるまではちょっと辛いな、と思う。
これからも再発仲間で話が出来る場が何らかの形で復活してくれれば本当に嬉しい。(再発するかもしれない・・・)という不安と、「実際に再発する」ということは当然ながら全く違うことなので、やはり「虹のサロン」のような場はあり続けてほしいというのが一会員としての切なる願いだ。
「東京支部は2005年2月5日に発足以来(今思えば、この日は奇しくも私の初発の手術の翌日だ。)5年間にわたり活動を続けてきましたが、このたびあけぼの会本部との話し合いの結果、活動を中止することになりました。これまで続けてこられましたのも、皆様の前向きに取り組む姿勢とパワーと笑顔に励まされてのことと、スタッフ一同感謝しております。・・・・・・2010年6月 東京支部スタッフ一同」とのこと。
4月に喫茶店の貴賓室で開かれた「虹のサロン」に参加した後、5月の母の日キャンペーンには参加できなかったので、次回は6月か7月、と思っていた矢先のことだった。とても残念だ。結局参加できたのは去年の11月と今年の4月の2回だけだった。
きちんと病気に向き合って、前向きに治療を続けている「虹のサロン」の諸先輩方には沢山の元気と勇気を頂いた。本当に感謝している。そして多忙な中、その都度こうしたお知らせを出し、支部便りを発行し、サロン当日の準備や片付け等をされていたスタッフの方たちにも、心からお礼と「お疲れ様でした。」を言いたいと思う。
そんなわけで5月に原稿依頼があった支部便り「虹色紙風船」の原稿もお蔵入りになった。今日は、広報担当の方からご丁寧なお詫びのお手紙を頂戴した。
7月には会員の皆様に届くはずだったものだが、自分で書いたものなので、ちょっと早いけれど掲載させて頂く。
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「再発2年半 元気です!」
「虹のサロン」を知ったのは去年の7月。再発治療の大きなヤマを超え、思い切ってあけぼの会に入会。初めて「初夏のお集まり」に参加した時だった。
初発から3年を迎えようとしていた直前に両肺、リンパ節、骨転移の告知。セカンド・オピニオンを得て転院し、即ゾメタ開始。ホルモン治療だけでは抑え切れず週1ハーセプチン投与。更にタキソテール6クール。
よれよれになって職場復帰したものの、これから如何に病気と少しでも長く共存していくか、と考えざるを得なかった。
そんな私に勇気をくれたのが「虹のサロン」。何の前置きも要らない、すぐ本音で話が出来るサロンだった。一人じゃないって素晴らしい。40代、まだまだやりたいことばかり。無理はしないけれど、決して諦めずきちんと受け止め受け容れ生きていく。“先行きをあれこれ不安に思い煩うより、何かあってから考える”。これが一番。今の正直な気持ちだ。
治療日記を中心に身辺雑記を綴っているブログ『ロッキングチェアに揺られて』、よろしければ覗いて下さいね。
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何よりこの短文の中で言いたかったのは、再発したら“先行きをあれこれ不安に思い煩うより、何かあってから考える”こと、それが一番ということだ。
そうは言いつつも、今回ヒスロンHへの薬の変更に伴い、ネットサーフィンしながらいろいろ情報検索して、一喜一憂どころか一憂一憂している自分がいて情けない。
先生がおっしゃるように効果と副作用を天秤にかけて、やはり効果が上回るなら副作用は問わない・・・ということは頭ではわかっているけれど、副作用とつきあっていくのは自分自身。それも効き続ければ何年も、ということになかなかすっきり割り切れず、が実際のところだ。しかも(今から考えても仕方ないことだ、ということも重々わかっており、原稿で言っていることと相反しているのに)もし、効かなければ今度は抗がん剤治療のみ、という事実にも正直なところ落ち込みは隠せない。また薬に慣れるまではちょっと辛いな、と思う。
これからも再発仲間で話が出来る場が何らかの形で復活してくれれば本当に嬉しい。(再発するかもしれない・・・)という不安と、「実際に再発する」ということは当然ながら全く違うことなので、やはり「虹のサロン」のような場はあり続けてほしいというのが一会員としての切なる願いだ。