先日、同級生からメールをもらった。
私がブログで通院日に読んだ本として書き留めた本を読んだことで、これまで自分一人では気づくことができなかったことに気づくことが出来た。きっかけを与えてくれたことについてひとことお礼を言いたくて、とのことだった。
“ここ数年、自分の才能や思いと他の人たちとの関係において、正しいことを言っているはずなのになかなか多くの人が賛同してくれない。いくら議論で相手を論破しても、あるいは実力差を見せつけても、自分を慕って、一緒にやろうと言ってくれる人は多くない。そのことにずっと苦しんできたけれど、「誰かのことを悪く言わなければ自分の良さを説明できない。それではダメなんだ。」ということをその本の著者がはっきり書いてくれてなんだか霧が晴れたような気がしている”とのことだった。
このことに気づいたのは他でもない彼自身だから、私は実際のところお礼など言って頂くようなことを何もしていないのだけれど、もしほんの少しでも私のブログが役に立てたということなら・・・と、何だかじんわり心が暖かくなった。
私のような凡人からすれば、芸術であれ何であれ、才能のある人は常にとても孤独なのだろうな、と思う。もちろん才能に甘んじることなく並々ならぬ努力を重ねていかないと、その才能も活かせないだろうし、せっかくの天賦の才能を活かすことができなければ神様に申し訳ないのだろう、とも思う。
たとえいくつになっても人は気づくことが出来るし、それによって変わることが出来るのだ、と嬉しく思う。きちんと人の言うことに耳を傾けることが出来て、自分の中で凝り固まらず、リラックスした気持ちを忘れずに持っていさえすれば。残念なことに逆もしかり、で年齢は若くても、人の話に聞く耳を持たず、謙虚な気持ちがなければ、気づくことも変わることも出来ないのだろうに・・・と、もったいなく思う。
昨日は、家族揃って「RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語」という映画を観た。49歳の主人公が取締役を約束されながらもその直前に会社を辞め、故郷で子どもの頃の夢であった鉄道の運転手になる、という物語。主人公とは同世代。親の介護も物語の大きな転機になっており、身につまされることも多かった。いかにも鉄男君といった鉄道会社の先輩とのやりとりには声を出して笑い、夫婦の会話にニヤリとし、父と娘、母と娘の会話にかつての自分を重ね、病に倒れた母と故郷に帰ってきた息子に遠い日の自分を見、知らず知らずに感情移入して何度も涙ぐんだ。一畑電鉄沿線の田園風景も美しく、懐かしさを感じる古き良き日本という感じだったし、普段乗りなれている私鉄がたびたび登場するなど、2時間以上の作品だったのに実にあっという間で、いい涙を流してとても癒された感じ。
鉄ちゃんである息子は、出てきた電車がどうだとかこうだとかお気楽に捕らえたていたのだろうけれど、いい映画だったねえ、と喜んでいた。
いくつになっても、そしてたとえどんな状態になっても、人は決して夢を捨てなくていい。もちろん夢といっても、この映画の主人公のように定年まで10年を残しての一大転身、そんな大それたものでなくていい。私はこれからも他の人からすればちっぽけでとるに足らないことであっても、前を向いて自分なりの夢と希望を大切に持ち続けたい。
そして自分にとっての大切なものが何かということに気づいた時に、人は変わることが出来ると思う。いくつになっても、何かしらの“気づき”が出来る心の柔らかささえ失わずに日々を大切に過ごしていくことが出来れば、自分はまだ変わることができるのだと信じたい。
私がブログで通院日に読んだ本として書き留めた本を読んだことで、これまで自分一人では気づくことができなかったことに気づくことが出来た。きっかけを与えてくれたことについてひとことお礼を言いたくて、とのことだった。
“ここ数年、自分の才能や思いと他の人たちとの関係において、正しいことを言っているはずなのになかなか多くの人が賛同してくれない。いくら議論で相手を論破しても、あるいは実力差を見せつけても、自分を慕って、一緒にやろうと言ってくれる人は多くない。そのことにずっと苦しんできたけれど、「誰かのことを悪く言わなければ自分の良さを説明できない。それではダメなんだ。」ということをその本の著者がはっきり書いてくれてなんだか霧が晴れたような気がしている”とのことだった。
このことに気づいたのは他でもない彼自身だから、私は実際のところお礼など言って頂くようなことを何もしていないのだけれど、もしほんの少しでも私のブログが役に立てたということなら・・・と、何だかじんわり心が暖かくなった。
私のような凡人からすれば、芸術であれ何であれ、才能のある人は常にとても孤独なのだろうな、と思う。もちろん才能に甘んじることなく並々ならぬ努力を重ねていかないと、その才能も活かせないだろうし、せっかくの天賦の才能を活かすことができなければ神様に申し訳ないのだろう、とも思う。
たとえいくつになっても人は気づくことが出来るし、それによって変わることが出来るのだ、と嬉しく思う。きちんと人の言うことに耳を傾けることが出来て、自分の中で凝り固まらず、リラックスした気持ちを忘れずに持っていさえすれば。残念なことに逆もしかり、で年齢は若くても、人の話に聞く耳を持たず、謙虚な気持ちがなければ、気づくことも変わることも出来ないのだろうに・・・と、もったいなく思う。
昨日は、家族揃って「RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語」という映画を観た。49歳の主人公が取締役を約束されながらもその直前に会社を辞め、故郷で子どもの頃の夢であった鉄道の運転手になる、という物語。主人公とは同世代。親の介護も物語の大きな転機になっており、身につまされることも多かった。いかにも鉄男君といった鉄道会社の先輩とのやりとりには声を出して笑い、夫婦の会話にニヤリとし、父と娘、母と娘の会話にかつての自分を重ね、病に倒れた母と故郷に帰ってきた息子に遠い日の自分を見、知らず知らずに感情移入して何度も涙ぐんだ。一畑電鉄沿線の田園風景も美しく、懐かしさを感じる古き良き日本という感じだったし、普段乗りなれている私鉄がたびたび登場するなど、2時間以上の作品だったのに実にあっという間で、いい涙を流してとても癒された感じ。
鉄ちゃんである息子は、出てきた電車がどうだとかこうだとかお気楽に捕らえたていたのだろうけれど、いい映画だったねえ、と喜んでいた。
いくつになっても、そしてたとえどんな状態になっても、人は決して夢を捨てなくていい。もちろん夢といっても、この映画の主人公のように定年まで10年を残しての一大転身、そんな大それたものでなくていい。私はこれからも他の人からすればちっぽけでとるに足らないことであっても、前を向いて自分なりの夢と希望を大切に持ち続けたい。
そして自分にとっての大切なものが何かということに気づいた時に、人は変わることが出来ると思う。いくつになっても、何かしらの“気づき”が出来る心の柔らかささえ失わずに日々を大切に過ごしていくことが出来れば、自分はまだ変わることができるのだと信じたい。